村上春樹×蜷川幸雄の舞台『海辺のカフカ』で寺島しのぶはどう演じたか?【ジャポニスム2018】

パリを中心に、フランス国内の約100会場で、8ヵ月間にわたり開催された「ジャポニスム2018:響きあう魂」。そのフィナーレを飾り大成功を収めた舞台公演『海辺のカフカ』が、この5月に東京で凱旋公演を行う。原作・村上春樹、演出・蜷川幸雄という、凡百の役者をたじろがせる顔合わせに、主演として挑んだのは女優・寺島しのぶ。奇跡のコラボレーションは、どのようにパリの観客を魅了し、東京の観客を揺さぶるのだろうか?


パリの観客と日本の観客の違い

パリで公演のお話をいただけたのは嬉しかったですね。長い間、東京の家を空けることにためらいもありましたが、劇場が国立のコリーヌ劇場と聞いた夫が「フランスで最高のシアターで公演できるのに、迷っている場合か!」と背中を押してくれました。夫はフランス人ですから、彼の友人たちに、自分の演技を生で見てもらえるのも初めてですし、そういう意味でも私にとってすごく大きい意義がありました。

もちろん女優として何度もご一緒してきた蜷川さんの作品であることも。『海辺のカフカ』は、舞台装置の発想から音楽の選択まで、蜷川さんのセンスがふんだんにつまった傑作です。蜷川さんがいないのは寂しいけれど、海外で蜷川作品をやれるのはこれが最後でしょうし、関われてよかったなと今は思います。

とにかく、まずコリーヌ劇場が、噂にたがわぬいい劇場でしたね。すり鉢状の劇場ですごく高いところまで座席がある。お客さんは見やすいだろうけど、客席全部が埋まったらすごい威圧感なんじゃないか……と思いきや、実際に舞台に立ってみると全然気にならない。役者にとってもすごく演じやすい。

「カフカ」はセットがすごく大きく、オペレーションがすごく大変なのですが、劇場スタッフのプロフェッショナルぶりも素晴らしかった。この作品で蜷川さんと一緒に海外を回った演出補の井上尊晶さんも、一番協力的で一番勤勉とべた褒めでした。

でも一番は、なんといっても劇場とお客さんの関係の素晴らしさ。劇場にはディレクターがいて、プログラムの決定はその人に一任されていて、そのセレクションを信頼するお客さんが、劇場のファンとしてついている。有名俳優が目当てじゃなく、ディレクターの選んだ作品を目当てにチケットを買ってくれる。実際、『海辺のカフカ』も、出演している日本人の役者なんて誰も知らないわけですから。劇場はいい芝居を見せようというプライドがあるし、お客さんにも広く芸術が根付いているんですよね。

公演もすごく盛況で、初日から終演後はスタンディングオベーション。それだけじゃなく、毎回、一幕終わるたびに拍手をいただいて。そういうことはなかなか経験したことがなかったし、みなさん喜んでくださっているんだなと肌で感じられて嬉しかったです。毎日、何十人もの方がキャンセル待ちの列に並んでくださったと聞きました。

面白かったのは、日本人なら「うーん」と唸るような哲学的なセリフが、フランスでは笑いが起きるんです。それも「クスクス」じゃなく「ワハハ」と。文学の理解の幅というか、そういうものがすごい。

村上春樹さんはフランスでこよなく愛されているなと感じることは多かったのですが、この作品は特にフランス人に合っているような気がします。いかようにも読めて、明確な結論がない、つまり延々と議論できるんです。フランス人は語り合うのが大好きなんです。夫の友人たちも連日連夜舞台を見に来ては、終わった後は必ず話したがるんです。もう真夜中なのに? 3時間も舞台見た後で疲れてないの? ワイン何本開けるの!? って、こっちがいちいち聞きたくなるくらい(笑)。

フランス人がすごいなと思うのは、どんな意見でも感想でも自由に、堂々と言うところ。日本人は「これが正解かな」と探りながら話すし、「頭悪い」と思われるのが嫌であんまりバカなことは言わないですよね。フランス人はそういうのは全然平気、そもそも本人がバカなこと言ってるなんて思わない(笑)。周りも「へー、そんな風に考えるんだ」と受け止めて、そこからまた会話が広がってゆく。役者にもめちゃめちゃ厳しくて、あの俳優はちゃんと相手のセリフ聞いてないね、なんて言うんですよ。日本語なのにわかるんですね。誰もが芸術は無限だと知っているから、楽しみ方がぜんぜん自由なんです。

『海辺のカフカ』は、現実と非現実が交じり合い、読む人によって解釈が全く異なる作品です。だから「これをどうやって舞台化するの?」というのは、フランスでも皆さん思っていたようです。答えのない謎ばかりなので、演じるのも本当に難しい。やればやるほどどんどんわからなくなるような感じがあって。何もわからないまま演じているほうが気が楽なんじゃないか……と思う瞬間もあるくらい。

©KOS-CREA 写真提供:国際交流基金

台本は原作を抜粋して作るものだから、原作を読めばわかるところもあるんですが、お客さんにそう言うわけにはいきませんし、演じる側にしても台本がすべて。この舞台の上で、この台本の言葉だけを信じて表現しなきゃならない。でもその言葉自体が、ちょっとぬるっとして掴みどころがないんです。

だから「もうちょっとわかりたい」と思いながら自分なりに解釈していくんですが、細かいところまでそれをやりすぎると、今度はわかりやすくなりすぎて、「いかようにも解釈できる」という『海辺のカフカ』の深みがなくなってしまう……。どんどん迷宮に入っていくという感じです。

公演の千秋楽には、村上春樹さんもいらっしゃいましたが、私は人見知りなので、なかなか思ったようには話せませんでした。ただ、舞台に関しては非常に喜んでくださったんじゃないかなと思います。パーティに最後までいらっしゃったし、村上さんはそういうことってあまりないと聞いてますので。

千秋楽の公演の前にはトークショーもありました。村上さんの熱烈なファンの学生が何人か来ていたんです。原作をものすごく読み込んでいる感じで、めちゃめちゃコアな質問をしていました。「今までついた一番美しい嘘は何ですか?」なんていう、ものすごくフランスっぽい質問をされたりもして、村上さんもタジタジでしたね(笑)。

そういえば、村上さん自身がおっしゃってたんですよ。自分でもよくわからないと思いながら書いてるって(笑)。最初はこういうことを書くつもりだったのに、書き進むうちにどんどん変わってしまうんだそうです。でも最終的に「こんな結末だったとは!」と気づくのが好きだと。もしかしたらこの作品を演じる私たちも、それでいいのかなと思ったりもするんです。演じているうちに気づいたらこうなっていった――そういう風に「旅」をする過程をみせる、それでいいのかなと。

あと、村上さんが「失うこと」とか「損なうこと」に、非常に美学を感じるとおっしゃっていたのも心に残りました。セリフにも「損なわれていくことは決して悪いことではない」というのがあるんです。損なわれることは悲しい一辺倒のことではなく、損なわれることによって異なる方向に進んでいくことも、また人間の旅なのだというような気がします。

5月にはいよいよ東京公演ですが、日本の観客の方たちにも、見終わった後に、フランス人みたいにワインを飲みながら語り合ってもらえたら嬉しいですよね。ただ単に「よくわからなかった」で終わってほしくない。もともと答えのない作品だし、わからなくてもいい。「わからないこと」って別に恥ずかしいことじゃないし、わからないままでも楽しめるし、楽しんでもらえたら。

そもそも蜷川さんの舞台ですから、ビジュアルは圧倒的に美しいし、それだけでも見る価値があります。「よくわからないけど、なんかきれいだった」でいいんですよ。

もちろん役者として、蜷川さんのビジュアルにも負けられない、という気持ちもあります。蜷川さんはよく「観客を開演3分で騙す、舞台に引き込む」とおっしゃていたけれど、それは役者も同じ。私は蜷川さんの作るセットや音楽が大好きなんです。初めて劇場で装置を見た時に「うわあああ」って変なアドレナリンが出て、ぞくぞくして、見事にその気にさせられる。そんな演出家は他にはいません。燃えますよ、これに潰されてたまるかと思います。村上さんにも負けられないけど、蜷川さんにも負けられませんから。


海辺のカフカ
原作:村上春樹
脚本:フランク・ギャラティ
演出:蜷川幸雄
会場:TBS赤坂ACTシアター
日程:5月21日(火)~6月9日(日)
料金:S席¥10,800、A席¥7,000
チケット取り扱い:
ホリプロチケットセンター TEL:03-3490-4949
ホリプロオンラインチケット http://hpot.jp


Shinobu Terajima
父は歌舞伎役者・尾上菊五郎、母は女優・富司純子、弟は歌舞伎役者・尾上菊之助。1989年、NHKドラマ『詩城の旅人』でドラマデビュー。以降、舞台や映画に出演し、高い評価を得る。2010年に映画『キャタピラー』で主演を務め、『第60回ベルリン国際映画祭』の最優秀女優賞にあたる銀熊賞を受賞。


Text=渥美志保 Photograph=太田隆生