感情をあまり出さないオジェック監督と阿部勇樹が熱い握手を交わした日

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~⑮】。

ACL無敗優勝!

そのとき、かけてもらった言葉をはっきりとは思い出せない。

僕も興奮していたからだろうか。

だけど、しっかりと握られた手の強さは思い出せる。どういう流れでそうなったのかは不明だけれど、表彰式のとき、ホルガー・オジェック監督が僕の手を握りながら、話してくれた。目標に掲げていたACLのタイトルを獲得した直後のことだ。その喜びを伝えてくれたんだと僕は理解した。

2007年11月16日。埼玉スタジアムにセパハン(イラン)を迎えて行われた、ACL決勝戦セカンドレグ。僕らは2-0で勝利した。ファーストレグを1-1としていたから、引き分けでもよかったこの試合。僕は3-5-2の右アウトサイドで出場し、70分に追加点を決めることができた。GKが止めた永井(雄一郎)くんのシュートのこぼれ球をヘディングで押し込んだ。決勝戦では2試合ともワイドのポジションで出場している。難しい状況のなか、やれることをやった。そんな僕へのご褒美のような得点だと思った。決勝の舞台でゴールなんて、簡単に決められるものじゃないから。

オジェックさんは、1995年に浦和で指揮をとったドイツ人監督。約10年ぶりに浦和へ復帰した。当時を知る人たちから、「厳しい監督」だという話は聞いていた。でも、僕の印象は違った。オジェックさんの笑顔には、彼の温かさや優しさが溢れていて、「いい笑顔だな」と感じたし、今でもその笑顔は覚えている。

ただ、オンとオフの切り替えがはっきりとしている人でもあった。いつでもその笑顔を目にできるわけでないない。同時にいつも厳しい顔をしているだけの監督でもなかった。

試合に出るメンバーがある程度固定されていたのも、勝負に対して妥協を許さない監督のスタンスだったかもしれない。その結果、浦和はJリーグでも首位争いをつづけ、ACLでも1戦も負けることなく、優勝した。

オジェックさんは、監督だからか、感情をあまり表に出しはしなかった。けれど、内に秘めたものの大きさが伝わってきた。その振る舞いだけで、伝わる熱さがあった。他の選手はどうだったかしらないけれど、僕には強く響いた。今は言葉には出さなくても、「こういう感じなんだろう」というのが理解できた。

明確な目標と目的を抱き、その任務遂行のために、周囲に流されることない強い信念を持っている監督だ。

だから、ぶつかることもあったのかもしれない。

当時の浦和の選手たちも強いキャラクターと高い能力を持った選手が多かった。そういうチームを運営するうえで、監督以下、コーチングスタッフのチームワークの良さは重要なことだったはずだ。監督の想いを理解し、サポートする周りのスタッフの存在も小さくはなかっただろう。

僕にとってのオジェックさんは、2007年シーズンともに浦和に加入した唯一の人だ。

ACL決勝戦後の表彰式。そんなふたりで喜びを分かち合えたこと。その時間はやはり特別な時間だった。

⑯に続く

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。