石原慎太郎、金田正一さんを偲ぶ ~男の業の物語 『男の自負』【再掲載】


かつて読売ジャイアンツをものともせず日本シリーズで連覇し全盛期を誇った西鉄ライオンズの守護神・稲尾和久は、ファンから「神様、仏様、稲尾様」とも言われた大投手で、疲労困憊しながらも年間四十勝以上をあげ比類なき存在だったが、ある時のインタビューで「一軍に登録され初めて一勝をあげた時、『ああこれで俺も男になった』と実感した」と言っていたのが大層印象的だった。

男が男である限り女とは違う生き方をたどるのは当たり前のことだろうが、その人生の中で「これでおれは男になった、男になれた」と自認するきっかけはどういうものだろうか。 

この現代ではそれは稀有なることのような気がするが。

女の場合は自分の女という性を強く感じとれるのは多分初めての子供を生んだ時に違いない。

それに比べて男が己の男という性を自覚する瞬間というのは、この現代になるとむずかしいことのような気がしてならない。ということは今の世の中では大方の男たちは骨抜きにされてしまっているということか。

男が男としての自負を抱くことが少ないというのは、国家そのものの衰弱を意味しているような気がするが。男の男としての自負の所以とは、重い責任の履行の上にこそ成り立つのではなかろうか。

稲尾にならんでこれも不世出の大投手だった金田正一は私の山中湖の別荘の隣人で夏休みはよく一緒にゴルフをしたものだが、プレイの最中に彼はよく腕を振り回したり足を蹴り上げたりしていたもので、それを眺めている私に「この腕や、この腕で俺は日本のプロ野球に何十億も稼がせてやったんや」と豪語していたものだった。そしてその自負は言葉の通りだったとも思う。

いつか彼がまだ国鉄スワローズに在籍していた頃、神宮球場の近くの浅利慶太のアパートで彼の劇団の役者たちと酒を飲んだ後、この球場に野球を見にいったものだが、スワローズの不甲斐もない戦いぶりに腹が立ち、ベンチ近くの席からぼろくそにやじってやったら仲間の一人が口汚く、「お前らそれでもプロか。これがプロの試合かよ。金を返せ。インチキプロめらが」、叫んだらさすがに連中も腹を立て、選手ら何人かが顔色を変えて私たちを指さし何かを言い返してきたものだった。

そうしたらベンチのいきり立つ雰囲気を察し、金田が表で叫び返している仲間をなだめ治めるためにベンチから出てきた。それを見て私が大声で「金田、本物のプロはお前だけだ」と叫んだら彼がにやっと笑って片手をあげて応え、そのままさっさとベンチに引っこんでしまった。

あれは投手のくせに代打を買って出てホームランを打ってみせるような不世出の男の自負と自覚を表出した一瞬の名場面だった。私たちもそれだけで満足し、不毛の球場を後にしたものだった。

男の自負の表出とは彼が男として抱えている情熱の所産たるまい。恋愛にしろ仕事の上の野心にしろ情熱を抱かぬ人生なんぞその名に値もしない。「男が男になる」所以とは情熱の成就以外にありはしまい。何らかの野心にしろ、たとえ片思いの恋愛にしろ、その成功不成功は別にして情熱に駆られて闇雲に突進したことのない男の人生なんぞ振り返ってみれば味気ないものだろう。野心や使命感の上での情熱の行使がたとえ挫折に終わったとしても、それは男の自負に添えられた人生の勲章に他なるまいに。

私は最近それを体現した同窓の友人に出会って、その感慨を新たにすることができた。同窓の親しい友人たちと懐かしい寮歌を歌う集まりに出てみたが、たがいに八十を超した今は誰もが精気を失ってしょぼくれて、過ぎていった時間の重さを痛感させられたもので、中に一人、石和田という男が矍鑠として言動に張りがあり、さすがと思わせられた。

というのは彼のまさにキャプテン・オブ・インダストリーとしての活躍とその大きな挫折の過去を私は知っており、それにもめげずに人生を貫き通してきた男の矜持が今でもその居住まいの中に強く感じられたものだ。

彼はかつて一流の商社のエリートとして選ばれ日本とイラン政府の合弁の大プロジェクト、イラン中部のイスファハンでの新油田開発の責任者として、現地で十年にわたって勤めてきたが、イランの国内での政変、革命、イラクとの戦争のせいでプロジェクトは挫折、帰国を強いられた。企業というものは酷薄なもので彼の労苦になんら報いることもなく、彼は会社の中で冷遇されて終わったものだった。

はるか数十年前の労苦についてねぎらった私に、彼は淡々と「それでもあのプロジェクトは年を経て立ち直り成功して、自分が手塩にかけた現地の若者たちは立派な技術者になり、活躍しているよ」と満足そうに語っていたが。

そして私はそんな彼の姿に男としての自負の美しさと逞しさを見て、心を打たれた。

その時、私が思い出したのは若い頃目にして私の人生の座右の銘にしてきたジイドの情熱の書『地の糧』の一節だった。

「ナタナエルよ、君に情熱を教えよう。行為の善悪を判断せずに行動しなくてはならぬ。善か悪かを懸念せずに愛すること。私は心中で望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で満足して、あるいは全く絶望しきって死にたいものだ」

男として生まれたなら自負を抱きながら痛烈な人生を送りたいものだが。