社長兼ラジオ・パーソナリティ子守康範~元NHK記者・立岩陽一郎のLIFE SHIFT㉜

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米。巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストが、さまざまな人の人生、LIFE SHIFTを伝えていく。第32回は、人気ラジオ・パーソナリティで、映像制作会社の社長を務める子守康範氏。

身長198cmのラジオ・パーソナリティ

「だから、その、5月6日で(緊急事態宣言が)ほんまに終わるのか……ていうことろが、みんな不安に思わせるじゃないですか……」

いきなりの語りだった。スタジオのMC席に座った今回のLIFE SHIFTの主人公。その人が、さも、立ち話を続けていた途中の様な自然な雰囲気で、急に話し始めた。

4月22日、その5月6日のちょうど2週前の夕刻。場所は毎日放送9階にあるラジオ・スタジオだ。

戸惑う私。ええと、と時計を見ると、午後6時を指している。既にオンエア時間だ。これは時計が合っていないのか? 既に本番が始まっているのか?

「いまんところ、公式に(緊急事態宣言が)延びるなんて発表もないんですけど……どう思います?」

こっちの戸惑いを他所に、気持ちよさそうに話し続ける主人公。目の前の毎日放送の亘 佐和子記者も、さてどうしようかという反応だ。

ラジオのスタジオは広いものではない。詰めれば5人ほど座れるテーブルが置かれ、後は音響機材に囲まれる形だ。隣の部屋が副調整室となる。テーブルを囲むのは私を入れて3人。私の左手前に主人公、そして右手前に毎日放送の亘記者という形になっている。テーブルには飛沫を遮断するためのアクリル板が置かれている。

この日は、新型コロナウイルスに関する様々な情報を検証する3時間特番を生放送で行うことになっている。そのMCが今、気持ち良さそうに世間話を始めた主人公。

副調は、この異変を察知していないのか、そもそもこれは異変ではないのか……番組責任者のプロデューサーらが涼しい顔をしている。なんだろう。これは番組中なのか? それとも今はコマーシャルでも入っているのか?

恐る恐る、話しかけてみた。

「あの、これってもう始まっているんですか?」

すると、この主人公、笑って言った。

「そうですよ、赤ランプつきました。6時回っています」

そしてリスナーに語り掛けた。

「立岩陽一郎さんです。そして、亘さんです。今日はこの3人でやります……」

と、今度はリスナーに語り始めたMCは、子守康範と書いて、こもりやすのり。大阪のラジオ番組で長年パーソナリティを務める関西の朝の顔の一人だ。しかも彼は起業家でもある。会社を興し、従業員を雇ってパーソナリティとは全く異なる仕事をしている。

大きい。身長198センチだ。最初に会った時、「これが見上げるという感覚か」と思った。日本一背の高いラジオ・パーソナリティであることはほぼ間違いない。

関西のラジオは東京を中心とする放送文化とは一線を画している。笑い有り、情報有り、そして少し粗野で、それでいて知性もある。そういう独特な文化が根付いている。そしてそれが大阪発で関西全域からその近県あたりまでリスナーを持っている。

その関西ラジオ文化の代表格は85歳の浜村 淳だ。今も毎朝、毎日放送のスタジオから派手なファッションに身を包んで軽妙な語りを披露している。59歳になった子守は、浜村よりははるかに若いが、その次に来る担い手の代表格と言ってよい。

「立岩さん、亘さん、よろしくお願いします。今は、ちょうど新大阪を出て京都に向かうあたりですかね……」

時間の経過を新幹線の新大阪発、東京行きに例えた。そしてまさに、出発進行。子守は、私の失敗を他所にしゃべりを続ける。こちらも、自然に会話に引き込まれる……そう、台詞ではない。会話だ。気が付くとリラックスして私もしゃべっている。

「なるほど、これが子守ワールドか……」

そう思いつつ、私も子守ワールドに引き込まれていく。毎日放送で報道一筋の亘も、徐々に子守ワールドに入っていくのがわかる。

この番組は特別番組だ。ラジオはこの時期、プロ野球のナイター中継で食っている。しかし、新型コロナの影響でプロ野球が開幕しない。その空いた時間を使って、新型コロナに関する情報を検証する番組を急遽立ち上げたということだ。

ラジオ・パーソナリティとしての子守の主戦場は朝だ。毎日放送の「子守康範 朝からてんコモリ!」。これが子守の番組の名称だ。今は朝6時から8時までの2時間だが、以前は朝5時から8時の3時間。ニュースや芸能情報から生活情報まで幅広い話題を朝の関西の家庭に提供する。

私の限られた関西の友人の中でも、この番組のファンは多い。全体の流れは有るものの、ほとんど子守の即興で番組が展開する。当然の様に、台本は無い。

「缶のポタージュスープありますね? あれ、飲む前に缶の真ん中あたりをへこましてみてください。コーンが缶の中に残ることなく、出てきますから」

一緒に進行している高井美紀アナが、「えー、本当ですか?」と反応。じゃあ、とスタッフに買ってこさせる。そして、へこませて、それを高井が口にする。

「あら、本当!」

高井が驚きの声を上げる。

「高井、嘘やと思っとるやろ。これ、流体力学なんです」

高井を呼び捨てにするのは、子守が毎日放送のアナウンサーだったころに先輩だからだが、今の子守は毎日放送のアナウンサーではない。否、そもそも、子守はアナウンサーではない。

毎日放送を辞めているからだ。しかしフリーランスのアナウンサーになったということでもない。子守は全く異なるビジネスを始めるために、関西の老舗放送局を辞めたのだ。21年前のことだ。1999年。まさにそれはLIFE SHIFTだった。

冒頭紹介した特別番組に先立つ2月28日、子守を尋ねた。後述するLIFE SHIFTで始めた会社のオフィスだ。大阪駅直ぐのビルの17階。広々としたスペースに、オフィスとスタジオセットが分かれていた。そのスタジオセットの脇で子守への取材を始めた。

ここで子守の経歴を簡単に紹介しておく。大阪で生まれ、育った。母型の祖父が事業をしていた。小さな事業だったが、その軒先で育った。子守に後にLIFE SHIFTを決断させたのは、この祖父の存在だったと言って良い。

祖父が始めた事業は衣類を通信販売するものだった。大手メーカーのカネボウのハンカチを仕入れて幼稚園の先生に通信販売するなどしていたという。近所の女性らが内職して準備するのを指示する祖父の姿を見て育った。

小学生の頃から「少年朝日年鑑」を読破するような賢さで、'81年に慶應義塾大学商学部に入学。198センチの誰もがうらやむような体格だ。体育会から引っ張りだこだっただろうが、本人は全くその気がない。

「そういうところに引っ張られないよう大学には行かなかった」

大学時代についての問いに、そう笑い飛ばしている。では、どのような大学生活だったのか? ラジオやアマチュア無線にこだわった。音楽産業のビクターで働いたり、NHKで働いている。NHKでは、当時の夕方の人気番組だった「600こちら情報部」のリポーターを務めたりもしている。

就職はラジオにこだわった。職種はアナウンサー。ラジオ各社を受験して、毎日放送にアナウンサーとして内定を得る。

ただ、この時、ひと悶着が起きている。祖父の立ち上げた会社はかなり大きくなっていた。後に東証一部上場企業となる衣料品通販会社の大手「フェリシモ」がそれだ。

祖父としては、子守に会社に入って欲しかった。親戚一同も、会社を支える人材として子守を東京に送ったつもりだった。実は、子守は東京での学生生活で、祖父の会社の施設に住んでいた。ある意味、至れり尽くせりという感じだ。当然、そこには、有名大学を卒業する子守に、会社の貴重な人材になってもらうという期待もあった筈だ。

それは子守も感じていたが、やはりラジオの世界への憧れを捨てきれなかった。なんとか親戚一同を説得。祖父には直接言えず、そのまま毎日放送に入社したという。

「アナウンサーとしては、スポーツから何かなんでもやりました」

阪神タイガースの吉田義男監督にインタビューもしているが、身長167センチの監督に198センチの若手アナウンサーがインタビューする場面は見ものだっただろう。

テレビやラジオをこなす中、湾岸危機が起きる。

「CNNのピーター・アネット記者が現場から伝えているのを見て、いても立ってもいられなかった」

子守は、カメラを片手に先輩ディレクターを引っ張って中東へ。トルコに入り、そこからシリア、イスラエル、エジプトをまわって、現地の情勢を朝、昼、晩とラジオで伝え続けた。記者でも海外特派員でもないアナウンサーのいきなりの行動は、社内を驚かせた。しかし、その放送は後に高い評価を得て、民間放送連盟賞、最優秀ラジオ報道番組賞など、数々の賞を受賞している。

帰国後は、現地で収録したビデオを使ってテレビ報道番組も制作。それが、実は祖父と、そしてその後のLIFE SHIFにつながる。1998年、その祖父に癌がみつかる。そして入院。余命は限られている。

子守は湾岸危機での取材を思い出したという。身に迫る危険の中で、人々は、子守の向けるカメラに思いのたけを語ってくれた。それが日本で報じられて少なからぬ人の心をうった。

「人は誰しも、語りたい人生を持っている。まして、裸一貫で会社を立ち上げて大きくした祖父には語るべきことが有る筈だ」

そう思った子守は病院にビデオカメラを持ち込み、祖父に語り掛ける。本人は癌だとは告げられていない。最初は嫌がったが、そのうち、かわいい孫に半生を語り始めた。子供の頃の話、創業、そして商売の話。子守はそれを撮り続けた。

'99年1月に祖父は他界。子守は撮り続けた映像を編集して、社葬の場で見せた。それを涙ながらに見る人々を見て、思った。

「人の生き様、そこから出てくる言葉は宝物だ」

祖父は毎日放送に入る子守にこう言っていた。

「サラリーマンなんかやめて、自分で何かをしなさい」

祖父の思いと、人の生き様が持つ価値が子守の背中を押した。あとは、何も考えずに毎日放送で退職の手続きを始めた。'99年12月25日に最後の給与をもらって退職。38歳でのLIFE SHIFTだった。

そう言うと簡単そうだが、子守には既に妻子がいる。妻は何も言わなかったのか?

「何も言わなかったですかねぇ。退職金は予想以上にあったので、『これで2年は食ってくれ』って渡して……。でも、2年後に『無くなった』と言われました」

子守は’99年4月、つまり退職前に会社を設立。その代表を妻にしていた。そして、12月26日、つまり毎日放送を退職した翌日に子守が社長に就任。

社名は「アンテリジャン」。フランス語で知性、知性的を意味する言葉だ。何をするのか?

自分史のビデオの制作だ。個人でも、会社の物語でも、語りたい人に語ってもらいビデオを制作する。言われれば、「なるほど」とは思うが、実際に、市井の人の話でストーリーは作れるのだろうか?

「まず、話を聞きます。例えば、1枚、思い出の写真を見せてもらう。その写真を見ながら話をきけば人生全部、その人の人となりは出てきますよね」

それを引き出すのは子守だ。子守が言葉を引き出し、それをカメラが撮る。湾岸危機の中東で人々に、そして病床の祖父にしたように。

最初は厳しい状況が続いたが、そのうち仕事が入るようになり、これまでに制作したビデオは自分史、社史が100本。企業のプロモーションビデオや社員教育ビデオなども合わせると1000本になるという。

従業員は子守以下7人。そのうち4人が制作スタッフ。子守は社長として営業と聞き役をこなす。オフィスの一部はヨーロッパの重厚な書斎を模したスタジオになっている。そこで社長の子守が聞き出し役になるということだ。

会社はそれなりに順調だった。それでも、毎日放送とは縁が切れたわけではなかった。テレビやラジオにたまに出演する機会はあった。特に、ラジオへの思い入れには捨てがたいものがあった。

そんな時、毎日放送からラジオ番組の話が来る。それが2008年3月に始まった、前述の番組「子守康範 朝からてんコモリ!」だ。朝6時から8時なので、会社の業務への影響は最小限に抑えられる。

「それでも、最初は迷って、当時の年配の社員に『こんな話が来たんやけど、どうやろうか?』と尋ねたんです。そうしたら、『子守さん、やりたいって、顔に書いてありますよ」って言われました』

やりたかった?

「そりゃ、帯番組ですからね」

それに、ラジオが好き。それは偽ることができない。

会社に支障が出ないと言っても、朝の4時半にはスタジオ入りだ。それが月曜から金曜まで続くことになる。もともとが夜型の人間だ。どうなのだろうか?

「やってみてわかったんですけど、夜型の人間は朝型になれるんです。逆はきついと思いますけど」

それは間を置かず、5時から8時の3時間番組となる。3時間のラジオ番組は、どうやって作られるのか尋ねてみた。

「特に、考えない……ですかねぇ」

と言った後、少し説明した。

「ネタの話で言うと、新聞の記事などはメモをしておいたりはしますよ」

その日に話す内容を書いた「デイリーシート」を自分用には作っているという。

「誰にも見せませんよ」

自分のためのシート。それはどうやって作るのか?

「ラジオ好きの耳の肥えたリスナーとしての自分がいるんです。それが幽体離脱した自分が見ている。それが自分に言ってくるんです」

「3時間なんてなんとかなる」という自分がいて、一方で、「あと何秒でコマーシャルという自分がいて」……そういう風にしながら、固まりとして大事な点が伝わるという点が面白いのだと話した。それが「ラジオの生放送のパーソナリティ」の醍醐味だという。

祖父とのつながりから始まったビジネスとの関係はどうなのだろうか? 例えば、朝の8時まではラジオのパーソナリティとしての子守がいて、その後は、社長としての子守がいるのだろうか? そう尋ねると、少し考えてから、それを否定した。

「そういう分け方はしていませんね。ラジオのパーソナリティをしている時に、会社で使えるアイデアが思い浮かんだり、また、会社の業務をしていてラジオのネタを仕入れたり……両方有りますからね」

ラジオって何だろう? 今更ながらに子守に問うてみた。

「ラジオって、もともとはマス、大衆を相手にしていたメディアですよね。それがテレビが出てインターネットが出て、必ずしもマスを相手にしなくて良くなっているわけです。だから、ラジオはマスに対してアピールするものでなくても良い。話芸で、その周辺の人が喜んでくれるというのでも良いわけです」

テレビとは明らかに違うと言った。

「テレビは、舞台と客席の関係で見ている。ラジオは客席との境界線が無い」

それは、リスナーとの近しさでもあるが、同時に危うさも併せ持つと話した。

「危うさ」と聞いて、思い出したのが、ナインティナインの岡村隆史が深夜番組で、この新型コロナ禍が終わった後に「お金を稼がないと苦しいかわいい女性が風俗にくることは楽しみ」などと発言した問題。子守は、これをどう思っているのか。

「一言でいうと、調子にのった……」

と、岡村を切り捨てたのかと思ったら、そうではない。

「ラジオは誰も助けてくれない。一人でやり続けないといけない。ラジオのパーソナリティって、ほとんど自分一人でやるんですよ」

乗り物好きで飛行機のパイロットの資格も持つ子守は、それをF1ドライバーに例えた。

「F1ドライバーって、ずっと一人でハンドルを握るわけですよ。そして、ハンドルを切り損ねたらそれで終わり。誰も助けてくれない」

それがテレビと大きく違うところだと話した。一人で考えて話を展開させて、発言の責任まで負う。確かに、テレビは違う。数十人から下手をすると100人を超える人が関わって、ああでもないこうでもないと議論する。出演者は、ある意味でその流れに乗っていれば良い。

でも、ラジオは違う。そう子守は淡々と説明した。実はその日の岡村の番組も聴いていたという。

「2週間にわたって賞味期限の切れた桃の缶詰の話題でやっていた。2週目に開けるといって開けた。海パン一丁で。そしてバンと、吹き出す。その滅茶苦茶妙なテンション。そのまま上半身は裸でスタジオに入って……変なテンションだった。それで、『我慢しような。3ヵ月経ったら……』と問題の発言が出た」

それはまさに、F1ドライバーがハンドルを切り損ねた瞬間だった。

「それはあり得るんですよ」

そう子守は言った。勿論、子守は岡村を庇う気は無い。女性への極めて問題の有る発言だという指摘が有ることも理解している。ただ、それは自分にも起き得るとは感じている。その事実を冷静に語っているという感じだった。

「2時間、3時間、一人でやらないといけない。それを、さも涼しい顔をしてやっている。失敗しても誰も助けてくれない……それがラジオのパーソナリティなんです」

子守はそう繰り返した。

さて、冒頭紹介した新型コロナの特別番組に話を戻す。番組は、開始から2時間半が経とうとしていた。

「既に品川駅を出て、もう直ぐ東京駅に到着ですね」

そう子守に言われて、「ああ、2時間半が経ったかぁ……」と思い、そのまま亘を見ると、亘の顔にも余裕が見える。私はまだ余裕は無いが、それでも「あと30分かぁ……」と、取り敢えず冷静さを装った。

そこに子守が、「ええと、音楽が有るんでしたっけ」と水を向ける。

「立岩さんが徹夜で選曲してくださった曲があります」と亘が添える。

「まぁ、かけてもかけなくても良いけど……折角だからかけますか。じゃあ何行きましょうか?」と、子守が私にボールを投げる。ここはあたふたしても仕方ない。

「え、ええと、ここは是非。では、『You Raise Me Up』でお願いします」

「はい。じゃあ、音楽行きますよ。じゃあ、立岩さん、曲の紹介をお願いします」

はい?

「どうぞ」

「え? あ、はい……ええと、これは、あなたのお陰で私がいられるという意味の曲で……」

なんとも、お経を読んでいるようなDJだったが、「日ごろ、私たちのために頑張ってくれているすべての人、医師、看護師、放射線技師などすべての医療従事者の皆さん……そして家を守るお母さんなど、全ての人に捧げたいと思います……『You Raise Me Up』、どうぞ」となんとか終えた。

その後の30分はあっと言う間だった。終わって、そのまま帰ったのだが、実はあまりよく覚えていない。子守と挨拶をしたのかさえ覚えていない。

その番組から暫く経った5月半ば、再び子守の会社を尋ねた。緊急事態宣言が続く中、がらんとしたオフィスで子守は仕事をしていた。1時間ほど時間をもらって質問した。

「あの冒頭の急な入り方は、狙い通りだったんですか?」

あの、番組が始まったか始まっていないかわからない入り方だ。子守はざっくばらんにこう話した。

「そうですね。数日前からどうやって入ろうかと考えていて、どうやったらリスナーさんが入ってこれるか。それを考えていて……勿論、『こんばんは』で始まるオプションも有ったんですけど、あの日は、ああやって始めようと決めたんです」

それはいつ決めたのか?少なくとも、亘はその入りは知らされていなかった様だ。

「その瞬間です。だから、誰も知らない」

子守は事も無げにそう言った。

「3時間、リスナーさんに『へぇーっ』て思ってもらえるところにどう落とし込んでいくか」

「それがラジオ・パーソナリティだ」と子守が言おうとしているのがわかった。その際に大事にしているのは、「スタジオ内の空気をどう作るか」なのだと話した。

「3時間、この(子守の)おっさんに任せておけば良いんだとスタジオ内が思えるか、です」

じゃあ、私の恐る恐る「今始まっているんですか?」と問うた対応はどうだったのだろうか?

「してやったり。でも、仮に違う反応が来ても、それはそれでまた新たな展開を描けば良いんです」

もう一つ気になっていたことを尋ねてみた。

「子守さん、最初から余裕でしたよね。3時間番組ね、はい、という感じで。でも、F1レーサーに例えたら、やっぱり大変な作業だと思うんです。記者の亘さんもしゃべりのプロじゃない。私にいたっては、どうなるかわからない。それは、どうだったんですか?」

子守は間髪入れずに答えた。

「そりゃ、不安でしたよ。話があってから、どうしようかと考えました。どうしようか、と。それを、耳の肥えた自分に怒られないための準備をしました」

意外だったのは、まったくそういう素振りを見せなかったからだ。その言葉を聞いて子守との距離が縮まった気がした。

50代の最後の年に新型コロナウイルス禍という状況にいる子守。この先に何を見ているのだろうか?

「社会が明らかに、この1年間で変わる。オンラインがOK。明らかにオンラインでと言った時の会社とか学校への帰属意識は変わる。会社に行かずオンラインで仕事をする人に愛社精神は無くなる」

それは会社を経営する子守にとっては、かなり大きな変化を意味する。

「それと、生産性の高いサービスでないと生き残れないでしょう」

それは子守がこだわってきたラジオも同じだと言った。

「新たな世界を作らないといけない。浜村 淳さんの後、ラジオのパーソナリティは要らないかもしれない。AIがそれを担う世界になるかもしれない……否、なるでしょう」

え? 浜村 淳の後は子守康範ではない?

「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、そうではないでしょうね。まぁ、一種の伝統文化、伝統芸能のような感じになるでしょう、ラジオのパーソナリティは。ラジオはお金が無い。そこにAIがしゃべれるようになる。それで、話がすめばそれで良いとなっていくんでしょう」

わざわざ高い金払って伝統芸能を見るのか? とは、かなり冷めた見方だ。だが、どうだろう。そう話す子守だが、どこか人生を高みの見物しているような余裕を感じる。その高みたるや、2メートル級だから、常人のレベルじゃない。

準キー局として関西に君臨する放送局を辞めて、21年。自分で作った会社を支えつつ、フリーランスでラジオのパーソナリティを続けてきた。若い人で、自分の方向性に迷っている人がいたら、どうアドバイスするか問うてみた。

「やりたいと思ったことをやる。それしかないんじゃないかと思います。やりたいことに手を付けて失敗したなら後悔はしないでしょう」

そして続けた。

「僕も毎日放送を辞めて自分で事業をやると決めた時は、淀川を飛び越える感覚でした」

淀川。琵琶湖から大阪を縦断して大阪湾に流れる大河だ。

「でもね、対岸に渡って振り返ったら、淀川だと思っていたものが実は小川だった。そういう感じも有るんですよ」

それを聞いて思った。ああ、子守はまだLIFE SHIFTをするな、と。それは今の事業の延長上なのか、ラジオ・パーソナリティの延長上なのか、それはわからない。全く違うものかもしれない。何か、新たなことをやる。

「いやいや、そんなことはないです」

子守はそう言うかもしれない。そうしたら私は子守にこう言うだろう。

いや、間違いないです。子守さん、だって、あなたの顔にそう書いてありましたよ。

㉝に続く

立岩陽一郎
立岩陽一郎
調査報道を専門とする認定NPO「インファクト」編集長。一橋大学卒業。NHKで初めて戦場特派員としてイラク、クウェートを取材。社会部記者、1年間の米国留学の後、国際報道局デスクを経験するなど華々しいキャリアを築くも「パナマ文書」の取材を最後に49歳にしてNHKを辞職しその翌日渡米。現在は公益法人「政治資金センター」理事や毎日放送「ちちんぷいぷい」のレギュラー・コメンテータ、ニュースメディアへこれまで培ってきた報道の世界の鋭い目線で記事を提供するなど活動の幅は多岐に渡る。著書に「ファクトチェック最前線」「トランプ報道のフェイクとファクト」「NPOメディアが切り開くジャーナリズム」「トランプ王国の素顔」、共著に「ファクトチェックとは何か」「フェイクと憎悪」がある。
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