【追悼記事】フレンチの帝王ジョエル・ロブションが抱いていた料理学校設立の夢

8月6日、世界的に有名なフランス料理の巨匠、ジョエル・ロブション氏が死去した。73歳、報道によるとがんを患っていたという。そこで今年3月、パリで行われ、雑誌「ゲーテ」9月号に掲載された記事を掲載する。料理界を牽引し続けてきた帝王の、料理への熱い想い、その壮大な夢とはいったい――。


真摯に、驚くべき速さで登り詰めた仏料理界の頂点

パリ・凱旋門の眼前、歴史あるショッピングビル「ピュブリシス・ドラッグストア」の地下にある「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション・エトワール」。黒と赤に統一された店内にオーラを放つひとりの男が現れた。世界を駆け巡り、パリにいることすら珍しいその人こそジョエル・ロブション氏だ。眼光の鋭さは相変わらず、とても73歳には見えない精力に溢れている。ポール・ボキューズ亡き後、名実ともに間違いなくフレンチの帝王。この天才料理人は今後どこへ向かおうとしているのか?

ロブション氏はフランス西部の小さな田舎町ポワティエで生まれた。意外にもジャガイモ以外の野菜は嫌い、肉は牛の赤身しか食べない偏食児童だったが、12歳で全寮制の神学校に入ると、食事の準備を手伝うのが大好きになった。しかし経済的理由から退学し、たった15歳で見習い料理人として働くことになる。

「最初から実地で料理を覚えたのです。食器洗い、野菜の皮むき、ビュッフェ料理、パティスリー、温製部門、パーティ料理……。3年間働きながら、夢中であらゆることを学びました」

後に出会う、ジャン・ドゥラヴェイヌ、シャルル・バリエ、アラン・シャペルといった天才たちとの邂逅は、氏の料理に対する考え方を根本から変えた。

「例えばヨウ素を入れた水で魚をポシェすると、見事な香りが封じこめられること。天然酵母パンや魚の燻製作り、土地の恵みを生かした伝統的な料理に深く精通しているからこそ、モダンで革新的な料理に挑戦できるということ。3人には『本当の料理』を教えられました」

’81年12月に独立し「ジャマン」をオープン。わずか3ヵ月後にミシュラン1ツ星、翌年には2ツ星、翌々年に3ツ星獲得という史上まれに見る快進撃は料理界を驚かせた。そして’94年には自身の名前を冠した「ジョエル・ロブション」を開店。

「当時流行したヌーヴェル・キュイジーヌではなく、古典料理の基本に従いながら、なおかつ画期的な私の料理が、人々に熱烈に受け入れられたのです」

そのロブション氏の料理の方向性を決定づけたひとつの要因が、日本との出会いだった。

繊細さと厳格さ。日本料理から得た学び

「’76年に、ボキューズ氏の依頼で大阪の辻調理師専門学校でデモンストレーションのため初めて日本を訪れました。『高麗橋吉兆』に行った時の感動は今も忘れられません。素材への理解、季節へのリスペクト、器使いや盛りつけの美学、すべてが洗練されていた。私の料理は日本から大いに影響を受けましたが、それを悪く言う人もいました。今でこそ旬を大事にし、料理に季節感を盛りこむことは当たり前ですが、’70年代のフランスでは考えられないことでしたから」

さらに、共同でイベントを開催するなど現在でも交流のある「すきやばし次郎」の小野二郎氏にも尊敬の念を寄せている。

「’80年代初頭に初めて店を訪れ、まず魚の匂いがしないことに驚きました。それは仕事の厳格さ、技術の高さ、仕事場を徹底的に清潔に保つ姿勢の賜物なのです。自然を敬うやまう心は素材の扱いや店を飾る生花に表れています。環境や服装、言葉や態度に気を使う繊細さとエレガンスは料理人にも必要なこと。小野シェフのこうした美徳に非常に感銘を受け、日本との縁が以後どんどん深くなっていきました」

そんな絶頂のなか、’96年に「ジョエル・ロブション」を突如閉店。しかし、食のプロデュースやレストランの運営、レシピの考案など、"食"への挑戦は続く。日本の割烹からヒントを得た、カウンター形式のフレンチレストラン「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」を六本木にオープンさせ、パリや香港、ラスベガスなどに展開。食品加工業への関わりも見逃せない。ハム・レトルト食品製造のフランス最大手フルリ=ミション社とは30年も前から商品を同開発してきた。

「添加物を可能な限り取り除き、素材を改善し、今ではかなり満足のいく商品を作れています。当初は3ツ星シェフがレトルト食品に携わることを揶揄する人もいましたが、すべての人々の食事をよりよいものに向上させることも、私たち料理人の義務ではないでしょうか。F1の技術が大衆自動車にも生かされているのと同じだと考えています」

他にもワインショップ経営など、留まることを知らないロブション氏の情熱と実践力。今年6月には、日本酒の『獺祭』と提携した「ダッサイ・ジョエル・ロブション」をパリにオープンさせた。日本酒や酒粕を用いた料理を楽しめるレストランのほか、サロン・ド・テ、パンとデザートのブティックも備えたまったく新しい形態の店だ。

「モンドールチーズの楽しみ方のひとつに、白ワインを注ぎ温めていただくという食べ方がありますが、日本酒でもよく合うのです。この日仏融合の料理が、フランス人に受け入れられることを確信しています」

料理人の価値を高める。壮大なプロジェクト、始動!

余生を悠々自適に遊んで暮らすことなど眼中になく、前例のない試みに次々と飛びこんでいく。そんな巨匠の胸のうちには、実は壮大な夢があるのだ。

「私の故郷であるポワティエに料理学校を設立します。元修道院の建物を改装し、1400人の生徒が料理の基本やサービスについて学び、さらに実践の場として生徒が料理をゲストに提供するレストランも併設した施設です。まだまだサービスをする側の人材が圧倒的に足りません。莫大な費用がかかりますが、かなえたい夢なのです。私の役割は、人を育てること、そして新しいレシピを仲間とともに考え、それを世界に発信すること。やりたいことは尽きません」

学校は2020年以降に完成予定だという。70歳を越えてなお未来を見据え、料理への熱い思いを後進に託すべく、自ら行動する人。フランス料理史に刻まれるレジェンドに、終止符はまだまだ打たれない。


Joël Robuchon Biography

1945年 フランス西部ポワティエ生まれ。12歳で神学校へ入学。
1960年 15歳で料理の道を志し、ホテル・レストランで料理技術の基本を学ぶ。
1966年 「コンパニョン・ドゥ・トゥール・ド・フランス」のメンバーに選ばれる。
1974年 「コンコルド・ラファイエット・ホテル」総料理長に就任。
1976年 31歳で「フランス国家最優秀職人章(MOF)」受賞。
1981年 「ジャマン」を開店。翌年3月にミシュラン1ツ星、その翌年には2ツ星を獲得。
1984年 39歳でミシュランの3ツ星を史上最短記録で獲得。
1994年 「ジャマン」を「Joël Robuchon」として移転拡大。
1996年 「Joël Robuchon」を閉店。世界中に衝撃が走る。
2003年 六本木ヒルズに「L'ATELIER de Joël Robuchon」を開店。パリの『ポン ロワイヤルホテル』に「L'ATELIER de Joël Robuchon」を開店。
2004年 日本橋髙島屋に「LE CAFÉ de Joël Robuchon」を開店。
パリの16区に「LA TABLE de Joël Robuchon」を開店。恵比寿に
「Château Restaurant Joël Robuchon」をリニューアルオープン。「Joël Robuchon」、「LA TABLE de Joël Robuchon」、「LA BOUTIQUE de Joël Robuchon」を展開。その後、ラスベガス、ロンドン、香港、シンガポールなど世界各国で続々とオープン。
2007年 アジア初の「ミシュランガイド東京2008」が刊行。レストラン3店舗がすべて星を獲得。
2009年 モナコに日本料理「YOSHI」をオープン。丸の内ブリック・スクエア内にイートイン・スタイル初の「LA BOUTIQUE de Joël Robuchon」をオープン。
2010年 パリに「L'ATELIER de Joël Robuchon Etoile」をオープン。
2012年世界初のパン専門店「LE PAIN de Joël Robuchon」渋谷ヒカリエShinQs店をオープン。
2016年 「LE PAIN de Joël Robuchon」ニュウマン新宿店をオープン。
2018年  パリに「DASSÏ JOËL ROBUCHON」をオープン。8月、スイス・ジュネーブで死去。


Text=松原麻理 Photograph=井田純代