渋沢栄一はどこまでお金にクリーンだったのか?<②渡欧して学んだこと>

1万円札の表面を飾る肖像が、福沢諭吉から渋沢栄一へ。 先般駆け巡ったニュースで一躍、渋沢栄一への注目が高まっている。渋沢研究の第一人者たる島田昌和さんは「福沢諭吉から渋沢栄一への肖像転換は、『民の創出』から『多様な民の共存』への変化を象徴していると言えます。これからの時代に求められる思想が、渋沢栄一の生き方からは大いに読み取れます」と説く。21世紀型経済人のあるべき姿を探るために、壮年期のビジネスパーソン・渋沢栄一の言動をつぶさに教えていただこう。『若き日の渋沢栄一』連載第2回は、渡欧して学んだこと。

1867年(慶応3年)27歳。徳川昭武に従ってフランスへ出立(パリ万博使節団)

徳川昭武一行集合写真。マルセイユにて。後列一番左が渋沢栄一。中央で椅子に座っているのが、徳川慶喜の弟・徳川昭武(当時14歳)

政治よりも経済にこそ、自分のアイデンティティは認められる。そう早い時期と見定めた渋沢栄一は、渡欧のチャンスを逃さず海を渡り、彼の地の経済システムを学びに学んだ。欧州滞在時、いくらでも自身の懐を潤す方策はあったのに、渋沢はどこまでもお金にクリーンだった。その姿勢を貫いたことで、他に代え難いものを彼はこの時期に勝ち取った。「信用」という価値である。

27歳の時に巡ってきたヨーロッパ行きのチャンス。これがその後の渋沢に与えた影響は計り知れないものがあります。将軍となった慶喜からの指名でしたが、たまたま偶然にお声がかかったわけではないでしょう。徳川家を継いだ慶喜が幕府全部とは言わずとも、幕府の開明的な勢力とともに次世代の中心に居続けられるという何らかの目算があっての征夷大将軍の拝命ですから後ろ盾と頼むフランスへ弟昭武を派遣する事にも大きな意味が隠されていたはずです。

ヨーロッパでの覇権を目指すナポレオン3世のフランスですので中国より先にある極東の日本から“国王の弟”を迎えることはヨーロッパ内でも大きなプロパガンダになりますし、薩長に肩入れするイギリスに対してもくさびを打つことになります。近代世界を自ら見聞した身内を用意していることも国内への重要な布石と考えたかもしれません。

わずか20数名の随行員だったわけですが、渡欧経験のある杉浦愛藏や翻訳方の箕作真一郎(麟祥)などがついているのは心強いところと思われます。全権公使や御守役、補佐役は家柄、家格優先でさほど役に立ったとは思えません。慶喜は何を期待して渋沢を加えたのでしょうか。想像を膨らませすぎかもしれませんが、欧米列強のような強国=強力な軍事力とそれを実現する経済や技術の仕組みを理解し吸収できる能力、その様な見る眼を弟にも身につけさせたくて、渋沢を指名したのではないでしょうか。

つまり、一橋家の財政を切り盛りすることに才能を発揮した渋沢ならば、強国の仕組みを吸収できると踏んだのではないでしょうか。

渋沢は将軍職を受けた慶喜に失望していましたので、その思いをどこまで察することができたかわかりませんが、薩長が急速に近代的な軍事力を身につけ、長州征討で幕府軍を撃退する力を身につけていることを感じていたわけですので、近代的な軍事力のおおもとにある近代的な工業力を直に見聞するチャンスにすぐに飛びついたのでした。躊躇せず飛びつけるところが彼が培ってきたものによるわけです。少年時代や一橋家を通じて自分に計数能力や新たな農産品を嗅ぎ分ける力があることを自覚していたからこそ、その能力をさらに高められるチャンスをちゃんと理解できるわけです。

フランス滞在中の渋沢栄一。

渡欧後、昭武が近代社会を学ぶことに邪魔となる守旧的な随行員は上手に送り返していきます。昭武はまだ14歳でしたので、じっくり育てるべきで少しでも長く欧州にいられるよう、出費を切り詰め、預かり金を利殖して増やせる事を学び、早速に能力を最大限に伸ばしていきます。

滞在中に幕府が瓦解し、欧州留学中の有為な幕府派遣留学生たちを日本に返す算段もし、驚くことに預かり金の残金をきちんと日本に持ち帰ります。いくらでも悪巧みをして私腹を肥やせそうな立場なのに、それをしなかったところが後世の渋沢の律儀さがすでに現れた面でもあります。

高潔だからこそ、立場が変わっても信頼され嘱望される。特にお金にきれいというのは彼が子供の頃から四書五経に親しみ高い教養を身につけていたからかも知れません。

③「すべてを失った人々の再出発:静岡藩時代」に続く


Masakazu Shimada
1961年東京都生まれ。学校法人文京学園理事長。文京学院大学経営学部教授。経営学博士。'83年早稲田大学社会科学部卒業。'93年明治大学大学院経営学研究科博士課程単位取得満期退学。一橋大学大学院商学研究科日本企業研究センターフェロー(2009年4月~'15年3月)。経営史学会常任理事 ('15年1月~'16年12月)。渋沢研究会代表('10年4月〜)。渋沢栄一の企業者活動の史的研究などが専門。'15年、学校法人文京学園理事長に就任。文京学院大学では経営学部教授として、「経営者論」を担当。著書に、『渋沢栄一 社会企業家の先駆者』(岩波新書)、『原典でよむ渋沢栄一のメッセージ』(岩波書店)、『渋沢栄一の企業者活動の研究−戦前期企業システムの創出と出資者経営者の役割』(日本経済評論社)ほか多数。


Composition=山内宏泰 Photograph=渋沢史料館協力