【知られざるヒーロー列伝】ボディビル世界大会で3位に ~トレーニング界の伝説、遠藤光男 第9回

すごい男がいたもんだ! 話を聞きながら、昔流行した、ビールのコマーシャルのワンフレーズが、脳裏をかすめた。 遠藤光男氏、75歳。戦後、黎明期の日本ボディビル界を語る上で欠かすことのできない人物であり、まだ方法論が確立されていなかったウェイトトレーニングに、独自の合理的なメソッドを導入した、パイオニア的存在でもある。ここに示すのは、そんな知られざるヒーローの物語。  


周りはステロイドとかドーピングやってる連中ばっかり

カナダ・モントリオールで開催された1967年のボディビルディング世界大会、ミスター・ユニバースの会場は、ポール・ソヴェー・アリーナという大きな体育館でした。館内にランニング用のトラックみたいなものがあって、そのスペースに折り畳みのベッドがずらっと並べてあり、約50人の出場選手は、大会期間中の数日間、そこに寝泊りするようになっていました。

会場のポール・ソヴェー・アリーナ。5000人以上の観客が集まった。

ちょうどモントリオールで万博をやっていたんですよ。そこの日本館に行ったら、遠藤さんの歓迎会開いてくれるから、ぜひ行ってくれと言われていたんです。

会場の宿泊所で知り合ったスウェーデンのエイノ・アキラっていう選手に「オレの歓迎会を開いてくれて、食事にありつけるから行こう」と誘って行ってみたんです。ところが館長が出てきて「なんのことですか? そんな話聞いてません」って。「分かりました。すみません。一緒に写真だけ撮らせてください」と、写真撮って、すごすごと帰ってきたのを覚えています。

そのエイノ・アキラと、今から15年ぐらい前にボディビルの世界大会に、選手をつれて審査員で行った時、ばったり会ったんです。向こうも覚えていて「ミスター・エンドウか?」と。「おお、久しぶり!」となってね。40年ぶりぐらいに会って、お互い元気なのを喜び合いましたよ。

アメリカで人気ナンバー1ボディボルダーのラリー・スコット選手と記念撮影

それで、ミスター・ユニバース’67の結果なんですがね、身長別になってるクラスと、もっとも筋肉が発達しているモスト・マスキュラー・クラスっていうのがあったんですが、そのモスト・マスキュラー・クラスで3位に入ったんです。周りは全部、ステロイドとかドーピングやってる連中ばっかりでしたからね。その中で3位になった。体重もガリガリに絞って80キロ前半ぐらいだったかな。向こうに着いてからも2、3キロ体重減りましたから。

その大会会場で一緒に寝泊まりしていたボディビルダーたち、あとで世界チャンピオンになったやつとか、顔見知りになって、後々日本で私がボディ・ビル大会を主催した時に、ゲストで20人ぐらい呼んだんですよ。そういう橋渡しみたいなことでは、みんなの役には立ったと思うんですよね。

第10回に続く

Text=まつあみ靖


第8回 ボディビル世界大会珍道中


第7回 ボディビル日本一への道


第6回 馬鹿にされても貫いた道


遠藤光男
遠藤光男
1942年東京都生まれ。日本ボディビルディング界の第一人者で、24歳だった'66年のボディビル・ミスター日本となる。翌年に東京・錦糸町で遠藤ジムを開き、その年にはモントリオールで開催された世界選手権で3位に。三島由紀夫や勝新太郎とも親交があり、大相撲界、プロレス界など幅広い人脈を誇る。
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