カルビー社長 松本 晃 だから経営者はやめられない、とまらない。ビジネスで大切なことは「世のため人のため」と「儲ける」こと

日本で最も有名なお菓子メーカーのひとつ、カルビーの業績が絶好調だ。企業として踊り場にさしかかっていたという伝統的な日本のメーカーを大きく変えたのは、2009年に外部からやってきたひとりの人物だった。全国を飛び回るカルビー代表取締役会長兼CEOの松本晃氏を追う

わずかな期間で高収益企業へ変貌

まったく飾らないのが松本のスタイル。会長兼CEOという肩書きからは想像もつかないほど、フランクに社内を歩き回る。ちなみに通勤もクルマではなく電車を利用して歩く

5年前、わずか1%台だった営業利益率は、今や10%を超えた。小さな新興企業の話ではない。60年以上の歴史を持つ老舗企業であり、2000億円もの売上高を誇る会社。しかも、おそらく誰もが知っている超有名企業なのだ。カルビーを、わずかな期間で高収益企業へと大きく変貌させた会長兼CEOの松本晃は、関西なまりの言葉で、さらりとこう語った。

「単に儲け方が下手やったから。それだけですよ。いや、儲ける気がなかったんでしょう。しかし、日本の会社って、そんな会社だらけじゃないですか」

毒舌に思えるが、どのくらいの人が、この松本の話に強く反発できるだろうか。

「経営者を面白おかしくやっているだけで、リスクがないんでしょう、日本の場合は。株主さんも、儲けてない経営者に辞めろと言わないわけですから」

2009年に就任して、真っ先に取り組んだのが、“会社の基本”を作ることだった。そのために、取締役を刷新した。

「ガバナンスをつくるためです。これは当たり前のことなんですよ。ところが、日本の場合は、その当たり前ができていますか。経営と取締役が一緒になって、株主がどこに行ったかわからん。取締役は本来、株主に代わって経営を監視する役割です。まずは、株主、取締役、経営と3つをしっかり分けないと」

松本という経営のプロを招き入れたのは、カルビーの創業家だった。勉強会などで一緒になった松本に、CEO職を依頼したのである。

「カルビーって、けっこういい会社なんですよ。いいものもつくっている。なのに儲からないのは経営がおかしい、と嫌みを言っていたら、そんなことを言うんだったら、お前やってみろ、ということになりましてね(笑)。社長は過去にやっているし、体力的にもしんどいと申し上げたら、会長はどうだろうか、と」

当時、松本は62歳。ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人のトップを定年退職し、経営の世界から離れていた。東北大学の教壇に立ったり、経済産業省の仕事をしたり、自ら立ち上げたNPOの理事長をしたり。60歳以降は世のため、人のために生きていこうと思っていた、と語る松本だが、その特異な能力が、放っておかれるはずはなかった。

来年の予測なんて鬼が笑う

今や伝説にもなっている松本の驚くべき実績がある。ひとつは、39歳の時、勤務していた伊藤忠商事から出向したセンチュリーメディカル取締役営業本部長時代のことだ。大赤字を抱えた会社だった。ところが松本がいた6年間で、売上高は約20倍に、大赤字の会社は大きな黒字を生み出す会社へと変貌した。

そしてもうひとつ、45歳で転身したジョンソン・エンド・ジョンソンでは、率いた事業本部を6年で売上高5倍に。ここでも大赤字の事業を大黒字にする。52歳で社長に就任すると、以後9年の間に、600億円だった売上高は2千数百億円と約4倍に、さらに利益は約30倍になった。

この経験から松本は、「会社というものは、こうしないといけない」と気づいた。それがカルビーでも実践されたのだ。まずはガバナンスづくり。そして、儲かる仕組みをつくることだ。

「そんなに難しいことをやったわけではないんですよ。会社が儲かるには、基本的には3つの要素があるんです。1番目は商品の品質。2番目はコストが安いこと。3番目は供給体制が整っていること。カルビーは、1番目と3番目はよくできていました。ところが、2番目の意識がまったくなかった」

松本は、シンプルにカルビーの課題を見抜いた。

「最大の弱みは、製造原価が高すぎたことでした。競合が57%なのに、65%もあった。競合より3倍もつくっていたのに、コストが高いなんて絶対おかしい」

しかも、工場の数が多すぎた。だから、稼働率が低く、週3日しか動いていない工場もあった。松本がまず取り組んだのは、変動費を下げることだった。

「余計なモノを買うな、と。いいものを安く買うのはいいことですが、本当に必要がないなら、買わないほうがずっといい。会社というのは、不要なものをついつい買ってしまうんです。どうしてかというと、人間というのは、買うのが好きだから」

設備投資もコントロールした。結果として製造原価が下がった。だが、利益に取り込まずに、製品の価格を下げた。すると競争力が高まる。シェアが上がると工場の稼働率が上がる。固定費が下がる。コストは改善された。

「実に簡単な仕組みですよ。でも、こういうことは現場に行かないと見えてこないんです。工場の稼働率が低いと、働いている人も困る、なんてこともね。経営者がずっとオフィスに籠もっていると、稼働率と製造原価の関係が、わからなくなる」

松本が来る前のカルビーは、膨大な量のデータを駆使する経営をしていた。松本はこれを次々に排除していった。

「データが氾濫すると、データを利用して会社を経営したくなるんです。例えば、POSデータを使って来年の計画を立ててしまう。それをベースに製造計画を立て、仕入れの計画を立てる。でも、こんなもの当たるわけがない。明日のこともわからないのに来年のことなんてわかるはずがない。鬼が笑いますよ」

計画なしでどうするか。最も難しいのは、天候に左右される馬鈴薯の仕入れだった。松本は、いいものであれば買いすぎてもいいから買え、と指示を出す。

「買ってきたら、今度は工場でつくる。そうすると稼働率が上がる。できたものは売る。売れなければ値を下げる。罪は売れないことじゃないんです。何より罪なのは、売れないものをずっと置いておくことです」

徹底して現場にこだわる/週末の散歩では近所のスーパー4店、コンビニ6店を回る。カルビーの商品はもちろん、日用品の価格をくまなくチェック。「毎週見ていると、世の中の変動がよくわかる」。

外からの評価を試してみたくて転職

1947年、京都に生まれた。歴史と伝統の地だが、実は革新的、新しもの好きの空気がある。松本もそうだった。そして物言いは極めて率直。おべっかを言うことがないのも京都人らしい。

「嘘をつくのは邪魔くさいんですよ(笑)。次にまた違うことを言う可能性があるから」

京都大学では農学部に学んだ。その理由もあっけらかんと言う。

「一番入りやすかったからです。本当は経済学部に行きたかったけど、落ちるかもしれない。浪人は経済的にまったく許されないわけではなかったけれど、やっぱり難しいと思ったから」

子供の頃からお金というものに興味があった。やがて経済活動そのものに強い関心を持つようになる。これがフルに発揮されるのが、伊藤忠商事時代だ。

「国内営業に配属され、何でもいいから売ってこい、と言われたんですが、これが面白くてたまらなかった。入社間もない頃から、ベテランより僕のほうが売るのはうまかったですから」

船を売りに行って、電動の駐車タワーも売ってしまう。ゴルフをしに行けば、機械を売ってしまう。

「売る極意がわかりました。人は買いたいものを買うんじゃない。買いたい人から買うんだということです。大事なことは、しょっちゅう顔を出すこと、そして約束を守ることです」

だが、会社に入ってすぐに気づく。サラリーマンは、トップにならなければつまらない、と。

「だって、みんな上司にはペコペコするわけですよ。上司がいない立場がいいに決まってる」

一番で出世するしかないと思った。実際それができた。そして転機が訪れる。大赤字を出していたセンチュリーメディカルへの出向。松本は、商品も売り方も変えた。特に力を入れたのが、人材採用と教育。考えたことは、極めてシンプルだった。

徹底して現場にこだわる/医療機器を売るべく、ジョンソン・エンド・ジョンソン社長時代は、白衣を着て現場に立つ。「オフィスに籠もっていても何も見えてこない」

「活躍できる仕組み、結果を出したら報われる仕組みをつくったら、業績は上がるんです。そうすると会社はお金持ちになって、新しい商品を提案できる」

実際、会社は6年で大きく変わった。だが、松本は伊藤忠には戻らなかった。結果を出しても給料も変わらない。出世にも時間がかかる。そんな現実に気づいたから。そしてそれ以上に、興味が湧いてきたことがあった。

「外からの評価がどのくらいあるか、試してみたかったんです。それは、辞めてみたらわかる」

23の会社からオファーが来た。そこから、ジョンソン・エンド・ジョンソンを選んだ。

「最も大きな理由は、クレド〈我が信条〉の存在ですね。本当にこんなことを真面目にやっているのか、信じられないほどいいことが書いてあった」

世界で最も優れたビジネス文書と言われるクレド。松本はカルビーのビジョンも、これをベースにつくっている。大事なことは、順番を間違えないことだ。

“顧客・取引先から、次に従業員とその家族から、そしてコミュニティーから、最後に株主から尊敬され、賞賛され、そして愛される会社になる”

「世のため人のために儲ける。日本の会社はこれをあまり言わないでしょう。たくさん稼いで、たくさん税金払って、給料も払って社会貢献もする。何が悪いのか、ということですよ。ただし、その順番を間違えてはいけない。逆になると、会社はすぐにダメになります」

5年前、世のため人のためにと個人でNPO法人「日本から外科医がいなくなることを憂い行動する会」を立ち上げ、理事長に。

人生は学ぶことですべての問題が解決する

カルビーで変えたのは事業の仕組みだけではない。仕事の文化や人事評価についても変えた。

「コミットメント&アカウンタビリティー、約束と結果責任です。ビジネスの基本は、約束と、それに対して結果責任を負うこと。ものすごくシンプルな話です」

CEOの松本以下、すべての役員、社員が契約書を作る。約束をするのだ。最初は戸惑いもあったが、慣れるという。今では、「C&A」という言葉がすっかり定着している。

もうひとつ、松本が持ち込もうとしてきたのが、学ぶ文化だ。

「誰か偉い人が学ぶ、というのではあかんのです。みんながレベルアップしていかないと。そのためには、学ぶという文化をつくらないといけない」

そこで始めたのが、松塾だった。月に1回、松本と創業家元社長の松尾雅彦が出向く全国各地に、20~30人ほどの社員が集まる。

「人生は、学ぶことですべての問題が解決できる。学んで、考えて、それで行動する。行動ばかりして、考えも学びもしないから失敗する。その逆も同じ。みんながそういう気持ちで、少しでも学び、考えて、行動したら会社は間違いなく強くなる」

松本自身、今も学ぶ。あらゆるものを読むこともそうだ。

「何かしら仕事の役に立つぞと思って読んでいます。役に立たないものは、頭に入らないんです。そして、読んだら捨てる。どんどん捨てていく」

カルビーの改革もそうだが、松本の特徴は、そのロジックが極めてシンプルであることだ。

「あんまり頭よくないから、複雑に考えられないんですよ。簡素化しておかないと頭に入らない。しかし、だからこそ相手には理解しやすいと思います」

松本はまた、伝説になりそうな実績をカルビーで創(つく)り出そうとしている。その感想がまた、極めてシンプルだった。

「やっぱり金儲けは面白いな、と思っています(笑)。金儲けというのはやっぱり、世のため人のためになるんです」

Akira Matsumoto
1947年京都府生まれ。京都大学農学部修士課程修了後、伊藤忠商事に入社。’93年、ジョンソン・エンド・ジョンソン入社。’99年、代表取締役社長。2008年、最高顧問に就任。’09年6月、カルビー代表取締役会長兼CEOに就任。


Text=上阪 徹 Photograph=太田隆生

*本記事の内容は14年10月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい。14年4月以降の記事では原則、税抜き価格を掲載しています。(14年3月以前は原則、税込み価格)