【独占インタビュー】久保裕也はなぜ、アメリカを選んだのか?

今年、MLSのFCシンシナティへ移籍した、サッカー元日本代表の久保裕也が「ゲーテ」だけに語った今の想いとは。単独オンラインインタビュー連載1回目。

純粋にサッカーを楽しみたい――  

サッカーの本場は、間違いなく欧州である。

サッカービジネスは欧州を中心に回り、最新の戦術は欧州で生まれ、若者たちは欧州のビッグクラブでのプレーを夢見て、日々ボールを蹴っている。

だから、2020年1月にそのニュースを聞いたとき、驚かずにはいられなかった。

久保裕也、MLS(メジャー・リーグ・サッカー)のFCシンシナティへ移籍――。

2016年リオ五輪と2018年ロシア・ワールドカップの予選では、いずれもチームを本大会に導く活躍を見せたものの、五輪では直前にクラブの派遣拒否に遭い、ワールドカップでは直前にメンバーから外れるという不運に見舞われた。

2018年夏から1年間プレーしたドイツのニュルンベルクでは2部降格を経験し、2019年夏に期限付き移籍から復帰したベルギーのゲントでは出場機会を失った。

確かに近年の久保を取り巻く流れは、良いものではなかった。だが、それでもまだ26歳。依然として日本サッカーの未来を担う選手であることに違いはないのだ。

それなのになぜ、欧州を離れたのか?

新天地としてなぜ、アメリカを選んだのか?

単刀直入に質問を投げかけると、画面の中の久保はこくりと頷いて、語り始めた。

「まずゲントで試合に出られない厳しい状況だったので、とにかくプレーできる場所を求めていたというのがあって。ただ、移籍金だとか、ゲントが期限付き移籍を認めてくれないだとか、いくつかの問題によって選択肢が限られていた。そうしたなかで、いくつかオファーが届いたんですけど、シンシナティは監督とGMがわざわざゲントまで会いに来てくれたんです」

FCシンシナティは2019年からMLSに参戦した新興クラブである。GMも監督もオランダ人。チームには欧州出身の選手も多く、2021年に新スタジアムのオープンを予定するなど、野心的なクラブでもあった。

「GMからビジョンを聞いて、ステップアップしていこうという意志が感じられたし、監督も僕の起用法を細かく話してくれて。『ヨーロッパのようなチームにしたい』という監督のもとでやることに魅力を感じるようになって。それで純粋に、ここでプレーするのもありだなと思うようになったんです」

サッカー選手は試合に出てナンボ。出場機会を熱望する気持ちはよく分かる。とはいえ、かつては「将来はイタリアでプレーしたい」と公言していた久保である。MLS挑戦は一見、その夢から遠ざかるようだ。サッカー選手として脂の乗った年齢で、欧州から離れることに怖さはなかったのだろうか。

「周りからはいろいろ言われるだろうなと思いましたけど、自分の中では迷いも怖さもなかったですね」

久保は、きっぱりとそう言った。

「これまでの自分は、5大リーグに行ければ満足というか、環境にこだわったり、それに左右されてきたところがあった。それに、2018年の夏にドイツに行きましたけど、練習ではベルギーのゲントのほうがレベルは高いと感じることもありましたし」

5大リーグというのは、イングランドのプレミアリーグ、スペインのラ・リーガ、ドイツのブンデスリーガ、イタリアのセリエA、フランスのリーグ・アンのことである。欧州の中でもとりわけレベルが高いこの5つのリーグでプレーし、さらにビッグクラブに駆け上がるというのが、サッカー選手にとっての立身出世。本田圭佑や長友佑都、香川真司らが辿ったのも、このコースだった。

「移籍のウインドウが開くたびに、『イタリアはないか』って代理人に探してもらって、うまくいかずにフラストレーションを溜めてきたんです。でも、プレーするリーグにとらわれすぎたところで、自分ではコントロールできないものだということを、これまでのサッカー人生で学んできた。そういう経験をして、最近は、どこに行っても競争はあるし、成長できるかどうかは自分次第だな、って感じるようになったんです」

久保は19歳だった2013年6月に、京都サンガF.C.から欧州へと旅立った。スイスのヤングボーイズを皮切りに、ベルギーのゲント、ドイツのニュルンベルク、再びゲント、そしてアメリカのFCシンシナティと、戦う舞台を移してきた。そのすべてにチャレンジャー精神で臨んできたが、今回の移籍にはこれまでとは決定的に違うものがある。

「スイスに行ったときは、『自分はヨーロッパでどれだけやれるのか』という想いだけで行きました。それからだんだん『ステップアップしたい』と思うようになって、ベルギーやドイツに行った。今回もチャレンジの気持ちは変わらないんですけど、とにかく試合に出たかったし、ゴールも取りたいし、純粋にサッカーができる場所を求めていた。自分がまた純粋にサッカーを楽しみたいという気持ちが強かったんです」

純粋にサッカーを楽しみたい――。

その言葉から、近年の久保がもがき苦しみ、焦燥していた姿が浮かび上がる。

実は、2、3年前にもMLSのチームから何度かオファーがあったが、そのときの久保は5大リーグに、とりわけセリエAでプレーすることにこだわっていたから、話を聞くことすらしなかったという。

アメリカへの移籍は、自分ではどうにもできないことにこだわってフラストレーションを溜め込んだ過去との決別と、失いかけていたものを取り戻す挑戦でもあったのだ。

2回目に続く


Text=飯尾篤史 Photograph=久保裕也