メディアとフレンチの料理人をつなぐ須山泰秀~元NHK立岩陽一郎のLIFE SHIFT㉗

ミシュランの星を争う料理人の世界をリアルに描いていると評判のテレビドラマ『グランメゾン東京』(TBS系列)。こうした料理を扱うテレビ番組には、プロの料理人らが関わることが普通になっている。今回のLIFE SHIFTの主人公、須山泰秀は、長年、テレビ局と料理人との接点となってきた人物だ。テレビドラマ「グランメゾン東京」では、主人公、木村拓哉のライバルとして重要な役を担う尾上菊之助に料理のアドバイスもしている。須山がこういう役割を担うまでにどのようなLIFE SHIFTがあったのか?そして須山は今後、どのような役割を担おうとしているのか?


『グランメゾン東京』にもアドバイス

「3つ星のレストランって、実際にどのくらいプレッシャーを受けるものなんですか?」

2019年夏、大阪・西天満の中華料理屋。今回のLIFE SHIFTの主人公である須山泰秀は、歌舞伎俳優の尾上菊之助からそう尋ねられた。尾上はご夫人を伴っており、和やかなディナーだった。

後述するように須山はパリの3つ星、2つ星レストランを食して回った経験を持つ。須山はこう言った。

「凄いプレッシャーです。これまでに3人がそれに耐えられずに自殺していますから」

和やかな時間が一瞬止まった。

尾上が更に問うた。

「2つ星と3つ星って、実際の料理ではどのくらい差があるんですか?」

和やかな時間を止めたことにいささかのためらいを感じつつ、須山は答え続けた。須山は、尾上がそれを求めていることを知っているからだ。

「実際に、料理に差があるわけではありません。差が出るのはサービスです。食器、給仕、ワインなど、料理を引き立てる全てのもので差が出ます」

そのために融資する金融機関もあるが、3つ星シェフは当然、その返済にも責任を負う。それらが他店との競争と相まって大きなプレッシャーとなってのしかかり、そして自殺者も出る……須山は自身が知るフランス料理界について説明を続けた。

まだ、『グランメゾン東京』が制作に入る前のことだった。番組で、木村拓哉演じる主人公のライバルとして登場する尾上が更に詳しく問うたのは、ある料理の方法についてだった。須山は「フランス料理のなぜに答える」(柴田書店)を翻訳している。これは、フランスの科学者エルベ・ティスの著作で、いわゆる「分子料理」と呼ばれるものを紹介している。

分子料理とは、食材の分子に影響を与えて新たな料理を生み出す手法の総称だ。例えば、液体窒素でフォアグラを瞬間冷凍して、それをすりつぶして用いるなどがそれで、料理に化学を持ち込んだものだ。

ドラマをご覧になられた読者にはピンとくるだろう。尾上がシェフを務める2つ星レストラン、Gakuが取り入れている調理法だ。

勿論、尾上は自身の役柄やドラマの筋立てについて多くを明かすことはなかった。須山もそれは求めることはない。須山は、頷きながら聞き入る尾上に知りうる限りを語った。

須山泰秀、67歳。大阪の辻調理師専門学校(以下、辻調)で長く企画畑を歩んできた。料理人ではない。主にメディアとの窓口を担当した。料理や料理人を扱ったテレビや映画は多い。その多くに、須山は辻調のマネージメント担当として関わってきた。

NHK『グレーテルのカマド』では、辻調のパテシェとともにスタジオにはりついて番組の制作に立ち会っていた。この番組を知る人には説明は要らないだろうが、主人公のヘンゼルを演じる瀬戸康史がカマドとの会話の中でひとつの料理を作っていくという番組だ。

その日その日で様々なスイーツに挑戦するのだが、最後はきれいに完成する。実は、この時に、カマドが行うアドバイスの多くが、その場で料理人が出すアドバイスなのだという。

「一日に二日分撮るんですが、パテシェがぴったりとくっついてアドバイスをするんです。緊張感ありますよ」

その場で須山が何か言うということはない。あくまでもマネージメントが仕事だからだ。

「僕自身はその場で何をするということはないんです。ただ、全体を見て誰を出すとか考えないといけないので、その場での立会を大事にしていました」

須山泰秀との出会い

私と須山の付き合いは2011年に始まった。アメリカ留学から戻り、NHKで国際放送局のデスクになるまでの数か月、私は自由な立場で取材をしていた。

その時、食や文化といったこれまで全く意識していなかった分野について学ぼうと、辻調を訪ねたのがきっかけだった。

須山はそこで企画担当として、メディアとの窓口をしていた。最初は業務に関する打ち合わせでしかなかった付き合いだったが、どことなく俳優の竹中直人に似た風貌と、たまに見せるフランスの食文化に対する深い知識に惹きつけられた。すぐに個人的な付き合いに発展した。

ただ、私がNHKを辞めて暫くは連絡が途絶えていた。これは私自身の問題で、もともと人付き合いの良い方ではない上に、人と会うという余裕がなかったからだ。暫くして、書店が開いてくれた私の講演で須山が最前列に座っていた。

「おお、須山さん」

「ご無沙汰しています」

講演が終わって話をすると、既に辻調は退職しているとのことだった。

「それでどうするんですか?」

「ええ、今ぁ……」と、嬉々として話し始めた須山。それに触れる前に、須山のそれまでについて書いておこう。

須山泰秀のLIFE SHIFT フランスへ

生まれは大阪の箕面市。府立高校を出て、東京の成城大学文学部の仏文科に進む。映画が好きで高校時代は映画研究会に所属していたが、そこで政治の洗礼を受けたという。

「僕らは70年安保闘争の残り火の中で育ったもので、映画研究会なんかも政治的に先鋭化した奴なんかも多くいたわけです。それで、僕も大学に入ったら学生運動でもしようと考えていた」

ところがそう思って受験した国立大学に入れなかった。ちなみに成城大学は東京の裕福な家の子女が行く大学だ。学内に学生運動といった雰囲気はない。

「どうしてもその軟弱な感じが合わなかった。意を決して2年の末に学校を辞めました。大学そのものというより、日本を出たいという思いが強くなっていました」

須山の家は普通のサラリーマン家庭だったが、よほどできた両親だったと見えて、この須山の判断に一言も口を挟まなかったという。

「で、どこへ行くか? あみだくじで行く先を決めようとやったらフランスと出たんです」。

バイトをして金をため、シベリア鉄道のチケットを買った上で両親に、「フランスに行く」と伝えたという。

「両親はさすがに驚いていましたけど、反対しても無理だとわかっていたのでしょう。『2年くらいは金を出してやるから』と言ってくれました」

須山、20歳でのLIFE SHIFTだ。

そしてシベリア鉄道でモスクワ着。モスクワから飛行機でウィーン。ウィーンから再び汽車でパリの東駅に着いた。

パリ市内の安宿に入ると、廊下が慌ただしい。後で知るのだが、そこは娼婦宿と呼ばれる連れ込み宿だった。ベッドのスプリングも緩んでハンモックの様な状態。それでも、パリにいる高揚感に胸を躍らせたという。

「先ずは大学に入らないと……」

と事前に調べていた手続きを行う。フランスは全てが国立大学で、日本でも最近知られるようになったインターナショナル・バカロレアが入学資格となる。

「高校の評価が良かったのか、高校の卒業証書を翻訳して持っていけば、バカロレアと同等とみなしてくれると言うので、大学の総合事務局のようなところに行きました」

CROUS(クルス)と呼ばれる場所で、須山は、そこに卒業証書を提出。しかし、大学で仏文をやっていたとは言っても、とてもフランス語で講義を理解するレベルではない。

先ずはパリ大学付属の言語講座に通い、そこでレベルを上げてから本科、つまり大学への入学を許されたという。

須山、20歳。パリ第三大学で演劇論を学ぶ。しかし、これは大変だった。

「フランス語は肌に合ったというか、耳にあったというか、直ぐに習熟しました。だから講義は理解できたし、面白かったんです。でも、課題の論文が難しかった。どうしても我々のフランス語は接続詞を多用してしまうんですが、こういう文章は全てはねられてしまうんです。『それは正しいフランス語ではない』と言われて」

大学には3年籍を置いたが卒業はできなかった。だが、帰国はしなかった。日本人が海外に関心を持ち始めた70年代のことだ。フランスについて書くよう求めるバイトが日本の出版社から来るようになっていたからだ。

「いろいろでした。イッセイミヤケやケンゾーのプレタ・ポルテの記事を書いたり、パリの観光の本を出すというのでパリを取材して書いたり……」

26歳までそうやってパリを謳歌した。ところが、母親が体調を崩す。迷惑をかけた両親への思いもある。そして帰国。

その帰国が、須山に次のLIFE SHIFTを招くことになる。母親の知人が辻調の代表で食文化の研究家として知られた辻静雄を知る人物だった。

「辻さんのところだったら、せっかくのフランス語を活かせるんじゃないか」

当時は食に全く興味のなかった須山だが、辻という存在には興味があり、その門を叩いてみる。

「辻静雄ら幹部が座っていて、そこでフランス語の本を見せられて、『口頭でいいから訳せ』と言われたんです。さほど難しい内容でもないのでスラスラと訳したら、『で、あさってから来るか?』となった。

辻調では、学術出版部に配属され、そこでフランスの料理本の翻訳などを担当。そして1980年に辻調がフランス校を開校。フレンチを学ぶ日本人学生に本場で修行してもらう施設だ。須山はその立ち上げメンバーとして訪仏。リヨンの郊外、ブルゴーニュの南、ボジョレーのど真ん中という食文化の中心地で6年間を過ごす。

その時、須山は学校の命でパリの3つ星、2つ星レストランをめぐる。

「シャンゼリゼの近くに、ラセールという3つ星の店があって、パリ大学の学生の頃、フランス人の友人と店の入り口でメニューを見て、どうやったらこういう店で食べることができるのかと議論していたことがあるんですけど、実際に食べることになるとは思いませんでした」

ただ、業務なので、時には昼も3つ星、夜も3つ星ということもあったという。しかも、その店の料理は勿論、サービスも吟味しながら時間を過ごさねばならない。あたかもミシュランの採点者になったような心持だ。

「やはり業務で行く場所ではないですね。誤解を恐れずに言えば、ちょっとした苦行でした」

しかし、その時の経験は、冒頭の尾上へのアドバイスなどで確実に活きていることは間違いない。

1986年に帰国。そして辻調で最後の仕事となる企画部へ。ここは、宣伝や広告などを担当する部署。高校時代に映画研究会、成城大学で仏文を学び、パリ第三大学で演劇を学んだ須山の経歴がここで開花する。

テレビや映画との窓口だ。先ずは、映画『おかんの嫁入り』。料理人が主人公のこの映画で、料理の監修、料理人の演技指導を辻調が担った。その窓口役を須山が担った。

その後は、テレビドラマ『信長のシェフ』、剛力彩芽主役のドラマ『グ・ラ・メ』、天海祐希主演の『シェフ』、映画『侍プリン』など次々に、テレビ、映画の世界に料理人を関わらせる役割を担っていく。

「辻調としての本来の仕事ではないのですが、ある意味、宣伝としてはとても良いものになったのも事実かと思います。それに、面白かった。テレビ局にはテレビ局の要望があり、それにどう応えるかを考えるんです」

須山泰秀の新たなLIFE SHIFT 食の発信

あっと言う間の辻調での約40年だった。そして2017年3月に辻調を65歳で退職。しかし、普通の年金生活に入る気はない。

すぐに大阪市内に事務所を確保。新たな取り組みを始めた。それはパリで最初に始めた仕事……取材して書くというものだった。

「家で仕事はできないんですよ。仕事場が必要なんです」

そして今、須山は新たなLIFE SHIFTに挑んでいる。それは、辻調で培ってきた食の発信。特に、大阪の食の発信だ。大阪の食を様々な角度から全国に発信したいと考えている。

「食の発信というのはいくらでもあるわけですが、特に食と人、土地をつなげて発信したい」

どういうことか?

「食には様々な人が関わるわけで、そういう人にスポットをあてて複眼的に大阪の食を発信していけないかと考えている」

大阪にこだわりたいとも話す。

「例えば、大阪のフレンチレストランで食事をした後、そこのシェフに、『どこかほかに良いフレンチありませんか?』と尋ねるたら、『ああ、あそこに……』と普通に教えてくれます。これは東京ではないんです。やはり大阪は人のつながりを大切にする。そういう食と人との関係を発信したいと考えています」

須山にとって3度目のLIFE SHIFTとなる。須山にとって、LIFE SHIFTとは何かと問うと、「自分の興味の方向に向かうこと」と言った。

「自分の興味の方向に向かうことは必要です。好奇心がなくなったら僕は終わりだと思っている。自分がやっていて面白くないことはやりたくないですし。例えば、面白くないことは、時として、やり方を変えれば面白くなる。それを常に考える。それがLIFE SHIFTだと思う」

㉘に続く

>>>シリーズ「元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT」

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立岩陽一郎
立岩陽一郎
調査報道を専門とする認定NPO「インファクト」編集長。一橋大学卒業。NHKで初めて戦場特派員としてイラク、クウェートを取材。社会部記者、1年間の米国留学の後、国際報道局デスクを経験するなど華々しいキャリアを築くも「パナマ文書」の取材を最後に49歳にしてNHKを辞職しその翌日渡米。現在は公益法人「政治資金センター」理事や毎日放送「ちちんぷいぷい」のレギュラー・コメンテータ、ニュースメディアへこれまで培ってきた報道の世界の鋭い目線で記事を提供するなど活動の幅は多岐に渡る。著書に「ファクトチェック最前線」「トランプ報道のフェイクとファクト」「NPOメディアが切り開くジャーナリズム」「トランプ王国の素顔」、共著に「ファクトチェックとは何か」「フェイクと憎悪」がある。
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