岡野工業 代表 岡野雅行 不可能を可能にした男 下町から“世界一”を生んだ

2005年、世界一先端が細い「痛くない注射針」の開発によって、東京下町の町工場の主の名前は瞬く間に世の中に知れわたった。NASAから発注が舞いこんだ、というエピソードも有名だ。しかし、「不可能を可能にした」のは注射針だけではない。まるでそれが生きる証であるかのように、岡野工業代表社員 岡野雅行は40年近く、さまざまな不可能にひたすら挑戦しつづけてきたのだ。

学歴コンプレックスが技術と情報収集力を磨き下町から“世界一”を生んだ

 40数年前、誰も作れなかったトランジスタラジオを構成する部品作りに成功。ラジオの小型化に貢献した。1980年代には「液漏れしないリチウムイオン電池ケース」を実現させ、携帯電話は一気に小さく。蚊の針がヒントになった「痛くない注射針」は、日に何度もインスリンを打つ糖尿病患者の苦痛を取り除いている。知らぬ間に我々は、岡野さんの努力から生まれた恩恵を受けていたのだ。
「他の会社が挑戦しない技術的に難しい事案こそ、気持ちが奮い立つね。金属をなめらかにまるめる、俺の“深絞り”の技術を持ってすれば、きっとできるんだ。俺しかできない仕事なら、それはやるしかないじゃないか」
 とはいえ、依頼される仕事を闇雲に引き受けるわけではない。
「6割は培った技術と経験値で賄えて、あとの4割、工夫すればなんとかなるな、と頭で計算できたら、引き受ける。でまあ、考えた結果、たいていのことは引き受けるんだよ(笑)」
 2代目として父の背中を見て育ち、金型技術を見よう見まねで習得したが、「学校の勉強」は苦手だった。最終学歴は国民学校(現・小学校)卒である。
「俺は学がないだろう? いい大学を卒業している大企業の社員とは違う。だから、自分の技術を磨く必要があったし、自分なりの経営哲学を持って、磨いた技術を活かす挑戦をしなくちゃならなかったんだよ」

世界で最も細い注射針。先端の外径は0.2㎜/ 「痛くない注射針」は2005年度、グッドデザイン大賞を受賞した。

美味しい食事処の下調べから成功を導く

 実は、岡野さんは自分で図面を引かない。だが、一度見た図面はすぐに理解し、覚えてしまう。「岡野の目はコピー機。大事な図面は見せるな」と同業者に揶揄されるほど、類まれな技術力と観察力を誇る。しかしその根底には、何くそ、という思いがあったのだ。実際、学校の勉強は苦手だが、若い頃、人に薦められた高価な英語の技術書を手に入れ、その一冊を丁寧に読みこんだこともあるそうだ。むろん、英語は読めない。
「だけど不思議なもんでさ、職人だから、図面を見ればわかるんだよ。あれは勉強になったね」
 ただしそれだけでは「優秀な技術屋さん」で、今のような名声と成功はなかったかもしれない。技術以外に「情報」をもたらす人脈力の質の高さをキープすることも大切、と自身の経営哲学を語る。
 岡野さんは人脈を「A、B、C」の3つに分類しているが、それは優先順位ではなく「種類分け」。各情報をつなげて、ビジネスに活かすことがキモだ。
「でも、情報をネコババしてはダメ。WIN-WINで活かさないと、質のよい情報が入ってこないし、人も離れていくからね」
 そのために岡野さんは、例えば、仕事相手と訪れる食事処の下調べを怠らない。美味しい食事と楽しい時間を共有することで、「人の気持ち」を見抜く。その訓練にもなるからだ。つまり職人であり、マーケッターであり、心理学者でもあるからこそ、岡野さんは40数年前から「不可能を可能にする男」であったのだ。「次」に仕かける商品も、そうした不変の「やり方」が功を奏して誕生した、人々があっと驚く物らしい。
「発表を楽しみにしててよ」
 そう豪快に笑った。

「深絞り」の技術を活かし、薄い金属を極限まで丸めていく過程がわかる見本。これが岡野さんの技術の基本だ。


Masayuki Okano
1933年東京都墨田区生まれ。岡野工業代表社員。父から金型技術を学び、'72年、家業を継いで岡野工業を設立。「誰にもできない仕事をする」をモットーに、金型とセットで行うプレス事業も手がけ、業界の風雲児に。社員は5名。78歳の現在も毎日、工場に立つ。

Text=中沢明子 Photograph=相良博昭


*本記事の内容は11年10月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい