【皆川賢太郎のスキー論②】インバウント客の受け入れ態勢づくりが急務な理由

4大会連続冬季五輪出場を果たし、2006年のトリノ五輪ではアルペン男子回転4位に輝いた皆川賢太郎氏。中編では、現在は全日本スキー連盟(SAJ)常務理事を務める皆川氏に、産業としてのウインタースポーツのあり方を聞いた。

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長く続くデフレ時代から脱却すべし

ウインタースポーツを産業として捉えた場合、「絶好調だ」と感じている人も多いのではないでしょうか。北海道のニセコ、新潟県の苗場、長野県の白馬……。いずれも外国人の来場者が増え、元気な印象を受けます。

僕はこの20~30年の間で、数多くの海外のスキーリゾートを巡りました。でも、日本ほど雪資源に恵まれた国はありません。サラサラのパウダースノーと言われますが、まさにそれ。中国やオーストラリアの人が夢中になるのもよくわかります。インバウンド客の増加は、ウインタースポーツの明るい未来といえます。

でも、課題は多いんです。国内で見ると、日本のウインタースポーツはバブル期にピークを迎えました。90年代前半には、スキー・スノーボード人口が1800万人以上もいたんです。しかし、好景気だったにも関わらず、適切な再投資は行われませんでした。新しいゲレンデを開発することばかりに力を注ぎ、その結果、現在の大部分のスキー場は、設備が30年前のまま。宿泊施設もビジネスホテルのような簡易ホテルが中心で、部屋は狭く、食事もおいしいとはいえません。

今、中国のスキー・スノーボード人口は1850万人といわれています。これを2022年までには3000万人に、さらに将来的には3億人にすると、中国は目標を掲げているんです。その中には富裕層も含まれており、彼らは豪華な5つ星ホテルへの宿泊を希望します。でも、日本にはほとんどありません。受け入れ態勢が整っているとは、お世辞にも言えないですよね。

まずは、施設数が適切かどうかを見極めなければなりません。現在、日本には約700のスキー場があります。この数字が正しいのかどうか。はっきり言って多過ぎで、需要と供給のバランスが崩れてしまっています。リゾート法の緩和により、あまりにも数が増え過ぎてしまい、結果としてデフレを招きました。日本のリフト券は、1日券で5000円前後。これでも「高い」と言われてしまいます。アメリカでは1日券150ドルが相場です。日本円に換算すると1万5000円以上になりますが、客は入っています。

ウインタースポーツに限らず、日本のデフレは悲惨ですよ。牛丼が200円台で食べられる国なんて、ほかにありません。人材が疲弊しちゃうだけです。

デフレを解消するためには、適切な数に絞り込んでいくこと。でも、スキー場をひとつ減らすだけでもたいへんな作業です。そこで働いているスタッフは職を失うことになるし、ゲレンデ近くのホテルをはじめ、スキー場にはさまざまな物事が紐づいていますから。そんな仕事は誰もやりたがらない。パンドラの箱を開けたくないんです。だからこそ、僕がやるし、僕の存在価値はそこにあると思っています。

広い視野で、日本の魅力をアピールしていく

スキー場の数の話をしましたが、こうした要素はたくさんある。競技の種目を削っていかなければならないのかもしれないし、不必要な組織を潰していくことも必要になるかもしれない。まずは整理なんです。調理でも、使えるものと使えないものをまずは分けるでしょう。全部を使って調理しても、おいしい料理はできません。

物事を整理し、本当に必要か、そうでないかを見極めるためには、現状を知ることです。ビジネスパーソンに最も重要なのは、「自分の目で見る」こと。ありがたいことに、僕は競技生活を通して、世界各地の約1000のスキー場を巡りました。現役引退後もスキー場巡りを続け、今では1100を超えています。

そんな経験のなかで、成功事例も、失敗事例も、たくさん目の当たりにしてきました。オーストリアのレッヒは成功事例のひとつ。一時は近隣諸国の近代的なゲレンデに押されましたが、そこで競うのではなく、自然の美しさを最大限生かすように舵を取りました。自動車の乗り入れを禁止し、地下には荷物などを運搬するトンネルシステムを整備。こうした取り組みにより、客数は増加に転じました。

だからといって、海外の成功事例をそのまま日本に持って来てもダメです。スキーに対する文化が違い過ぎるので、同じことをやっても成功するとは限りません。海外を手本にしながらも、日本独自のウインタースポーツ産業を確立させていくべきです。

今、実感しているのは、人材不足。ブレーンとしての人材が足りないですね。みなさん、「スキー業界ならたくさんいるでしょう」と言うけれど、いざ探してみると本当にいない。転職サイトのビズリーチで募集しているくらいです。人材は、スキー経験者に限りません。ほかのスポーツでも、あるいはスポーツをまったくやったことがない人でも歓迎です。優秀な人材であれば、異なる分野の人でも活躍できる。日本のウインタースポーツ業界が開かれた環境になるよう、"地ならし"しておくのも僕の役割です。

Kentaro Minagawa
1977年、新潟県生まれ。日本体育大学在学中の'98年にアルペンスキー日本代表として長野冬季五輪出場。2006年トリノ五輪で4位入賞。'10年のバンクーバー大会まで4大会連続で冬季五輪に出場する。'14年に現役を引退し、'15年に全日本スキー連盟の理事、'16年に常務理事に就任。


Text=川岸 徹 Photograph=鈴木泰之



【皆川賢太郎のスキー論①】世界チャンピオンでも日本では稼げない理由