市川海老蔵 絶対を超えるものを探し求める、突き抜けた男

男も30代半ばになればいろんなことがある。結婚したり人の親になったり。大きな成功も失敗も味わい、胃に穴が開きそうな思いもし、辞表を叩きつけたくなることも数知れず……。それが歌舞伎俳優、市川海老蔵という男の顔を作っていくわけだが、この数年、常人の何倍もの浮き沈みを味わったであろうに、この男は相変わらず不敵な顔でいる。何を考えていやがるんだ、こんちくしょうだが、それは彼がえらく遠く、“絶対”というものの向こうを見ているからだった──。

 一昨年の秋、ワイドショーにおける彼は、まあ、なんと言うか、見事なサンドバッグ状態だった。梨園の超御曹司なのにやんちゃな面構えで、出る公演を次々満員御礼にし、仕上げに“マドンナ”まで娶った。そんな男が騒ぎを起こしたのだ。こんな面白いことはない──というところではなかったろうか。
 そもそも突っこみどころが多すぎなのだ。役者としても男としても発展途上であるにもかかわらず、本音しか言わないから角も立つし敵もできる。ノーガード戦法のボクサーに似ていなくもない。
 相当なダメージを受けたはずだ。にもかかわらず戦法を変えない。そういう男。だからなのか、彼と話しているとどうしようもなく思い知らされることがある。見ているポイントが違う。えらく果てしないところをこの男は見ているのではないだろうか、と。
「いや、先のことなんて何も考えてないですよ。歌舞伎の場合、2、3年後まで予定が決まっていますから、その中で、あれをやりませんか、こういうのはどうだろう……ということは考えるけれど。面白いものを生みだすのはひらめきでしょう。誰かと話していたりする中で、それ面白い!ということがあって、ならばこうしてああしてと始まる。ひとりで考えても舞台は立体化できないんです。決まってもいないものをひとりでうじうじ考えるのは自己満足。そういうのは僕は好きじゃないです」
 あの長い休みの間に将来の自分、歌舞伎についても考えてみましたなどと言って、お茶を濁すことを彼はしない。しかも、では休みの間は何をしていたのかという問いにこう答えた。
「寝てました」
 ううむ、あくまでノーガード。だが、この「寝ていた」は、後に思いもよらない話につながっていった。

『八月花形歌舞伎』
『伊達の十役』は夜の部に上演。十役を演じる海老蔵は、仁木弾正が妖術を使って去る場面で、宙乗りも勤める。昼の部は四世鶴屋南北作の名作『桜姫東文章』。因果に囚われ、初めての男を追って遊女にまで身を落としていく桜姫を描く。桜姫は中村福助、釣鐘権助は市川海老蔵、清玄は片岡愛之助。

市川海老蔵、猛スピードで走る

 この8月、彼は『伊達の十役』に出演する。仙台藩で起きた御家騒動を題材に、10人の善悪男女をひとりの役者がくるくると早替りで演じて見せる芝居だ。もちろん、その十役を演じるのが市川海老蔵。
 さかのぼれば彼の祖先である七代目市川團十郎が作った芝居なのだが、近年は三代目市川猿之助(現・市川猿翁)が復活させて当たり役としていた。それを2010年1月に三代目猿之助の指導を受けて海老蔵が演じた。歌舞伎の革命児と呼ばれた三代目猿之助だが、その祖先は、團十郎家の門弟。宗家の御曹司が弟子筋に教わることを珍しがる人もいたが、彼は意に介さず、大当たりをとった。今回はその再演である。
「7月に猿翁さんと初めて共演したんです。あれは嬉しかった。8年前に病に倒れられて以来、舞台に出ていらっしゃらなかったでしょう。とても残念に思っていたのです。それが今回、襲名ということで復帰された。その舞台にご一緒できたのですからね。『伊達の十役』の再演についてもご意見をいただいたので、少し変えました。でもね、2回目というのは本当に難しいんです。初めてなら無我夢中にやって、あとは天運。再演はそれがうまくいったから実現することで、となると絶対的に初めての時より完成度が高くなければお客様は面白いと思わないんです。とにかく落とし穴が多い。十分に気をつけてやらないと」

 この『伊達の十役』もそうだが、海老蔵襲名後、勢いに乗った彼には、上演時間が4、5時間かかるような大きな芝居を任される機会が増えた。しかもそれらは定石のある古典ではなく、さまざまな工夫やアイデアを必要とする復活作品や新作だった。
 '08年の『雷神不動北山櫻』、'09年の『石川五右衛門』。いずれも大当たりし、短期間に再演が繰りかえされた。猛スピードで走る海老蔵。そこにあの騒動が立ちふさがった、という印象があるわけですよ。
「いや、ある意味、あの時に立ち止まって良かったんだと思います。なぜ、そうせざるを得なくなったかは別としてだけど。自分が手がける新作が成功したのは嬉しかったけれど、同時に危うさも感じていたんです。本来、僕がやりたいのは古典を楽しんでいただくこと。そのために新作を手がけたり、海外公演をやってみたりということがある。でも、新作を立て続けにやると、お客様の感覚がより刺激的なものを求めるようになる。そうなると、古典が物足りなく感じられてしまう危険性があるじゃないですか。それは自分の目指すところではありません。どこかで1回止まらないと自分は長続きしない。そう確信していました。ああいう形で休まざるを得なくなったわけですが、であれば、自分をきっちり見つめ直し、自分ができることをしっかりできるようになって戻らなければならない。そういう実感は確かにあったと思います」

新しいものをつくることだけが新しさではない

 そもそも歌舞伎における新しさとは何なのだろうか。
「そこなんですよ。新しい作品を作ることだけが新しさなのか。秋に薬師寺で歌舞伎公演を演ります。それから同じ題材を扱った能と歌舞伎を同時に上演するという公演も全国で演る。『勧進帳』とか『連獅子』とか、歌舞伎には能を元にして作られた作品がたくさんあります。その両方をいっぺんに見ていただくんです。そういう見せ方はこれまであまりなかったんです。作品は超のつく古典だけれど、見せ方が新しい。それも新しい歌舞伎ということなのではないかと。でも、初代團十郎が今の僕らを見たら、何やってんだ!?と言うかもしれません。こんなにいろいろ面白いものがあるのだから、面倒臭いことを考えずに取り入れてやっちゃえよ、とね。元祖はいいですよね。斬新さの塊でいられる」
 伝統ってものと格闘しているのだろうか。
「そうね。だから超光速ニュートリノの一件が撤回された時は、もう本当にガックリ来た」
 はい?
「いや、だからニュートリノが超光速で飛んだというニュースがあったじゃないですか。あれを聞いた時、天地がひっくり返ったんです。アインシュタインが否定されかねないことが起きるんだ。ならば、絶対というものは世の中にないんだ、とね。歌舞伎は定石のある世界だから、絶対とされているものがいろいろあるんです。納得できなくても定石は絶対。でも光より速く飛ぶものがありえるのなら、それだって絶対ではないと言えるかもしれない。僕、本当にしばらくの間、ニュートリノに支えられていたんです。それなのに、少し前にあの実験は間違いでしたと発表されたでしょう。愕然としました。ドラえもんもあながちフィクションではないんだなと想像が膨らんでいたのに、結局、定石はどこまでいっても絶対かと。がっかりです」

『世界遺産 薬師寺 奉納 歌舞伎舞踊公演』
奈良古典芸能フェスティバルの一環として行われる公演。『橋弁慶』は牛若丸と弁慶の、五条橋での運命的出会いを描く舞踊劇。弁慶を海老蔵、牛若丸は中村壱太郎。『春興鏡獅子』は新歌舞伎十八番のひとつ。小姓弥生と獅子の精を海老蔵が艶やかに雄壮に踊る。

 時々、こういうとんでもないスケールの思考を彼は披露してくる。君の思考こそ、と思ったりもするわけだが、とにかく、いつか、別の形で超光速が計測される日が来ないとも限らないので、そんなにがっかりしないように。
「人間がこの世界のすべてを知っているわけではないですからね。元素だって確認されているのは110いくつでしょう。でも、きっと170や180はあるんです。つまり僕らには見えないもの、認識できないものが周りにいっぱいある。科学とは別の次元だけれど、それをひとつでも、これだ!と明らかにする気持ちで舞台に取り組んでいるつもりです。でも、人間は盲点だらけの世界に生きているんだと自覚したほうがいい。僕らは非常に愚かなんです」
 それは海老蔵さんもですか。
「もちろん。この宇宙全体を見ている“誰か”からしたら、僕らはDNAを運ぶ箱でしかない。アインシュタインも実験マウスもみんな。所詮そんな存在なのだから、賢がったって仕方ないでしょう。馬鹿になって、知らないものを探索するほうがよほど面白い。芸術はまさにそれです。だから非常に楽しい職業だなと思えるんです。科学が見つけられないもの、認識できないものを解決するのは、芸術でしかないんじゃないでしょうか」
 だってね、と彼の思考はさらに飛んでいく。
「人間の遺伝子配列は99.9%が同じなわけでしょう。個性だとか外見、能力の違いは残りの0.01%が決めているに過ぎない。人格なんてコンマ以下の話。その中で争ってもたかが知れているじゃないですか。逆に言えば、たかがなことなのだから、難しく考えずに思いきりやればいい。そのほうがよっぽど楽しい。僕はそう思います」


ふとよぎった娘の顔

 生身の彼はどうなっているのだろう。昨年7月には長女も誕生して、父親になったわけだし。
「変わった自覚はないんです。でも5月に『寺子屋』の源蔵を演った時に、自分の子供の顔が浮かんできて、うわあと思ったことはありました」
『菅原伝授手習鑑』の名場面、『寺子屋』の武部源蔵は、主君の子の身代わりにするために、苦しみぬいて他人の子を殺す。
「源蔵は泣いてはいけないんです。なのにポロッときてしまった。以前は、気持ちを積み上げていかなければ、源蔵の苦しみ、悲しみが表現できなかったのに、今回は抑えるのが苦労。そこは変わったんだなと思いました。でも、プライベートでの実感はないかな。よく泣くなあとか、僕に似た性格をしているなとは思いますけどね。興味があるものに対しては頑として意志を曲げないんです。そこは僕よりしつこいかもしれない」
 親になれば自分の親の気持ちもわかる。
「親って、時々言うじゃないですか。お前は赤ん坊のころ、いつも指をくわえて寝ていた、とかって。以前は父がそういうことを言っても何も感じなかったのに、今は、僕のことをちゃんと見ていてくれたんだなと感謝の気持ちが湧いてくる。男子なので、それを口にはしませんが」
 では妻君に対しては?                     
「それはもう、ありがたいという言葉しかないです。歌舞伎役者の嫁はやらなければならないことがものすごく多いんですよ。細々した人付きあい、旦那の世話、そのうえに子育て。それを彼女は全部やってのけてくれています。本当にすごいです。それだけに彼女がどれだけ彼女らしく生きていけるかは考えます。もっと遊べばいいし、仕事もすればいい。僕と結婚したら大変になったでは可哀想じゃないですか。彼女の人生がより美しく、楽しくあってほしい。それを切に願っています」
 驚くくらいストレートな妻への感謝の言葉。それはやはり、あの休みをともに経たからなのだろうか。
「家から出なかった数カ月間、自分のことのように悲しんで、ずっと一緒にいてくれましたからね。そこは頭が上がらないです。ま、僕のことなので、すぐに忘れてしまうんだけど(笑)」
 妻への感謝に重ねられていたけれど、あのことで彼がどれだけ苦しんだか、ほんの少し垣間見せた瞬間だった。それをすぐに引っこめたのがまた彼らしかったのだが。で、結局、あの数カ月間は何をしていたんですか。

夢で思考する。睡眠中に思考できれば時間を100%使える/歩いていて突然、芝生に寝転ぶ。なぜそうしたのか問うと「気持ちよさそうだったから」。大好きな蕎麦屋を出て歩いていると、何かの演目の唄の一節を歌い始める。脳を緊張から解放しているのだ。それは“力を抜く”ことにつながっている。

 「だから寝ていたんですよ。たまに掃除ぐらいはしたけれど、基本、ずっと寝てました。でも、それこそこれまでやりたくてもやれなかったことだったんです。人間、家で何もしないでいたら腐ります。空っぽになるんです。そうなって初めて、これまでどれだけ無駄な力が入っていたか、どれだけ無駄なことを考えていたかがわかりました。もちろん、時には力を入れることも必要だけれど、遮二無二やったのでは目指す地点には到達できない。般若心経には無という文字が最も多く出てくるくらいで、“ない”ことほど強いものはないんです。無になった時にこそ、その人の本当の才能がわかるんじゃないでしょうか。とにかく何もしないことで、たくさんのことを学んだ。あの時間はそういうことだったと思います」
 腐るほど寝たことで、何と身長が2センチ伸びたらしい。しかも、夢の中で自在に動けるようにもなったという。
「調子のいい時だけですけどね。天才にはロングスリーパーが多いんだそうです。で、夢の中で思考して、覚醒している間に行動する。それができたら時間を100%使えるじゃないですか。アインシュタインなんて、起きていたのは数時間らしいですから。自分もそうなれたらいいと思って、いろいろ試したんです。夢の中で自在に動くには、自分の足を確認すればいいんです。そうすると、自分を“個”として認識できる。難しいことではないです。だって、アインシュタインと僕らは0.01%しか違わないんだから」
 マイナスをプラスに変えて、彼はクリアになったらしい。で、これからどうします?
「いつか歌舞伎一本に絞る日が来るのだろうけど、まだ早いと思います。そうなったら古典作品に集中したくなるだろうから。そのくらい古典はよくできているんです。それだけにこう変えたらもっとと感じる部分もあるんです。でも、まだ僕にはそれができない。だから今はすべてやらなければいけないのかなと。ニュートリノが超光速で飛んでくれていたら、ガンガン行けたのかなと時々思いますよ。撤回が撤回されるなんてことは、ないですよね(笑)」

スーツ¥92,400(ビームスF)、シャツ¥36,750(ルイジ ボレッリ)、タイ価格未定(ブリューワー)、すべてビームス銀座 TEL:03-3567-2224

Text=矢口由紀子 Photograph=川口賢典(アナーキックエージェンシー)、鞍留清隆

*本記事の内容は12年7月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい