成功する経営者はやっている!? 驚異の呼吸法ロングブレスを発案した美木良介とは何者か?

大汗をかきながら、真剣になって深く息を吸い、胸を張る。まずは金剛力士を彷彿とさせる力強き男たちの勇姿をとくとご覧いただきたい。いずれも百戦錬磨の経営者揃いだが、彼らが心酔し、多忙な時間をやり繰りして通うのが“ロングブレス”の考案者・美木良介氏のスタジオである。お腹を凹ませ、強く長い呼吸を繰り返しながら身体を動かす。かくもシンプルなトレーニングが、なぜここまで男たちを熱狂させるのか? 考案者の美木良介とは何者なのかーー。

経営者から絶大なる“信頼”を得ている美木良介

ロングブレス考案のきっかけ、それは人生のどん底から始まった。

30歳の頃、過度なトレーニングで腰を痛め、その後痛みを抱えながら映画・ドラマで活躍。しかし50歳を過ぎた頃、身体は限界に達した。

「痛みが激しく、撮影現場に行くのもやっと。俳優の仕事どころか、これから生きていけるのかと最悪な状態でした」

先が見えないなか、支えてくれたのが奥さまの奈菜子さんだ。

「苦しい時期に妻がマンションを購入したんです。普通なら、これからどうするの? となるはず。でも『逆境のほうが美木良介は力が出るはず』と僕を鼓舞し信じてくれた。妻のためにも絶対に腰を治すと誓ったんです」

ロングブレスで筋肉をつけた身体は、基礎代謝量が増え、たとえ同じ体重でも肉体が引き締まり食べても太りにくい体質になる。ダイエットのみならず、アンチエイジング、腰痛や肩こり解消、免疫力アップ、生活習慣病予防など、健康面にも効果が。

あらゆる治療を施すなか、痛みで動けない身体でもできるとたどりついたのが呼吸法。自ら呼吸関連の本を読みあさり、インナーマッスルを鍛える呼吸法“ロングブレス”を独自に編みだす。その結果、腰痛は1ヵ月半で解消、しかも身体は自然にマイナス13㎏も絞れていたのだ。

そして今、彼のロングブレスにハマり、身体を預けるのが数多の経営者たち。美木氏が運営するスタジオに足繁く通うその理由を聞けば、口を揃えて言うのは「確実に結果がでる」ということ。超多忙な経営者にとって、それはまさに最も効率のいい健康への道だ。対する美木氏も「皆さんの健康を守り、その人にとって最高の結果を届けたい。それが僕の使命です」と徹底的にサポートする。

ロングブレス考案から10年、自らも経営者となり50代から新たな人生に。周囲の反対のなか、無謀なようでそれは必然だったと美木氏は振り返る。

「俳優人生も味わった挫折も、これまでの経験すべては、ロングブレスをやっている今の自分のためだったと思えるんです」

ある経営者は言う。

「常に全力で尽くしてくれる。だからこちらも全力で取り組まなくてはという気持ちになる」

美木氏もトレーニングする者たちも、スタジオにいるその瞬間は、本気で自分自身の生身の力を出し尽くす。そこにあるのはお互いの全幅の信頼と確実な結果だ。脳梗塞の後遺症をロングブレスで劇的に改善した石原慎太郎氏の「命を預けます」という言葉こそ、その信頼の最たる証なのではないだろうか。

どんな肩書があろうといくつになろうと、ロングブレスで誰もが求める健康な身体へ導く。その使命を自らに課した男、それが美木良介なのだ。

「ロングブレス」とは、美木氏が考案した強く長く吐く独自の呼吸方法と、トレーニングを組み合わせることによってインナーマッスル(深層筋)を鍛え、効率よく筋肉量を増やして、脂肪を減らす運動。

ロングブレスで列島を席巻した美木良介の63年史

俳優・歌手、そして呼吸法を発案。日本列島にロングブレスブームを生み出した美木良介。成功にいたるまでの苦労と挫折、そして勝機を振り返る。

【1957年】兵庫県姫路市の寿司店に生まれる
3兄弟の長男で、妹と弟がいる。実家の寿司店には、巨人の王 貞治氏、のちに芸名の名付け親となる阪急ブレーブスの山田久志氏など、野球選手が数多く来店。「王さんに好きな選手を聞かれ、正直に長嶋茂雄って言っちゃったんです(笑)。でも嫌な顔をせずに、球場で本当に長嶋さんに会わせてくれたんですよ。それ以来、王さんひと筋です」

オールジャパンのユニフォームで。

【1967年】プロ野球選手になるため父の猛特訓が始まる
小学校5年生の時、将来の夢を聞かれ「プロ野球選手」と答えたら、次の日から父の猛特訓が開始。「毎朝登校前に走り、放課後も練習。友達と遊んだ記憶がないんです」。その甲斐あって、リトルリーグではオールジャパンに選抜。高校時代には、甲子園に2回出場を果たした。

【1981年】挫折が新たな道を拓く。俳優・歌手としてデビュー
法政大学社会学部に入学後、野球で将来を嘱望されていたが、ひじの故障のためやむなく断念。「僕をプロにさせたかった父が『良介、野球だけが人生じゃない』と一言。涙が止まらなかったですね」。卒業後、人に勧められて応募したレコード会社のオーディションになんと合格。「涙きれいだね」で歌手デビューが決まる。またレコードの撮影のため立ち寄った東宝撮影所で、数々の青春ドラマを演出していた土屋 統吾郎監督にスカウトされ、ドラマ『ただいま放課後』で俳優としてもデビューすることに。同時期に、大ファンである王氏を題材にした『王 貞治物語』出演の話もあったが、最終選考まで残ったものの、残念ながら不合格に。

NHK『心はいつもラムネ色』(1984年)

【1984年】映画デビューで出演依頼が続々
憧れだった勝 新太郎氏に認められ、勝プロ系列の事務所に所属。勝氏に会った後、事務所にはすでに台本3冊(映画1本とドラマ2本)が届いていたという逸話も。このころから、映画やドラマへの出演が続々と決まる。映画デビューは、奇しくもかつて熱中していた野球を題材にした『瀬戸内少年野球団』。NHK連続テレビ小説『心はいつもラムネ色』にも抜擢、主役4人のうちのひとりを好演した。

【1988年】過度なトレーニングがたたり腰を痛める
NHK大河ドラマ『武田信玄』で戦国武将を演じるため大きくした身体を、トレンディドラマの役に合わせるため1ヵ月で12kg減量。ベンチプレスなど毎日4時間以上の過度なトレーニングにより、腰痛を引き起こす。以来慢性的な痛みを抱えることに。

日本テレビ『…ひとりでいいの』(1992年)

【1992年】大人気ドラマ出演で女性ファン急増
当時流行していたトレンディドラマにも数々出演。なかでも、極道ながら優しさを秘めた主人公の兄を演じた『…ひとりでいいの』で、その人気は決定的に。アイドルの安室奈美恵さんもこのドラマで「美木さんの大ファンになった」と公言。

アルバム『同じ景色を見つめた日』(1996年)

【1996年】音楽活動を再始動さらなる人気を博す
このころから音楽活動も再始動する。シングル『愛が震えてる』をはじめ、アルバム『同じ景色を見つめた日』のリリースや全国各地でのディナーショーなど、超多忙な日々を送る。

【2001年】人生の分岐点は奈菜子さんとの結婚
10歳年下の元OL、奈菜子さんと結婚。腰痛でどん底の時期、敢えてマンションを購入し、逆境でこそ燃える美木氏を鼓舞した奈菜子さん。「僕にとって、間違いなく人生のターニングポイントです。スタジオ運営はもちろん、ホームページの作成も彼女によるもの。会員のためになればと酵素栄養学を学んだり、ファスティングや、脳を活性化させるアクティブ・ブレインという資格も取得して、スタジオで教えたりしている。妻のサポートなくして今の僕は存在しません」

『行動隊長伝 血盟』(2003年)
テレビ朝日『子連れ狼』(2004年)

【2003年】経験と年齢を重ね俳優としての深みを増す
2000年以降はTVとともに映画にも多数出演。三池崇史監督の任侠アクション『鬼哭 kikoku』やテレビ朝日のドラマ『子連れ狼』など、極道・任侠ものや時代劇といった年齢を重ねてこその役柄で活躍。

【2011年】累計215万冊を突破! 初代ロングブレスシリーズで大ブレイク
自ら編み出したロングブレスがテレビにも取り上げられ、ダイエットをテーマに本を出版。瞬く間に日本に一大ムーブメントを起こす。当時3冊を出版し、合わせて200万部超えの大ベストセラーに。

『DVDでよくわかる!120歳まで生きるロングブレス』
美木良介著
幻冬舎/¥1,600
ダイエットや身体を鍛えるだけではなく、アンチエイジングの観点でロングブレスを伝授。呼吸による代謝アップや血流の改善は、生活習慣病や認知症の予防にも。脳梗塞の後遺症で歩行機能が低下していた石原慎太郎氏は、このメソッドで1年も経たず普通に歩けるように。長寿体質をつくり、いつまでも健康で楽しく人生を走り抜くための必携本。

『ジャパネットの社員が毎朝実践するロングブレス1週間即やせプログラム』
美木良介著
幻冬舎/¥1,600
ジャパネット髙田旭人社長の依頼で、テレワーク中の社員のためにメソッドを開発したところ大反響。急遽発売となったのがこの本。「コロナに負けない免疫力のアップ」「肩こり・腰痛改善」「心も健康になる」「誰でも簡単に続けられる」ことをベースに、10分のトレーニングと3分のマインドフルネスを行う1週間。未曽有の社会変化をものともせず、即やせボディが手に入る、最強のプログラムを紹介している。

ロングブレススタジオ
住所:東京都港区赤坂2-12-13 UHA味覚糖赤坂ビル2F
TEL:03-6441-2559
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Direction=島田 明 Text=牛丸由紀子 Photograph=片桐史郎(TROLLEY)Hair&Make-up=馬地絵美