メディアの誤報をチェックする弁護士 ~元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT㉔

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米。巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストが、さまざまな人の人生、ライフシフトを伝えていく。


新聞記者から弁護士、そしてNPOの事務局長へ

誤解を恐れずに言えば、「嫌な奴」だ。人の書いたものの間違いを指摘する。事実と違うのではないかとの指摘を瞬時に寄越す。

楊井人文(やないひとふみ)――堂々とした語りはかなりの経験を感じさせるが、実は39歳と若い。ジャーナリストであり弁護士、且つNPOの事務局長ということになる。今回のLIFE SHIFTの主人公だ。

楊井氏との出会いは2017年の春先だった。当時、私はアメリカで生活していた。トランプという得体のしれない大統領の誕生をYahoo!ニュースなどに書いていたのだが、そのYahoo!に、シャープな記事を書いている人物がいた。それが楊井氏だった。

「すごい人がいるなぁ。会ってみたいなぁ」

そう思っていた時、なんと本人からいきなりメールが来た。ファクトチェックの団体を立ち上げたいので一緒にやらないかという誘いだった。

ファクトチェックとは、公の人物や報道、ネットの言説などについて事実かどうかを検証する取り組みで、アメリカではかなり盛んに行われていた。勿論、私は重要だとは思ってはいた。しかし、お互い、全く相手を知らないわけだ。

面白い男だと思った。楊井氏は私を知らない。でも、私が書いたものを読んで、「こいつは志が近い」とか、「こいつに会ってみたい」と思った。そして躊躇なく接触する。敢えて言えば、幕末の志士なんかはこんな感じだったのではないか、とも思う。そこに一種のロマンも感じた。以後、やり取りが始まった。

楊井氏のLIFE SHIFTの数は、NHKを辞めたという私のレベルではない。最初は新聞記者を辞めて弁護士になる。そして弁護士になったと思ったら、ある団体を立ち上げる。日本報道検証機構だ。

ここまで考えて、あまり詳しく彼の経歴を聞いていないことに気づき、楊井氏の東京・麹町の事務所を訪ねた。事務所といっても、社会起業大学の施設を有料で使っているものだ。

「2002年に大学を卒業して産経新聞の記者になりました」

「他の新聞社やテレビは受けなかったんですか?」

「考えなかったですね」

産経新聞の記者になることしか考えなかったという。それは元来が保守的な楊井氏の思考とも関係するのかもしれないが、それよりも、大学時代に台湾の現代政治について学んでいたことが大きかった様だ。産経新聞は他の全国紙とは異なり、古くから台北に支局を置いて台湾での取材に力を入れていた。台北支局で取材したいという思いもあったという。

入社後にさいたま総局に配属。ところが、記者になって直ぐに幻滅する。

「サツ回りをさせられたんですが、サツキャップが挨拶代わりにゲンコツで若い記者の頭を殴るような人で……そういう新聞社の文化についていけない思いが強かったです」

いわゆる「体育会系のノリ」という奴だろう。楊井氏より11年前に大学を卒業してNHKの記者になった私にはわかるが、それが2000年代に入っても続いてたとは、少し驚きだった。勿論、産経新聞全体がそうだというわけではなく、たまたま巡り合わせが悪かったというのが実態だろうが。

そして産経新聞を辞める。しかし、それは「体育会系のノリ」が原因ではなく、2003年のイラク戦争をめぐる産経新聞の報道が理由だったという。

「あの時、産経新聞は読売新聞と並んでアメリカによるイラク武力行使を支持したわけですが、正直言うと、『これだけの根拠で?』という疑問しかありませんでした」

更に、決定的だったのは、学生時代に教えを受けた保守派の論客、西部邁氏の存在だった。西部氏はアメリカによるイラク戦争を批判。

「産経新聞が社説で西部さんを批判したのです。実名ではありませんでしたが、読めば西部さんであることはわかる書き方でした。是々非々で判断している西部さんを批判するに至って、『もうこの会社にはいられない』との思いが強くなりました」

その年の暮れ、2003年12月に会社を辞める。そして慶応義塾大学の法科大学院への進学を考える。弁護士になるためだ。しかし法律は独学だったという。大学時代に台湾の政治を学んだと書いたが、学部は慶応の総合政策学部だ。

「法律は学生時代、勉強していませんでした。ただ、記者になって司法担当をしていて、あらゆることに法律が絡むことに気づかされました」

そして弁護士の仕事を知る。

「ジャーナリストの仕事は書きっぱなしで、どうしても一歩引いてオブザーバーとして書く。しかし、問題を実際に解決する側、当事者に寄り添っていない。それを実務的に解決していく仕事が弁護士。その方が、自分に合うのではないかと思いました」

ここで面白いのは、楊井氏のその時の意識だ。法科大学院制度によって法律家になる人間は飛躍的に増える一方で、年を経る毎に狭き門になると予想。そこで一発勝負に賭ける。それも、大学時代に法律を学んだ学生向けの2年卒業コースを選んでいる。前述のとおり、楊井氏は大学時代に法律を学んでいない。かなり無茶な話だ。

「自分が弁護士になれるのは最短距離しかないと思いました」

時系列に並べてみよう。

2003年12月に産経新聞を退社。
2004年5月に既修者(法学部出身者)資格試験を受験 合格
2004年9月に慶応義塾大学法科大学院合格
2005年4月に入学
2007年3月に法科大学院を終了。
2007年の司法試験に一発合格。超最短ルートで合格。司法修習1年で弁護士登録。

ところが、と言うべきか、だからと言うべきか、最短距離でなった弁護士の職を自ら投げ出す。日本報道検証機構の立ち上げだ。何をするのか? 大手メディア、特に新聞の誤報の検証だ。

「きっかけは東日本大震災でした。根拠不明な情報が乱れ飛んだわけですが、新聞の誤報も多かったんです。何が正確な情報かに関心が集まった。必ずしも新聞、テレビはそこを伝えきれていない。誤報も流していた」

メディアの役割を監視する必要があると考えた。

「誤報を検証するということは誰もやっていなかった。それで、誤報を可視化することを考えたんです。どういう誤報が出ているということを記録として誰でも確認できるようにする。これは誤報だったのかと確認できるサイトをつくってみたらニーズがあるかと思った」

楊井氏は弁護士資格を得てしばらくして大手法律事務所ベリーベストに所属。全国に拠点を持つ国内有数の大規模弁護士事務所だ。そこの「ペーペー」が弁護士業務としては一銭にもならないことを始めるというから、事務所は面食らったことだろう。

ところが、事務所は楊井氏の行動を認める。更に、事務所内の施設も使わせている。ほとんど弁護士としての仕事をしていない彼を今も事務所は支えている。

楊井氏の立ち上げた日本報道検証機構はGoHooというサイトを運営した。誤報とYahooを掛け合わせたという。一般には知られていないが、マスコミの間ではかなり知られた存在だった。恐れられたと言っても良いかもしれない。

例えば、2016年に安倍総理がハワイの真珠湾を訪問した際、大手メディアの多くは、日本の総理大臣として初めての訪問と書いた。太平洋戦争勃発のきっかけとされる旧日本軍による真珠湾攻撃の記念碑を訪れたことは、オバマ大統領の歴史的な広島訪問への返礼とも言われ、大きく報じられた。ところが、それは「初めて」ではなかった。それを楊井氏が明らかにした。

「調べてみたら、吉田茂がサンフランシスコ講和条約の帰りにハワイに寄って真珠湾を訪れていたんです」

冒頭、「嫌な奴」と書いたが、新聞社から言わせれば、まさにそうだろうと思う。

「私は新聞が好きですし、新聞記者として過ごした日々については良い経験をさせてもらったと思っています。だから新聞には期待していますし、更に良いものになって欲しいと思っています」

楊井氏は、新聞社だけに厳しいわけではない。友人であるはず(?)の私の記事に対しても容赦しない。「それは本当なんですか?」と問うてくる。そして矢継ぎ早に「こういう事実もあるようですが?」と伝えてくる。腹は立つが、実に的確だったりする。納得せざるを得ない。

その楊井氏、実は再びLIFE SHIFTを実行する。関心は誤報の検証だけにとどまらなかったということだ。それが前述のファクトチェックだった。

「ネット情報の検証でした。やはりネットの情報の影響力が無視できなくなっていた」

スマートニュースの執行役員だった藤村厚夫氏、元朝日新聞記者で最近までBuzzFeedJapanの創刊編集長をしていた古田大輔氏とともに議論を重ねたという。その流れで私への誘いのメールとなったということだ。

ファクトチェック・セミナーで講演する藤村氏(左)、楊井氏(中)、筆者(右)。

そして2017年6月、日本でファクトチェックを広めるためのNPOを立ち上げる。FIJ=FactCheck Initiative Japan。元毎日新聞編集局次長で早稲田大学ジャーナリズム大学院で教授を務める瀬川至朗氏が代表を務め、楊井氏は事務局長となった。ついでかもしれないが、私も理事になっている。

私同様、理事の一人としてFIJを支える近畿大学教授の金井啓子氏が言う。

「なんか、楊井さんって放っておけないところがあるんですよね」

金井氏は、「まっすぐな生真面目さが魅力であり、危なっかしさでもある」と付け加えた。

私はそれに、向こう見ずな性格と行動力を加えたい。正直言うと、彼と話しているとムッとすることは多い。しかし、それを言うと、逆に言われた。

「よく言いますよ。僕だって立岩さんに好き勝手言われて腹が立つこともありますよ」

そう言って笑った。その笑顔を見て思った。この笑顔が、楊井氏を数度のLIFE SHIFTにいざない、そして乗り切らせたのだろう。勿論、楊井氏を取り巻く状況はけして生易しいものではない。しかし、彼には不思議と余裕がある。産経新聞を辞めて弁護士になる時もそうだったのだろうし、なりたくてなった弁護士からメディアの誤報チェックという役割に転身する時もそうだったのだろう。そこには思いつめたような悲壮感はなかったのだろう。

今年40になる楊井氏。この先の彼の人生が明るいかどうかはわからないが、既にメディアの歴史にその名前を刻んでいる。そして今後も刻み続けるのだろう。

vol.24に続く


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