【知られざるヒーロー列伝】念願のジム開設  ~トレーニング界の伝説、遠藤光男 第10回

すごい男がいたもんだ! 話を聞きながら、昔流行した、ビールのコマーシャルのワンフレーズが、脳裏をかすめた。 遠藤光男氏、75歳。戦後、黎明期の日本ボディビル界を語る上で欠かすことのできない人物であり、まだ方法論が確立されていなかったウェイトトレーニングに、独自の合理的なメソッドを導入した、パイオニア的存在でもある。ここに示すのは、そんな知られざるヒーローの物語。  


芸能界とも幅広く交流

芸能界の方とも、トレーニングを通じて親しくさせてもらいました。日本一になる以前、22歳の時に、新しく蒲田にできたダイナミック・ボディ・ビルのコーチをやっていたことはお話ししましたが、それと並行して、クラーク・ハッチというアメリカ人が経営していたジムのコーチを頼まれて、やっていたことがあるんです。

ロシア大使館の横に、第一ホテルが経営していた、麻布タワーズというメイド付きのアパートがあったんですが、そこにクラーク・ハッチがジムを開いたんです。私の後に、チャック・ウィルソンもコーチで入ってきました。会員は男性だけで、70%は外国人、日本人は30%ぐらいでしたね。そこに芸能界の人が結構来てたんですよ。

若かりし頃の高倉健さんや、石原裕次郎さん、「ひょっこりひょうたん島」のドン・ガバチョの声で人気だった藤村有弘さん。彼とはよく飲みに行きました。川口松太郎、三益愛子夫妻の息子で、川口浩さんの一番下の弟の川口厚さんと親しくなって、家に招待されて遊びに行ったり……。野添ひとみさんとも会ったりしました。

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当時、青梅マラソンの30Kmレースにチャック・ウィルソンと一緒に出たこともありましたね。出場選手で体重90キロもあったのは、ふたりだけで、目立ちましたから、走っているところを、歌手の太田裕美さんなんかと一緒に、全国紙に取材されたんです。デカい写真が載りましたけど、見出しが「筋肉ゴリラ、マラソンに挑戦」ですからね……。

そのジムでは、会費の集まりが悪いと、クラーク・ハッチが「遠藤さん、会費集めに行ってきてくれ」と言うんです。住所書いてもらって、英語もろくにわからないのに、外国企業に集金に行くんですよ。そのほか一軒一軒にチラシを配ったり、ずいぶん働きました。

その頃に自分の練習ができなくて、また後楽園ジムに入会し直して、通っていた時期もありましたが、クラーク・ハッチは、僕が練習をやると、勤務時間外なのに「練習をやるな」なんて言っていたものです。

ジムの会員の人たちは、「遠藤さんとハッチさん、どっちが力が強いんですか」って必ず言うんです。最後は腕相撲で決着つけることになったんですが、みんな見ているから、ハッチに華を持たせて、わざと負けたんです。

そしたらハッチがその気になって、「ヘイ! 遠藤、アームレスリングどっちが勝ったか、みんなに教えてやれ!」って言い出した。我慢してたんだけど、次にみんなが集まったときに、思いっきりぶっ倒してやりました。敵討ちした。そんなこんなで、最後はそのジムをやめちゃったんですけどね。

錦糸町に自身のジムを構えて

24歳で初めてボディビルの日本一になって、念願の自分のジムを錦糸町に構えることができました。ジムの会員さんには、まず「週何回トレーニング来れますか?」と聞いて、「毎日来ます」という人には、毎日同じことやってはだめだから「1日おきにしなさい」とかね。「もし回数やるんだったら、分割法で分けてやりなさい」とか。そういう教え方をしていきました。

自分自身、1日中24時間ジムにいることができるわけだから、いろんなトレーニング方法を試してみましたね。たとえば分割法も、1日2回に分割する方法でやってみたり。月水金とトレーニングやるとしたら、月曜の午前中に胸の筋肉、午後は背中の筋肉をやる。水曜の午前午後、金曜の午前午後で、鍛える箇所をまた変えていく。1日約2時間練習するとして、それを午前と午後で1時間ずつに分けることで、それぞれ集中力が高まって、より強い刺激が筋肉にいきわたる。そういう練習の仕方も取り入れました。

自身のジム開きでボディビル関係者とともに乾杯。左の眼鏡姿が私。

ジムを開いた当時、実は家出少年がいっぱい集まってきちゃって、いつも5~6人寝泊まりさせていたました。お金が一銭もないから、ジムにみんなゴロ寝しててね。ある時、布団が送られてきて、「なんだ?」と思ったら、2~3日後に本人が来る、なんてこともありました。「すいません。ジムに寝泊まりして、弟子入りしたいんですけど」って。もちろん会費なんか持ってない。

そういう連中を、みんな飲み食いさせなきゃいけないでしょ。近所に夜中3時ごろまでやっているラーメン屋があったんですが、ジムを閉めてから、いつも行っていたんですけど、みんなついて来るんです。あの当時、月収が3万ぐらいでしたけど、そのラーメンのツケが毎月7万ぐらいありました(笑)。飲みに行くときも、みんなゾロゾロついてきちゃうんだ。そういうのが十何年も続きました。ずいぶん無駄なお金を使いましたよ(笑)。

第11回に続く

Text=まつあみ靖


第9回ボディビル世界大会で3位に


第8回 ボディビル世界大会珍道中 


第7回 ボディビル日本一への道 


遠藤光男
遠藤光男
1942年東京都生まれ。日本ボディビルディング界の第一人者で、24歳だった'66年のボディビル・ミスター日本となる。翌年に東京・錦糸町で遠藤ジムを開き、その年にはモントリオールで開催された世界選手権で3位に。三島由紀夫や勝新太郎とも親交があり、大相撲界、プロレス界など幅広い人脈を誇る。
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