写真家・藤代冥砂が綴るエッセイ 「なぜこうも強く私は野に惹かれるのか」

「野に在ること=人生」と考える写真家・藤代冥砂(ふじしろ・めいさ) 氏。雄大な自然への想いを、藤代氏自らの言葉で綴るエッセイ。


在野(ざいや)という言葉がある。官職につかず民間で活動する意味だが、私は文字どおりに野に在ると直訳して使っている。少年時代にふと思い立ち、歩測で家の寸法を測った時、長辺わずか十数歩だったことに少なからずショックを受けた。我が家の小ささを恥じたのではない。それがどんなに大きくても外に広がる世界と比べたら、屋根と壁で囲われた驚くほど小さい空間に過ぎないと、気づいてしまったからだ。その限られた空間で、少なくとも人生の3分の1を過ごす事実に、少年の私は生きることの狭ささえ感じたのだ。人生を80年として27年も家にいることになる。この広い開かれた世界で、なぜ私はここに縛られなきゃいけないのかと、素朴な疑問に包まれた。

羊蹄山(ようていざん)にて。見上げた時に見える空と木肌が目を引いた。

せめて目覚めている間は、家の外で過ごしてみよう。私は、外に広がる世界全体を「野」という言葉で象徴させ、できるだけ野にありたいと願った。考えてみれば、すべての大地はもともと広い意味での野である。アスファルトを少しの想像力で消してしまえば、マンモスが闊歩する野が立ち現れる。都市の人混みを歩く時も、森であった頃を想い描けば緑濃く匂う樹々の間を歩くことさえできる。

想像の野遊びには元ネタとなる経験があるほうが容易だ。例えば仕事の休憩時に山の厳かな空気に包まれながら冷静さを取り戻したいと考えるなら、実際富士山頂に立った経験があるとリアルに再現できる。伊勢神宮の砂利道の音を知っていれば、その時の安らぎはいつでもインストール可能になる。初夏の多摩川上流を先週歩いたなら、今週いっぱいはその残像のなかで安らぐことができるだろう。

湖畔散策中 に見つけた小屋。佇まいが美しい。

実際に私はさまざまな国内外の場所を訪れた。20代の終わりに2年を費やして世界を一周したこともある。当時でいう貧乏旅行というやつだ。その旅のなかでも街を離れて大自然へと入っていくことが多かったのは、少年の日の気づきのせいだろう。

野の中でも特に山が好きだ。私は人物撮影をメインにしているので、山岳写真を依頼されることは滅多にない。仕事を離れて山で自由に撮ってきたものが写真集となったり、雑誌で使われたことはあるが、それを目指して山に入ることはない。むしろ街での仕事から一旦離れて自身をリセットするという点では多くのトレッカーと同じ意識を持っている。写真家の命である視力も、山に入ると戻るようだ。遠くのものが滲まずにクリアに見える。見えることで心が整う。写真家とはそういうものだ。

オニヤンマ。息子と息をひそめて近づいた。

私はここ数年、夏になると息子とともに北海道へ出かけトレッキングやキャンプをしている。主に大雪山中、数多の湖畔などにテントを張るが、大地を背中に感じながら息子との絆を深めつつ過ごす時間は何にも替え難い。毎度、なんと豊かで悠然とした時間を過ごしているのかと、感謝の念でいっぱいになる。今もこうして文章を綴っていても、目を閉じて深い呼吸をひとつすれば、北海道の息吹に包まれる。日常で否応なく得てしまう心身の強張りが、溶けていくようだ。そして私は、ああ、野に戻ったと実感するのだ。

ぬくぬくと家で寝そべっていてもいいはずなのに、なぜこうも強く私は野に惹かれるのか。平凡だが、大きな何かに包まれる感覚に安らぐからだ。時には自分が人間である意識さえ薄らぐほど、大自然と自身を同調させておきたいと思う。それは人である前に、ひとつの生命としてまともでいたい、正気を保ちたいという願いがあるからだ。それが現実の野でも想像のそれでも、在野であれば私は大丈夫である。少年時代の柔らかな魂が察知したことを、私は両手で今も守っているのである。

とめぐる、トレッキングの思い出。小学4年生だった長男と北海道の大雪山系へ。10キロの荷物を背負っての山中泊後の下山道にて、笑顔。
Meisa Fujishiro
1967年千葉県生まれ。’95年、仕事を一時中断し2 年間、世界一周の旅に出る。手がけた写真集は80冊を超える。2003年、講談社出版文化賞写真賞受賞。新作の写真集に、山岳とヌードへの憧憬を収めた『山と肌』(玄光社)がある。

Text & Photograph=藤代冥砂