【阿部勇樹】ブレない精神を最初に教わった師とは? 〜一期一会、僕を形作った人たち

1998年8月7日、ジェフユナイテッド市原(現千葉・市原)の一員として、17歳目前にJリーグデビューを飾って以降、20数年もの間、プロサッカー選手として生きてきた阿部勇樹。2010年のベスト16入りを果たしたワールドカップ南アフリカ大会の主力としてだけでなく、浦和レッズ移籍後は、AFCチャンピオンズリーグ(以下ACL)を2度制覇するなど、輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。今夏38歳になった阿部の言葉からそれが伝わってきた。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~①】。


阿部勇樹はどんな人と出会ってきたのか?

2019年9月17日埼玉スタジアム。1-1と引き分けた試合のあと、僕は浦和レッズのチームメイトとともに、スタンドを見上げながら、スタジアムを一周した。「We are Diamonds」を歌うファン・サポーターの声が胸に響いた。ロッド・スチュワートの「セーリング」が原曲となるこの歌は、浦和にとって特別なものだ。勝利のあと、お互いの健闘を讃えあって、ファン・サポーターと選手がともに歌う。しかし、今季の浦和の成績は芳しいものではなく、この歌を歌ってもらえる機会はわずかだった。

この日はACL準々決勝第2戦。中国・上海で行われたアウェイでの第1戦が2-2だったため、浦和はアウェイゴールの関係で有利な立場で、上海上港を埼玉スタジアムに迎えた。ホーム・アンド・アウェイの2試合を戦い、勝利数で上まわったチームが次のステージへ勝ち上がる。それが並んだ場合は、2試合の得失点差、そして、2試合におけるアウェイゴール数と勝ち上がり条件が続く。

ベンチスタートだった僕が、交代出場したのは83分。1-1の状況だった。このままゲームを終わらせれば、浦和の勝ち上がりが決定する。僕を送り込んだ大槻毅監督の意図は守備的な選手を増やして、失点を回避すること。このままでは敗退が決まる相手は果敢に攻撃をしかけている時間帯だ。

攻守の選手の間にポジションをとる僕は、監督の意向を伝えたうえで、ポジショニングを確認指示し、チームに安定感をもたらそうと努めた。繰り返し声をかけ、しゃべり続ける。先発出場している選手たちは、肉体だけでなく、思考や精神面でも疲労している。途中出場の僕はまだフレッシュな状態。運動量でそれを活かすだけでなく、的確で冷静なコーチングによって、チームの力になりたかった。

結果、1-1で試合は終了。ホームでの試合なのだから、本当なら勝利すべきだった。それでも次のステージへ進出するという最低限の目的を達成できたことの安堵感は大きい。

スタンドを埋めたファン・サポーターの笑顔が見える。今夜は笑顔で帰ってもらえる。それが純粋に嬉しかった。チームメイトも同じ想いなのだろう。彼らもいい顔をしていた。

ファン・サポーターひとりひとりの熱意が、特別な空気を作りだしてくれる。今夜はそれにふさわしい戦いができた。選手も誇らし気だ。「We are Diamonds」の声で埋まる埼玉スタジアムのあるべき姿が戻ってきた。

「本物のレッズの姿をお見せしよう」

優勝した2017年ACL決勝戦第2戦を前に、ズラタン(元スロベニア代表。2015年から2018年まで在籍)が発した言葉を思い出す。このACLの出場権は昨季天皇杯優勝で得た。浦和でのズラタンのラストマッチだ。

現在、リーグ戦では残留争いを戦っている浦和だからこそ、ズラタンのメッセージは重い。

やるべきことをやればいい。あるべき姿、原点に立つこと。何があってもブレることなく、当たり前のことを当たり前にやり続ける。

僕にそれを最初に教えてくれたのは、ジェフでのチームメイト、ピーター・ボスだった。

現役引退後、監督業をスタートし、2016-2017シーズンには、オランダのアヤックスを率いて欧州リーグ準優勝。その手腕をかわれて、翌シーズンにはドイツのドルトムントの指揮を任された。現在は同じブンデスリーガのレバークーゼンの監督を務めている。

ちなみに、彼のファーストネームは「ペーター」と発音するのだが、Jリーグでの登録名がピーターだったので、現在でも日本ではピーター・ボスと呼ばれることが多いけれど、僕らはペーターと呼んでいた。

ただ毎日を必死で過ごすだけで精いっぱいだった10代

守備的MFとして、オランダの名門フェイエノールトで活躍したペーターが最初にジェフへ加入したのは1996年33歳のときだった。1シーズン半在籍したのち、1度は欧州へ戻ったものの、1999年シーズン、再びジェフへ戻ってきた。それは、ちょうど僕が本格的にトップチームの試合に出場したシーズン。当時は、欧州サッカーは、非常に遠い世界で、たとえオランダ代表というキャリアはなくとも、欧州でプロとして生き抜いてきたペーターの存在は、17歳の僕にとって、ピッチ上では綺羅星のごとく、まぶしく映った。

しかし、本当の話をすれば、ペーターのプレーや振る舞いを常に目で追い、学んでやろう、盗んでやろう……というような余裕が僕にはなかったと思う。高校時代からトップチームで活動はしてきたが、主戦力として、すべての試合に帯同し、さまざまなポジションで、あらゆる相手と戦う日々は、ただ毎日を必死で過ごすだけで精いっぱいだったからだ。

それでもふと目をやると、ペーターはいつも変わらずに、そこにいた。特別すごいことをし続けているわけじゃない。いわゆるボールを止めて、ボールを蹴る。たったそれだけのことで違いを示していた。どのタイミングでどのプレーを選択するのか、そして高い精度。「何気なく」と見える仕事に圧倒された。もちろんキャリアも違えば、スキルや思考力も違う。ペーターは自分と比べられる相手ではない。だけど、憧れた。でも、こっそりと彼の姿を見るしかできなかった。

「勇樹、今度、いっしょに食事しないか?」

ある日、ペーターが僕を誘ってくれた。スタッフを交えての食事会だという。

「なんで、俺?」

驚きと緊張感を抱きながら、僕はその店へでかけた。

続く

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子


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