山下達郎にとって続ける理由とやめる時とは?滝川クリステル いま、一番気になる仕事

デビュー40周年のアニバーサリーイヤーを祝い、ライブ真っ最中の山下達郎さん。のどの不調から公演を中断した際、その高いプロ意識と観客への誠実さが印象的だった。心は常に冷静と情熱の間にある、仕事人として、ひとりの男としての想いに迫る。

音楽だけをやってきた40年目の新しい出発点

トップス¥96,000、パンツ¥95,000(ともにアルベルタ フェレッティ/ウールン商会 TEL:03-5771-3513)、ピアス、ブレスレットはスタッフ私物

滝川 山下さんは昨年公式デビュー40周年を迎えられました。私も毎年のようにライブにお邪魔しては、その妥協のない音に身を委(ゆだ)ねています。山下さんにとって「仕事」とはどのようなものなのでしょうか?。

山下 どんな職種であれ、自分の仕事をネガティブに捉えている人は幸福になれないだろうと思います。僕はそれほどポジティブシンキングな人間でもないけれど、自分を幸せにできるのは自分しかいないわけですから。もし望んだ立場にいなかったとしても、そこから自分でプラスに転じていくしかない。自分の力で自分の心を幸福にしていくしか方法がない。それはこの40年、音楽業界でやってきた結論ですね。

滝川 音楽以外の道に興味を持たれたことはありましたか?

山下 小学生の頃は天文学者になりたかったんです。裕福な家庭ではなかったので天体望遠鏡は買えなかったけど、何億光年と離れた天体の存在に思いを馳(は)せると、地上の人間関係なんて些細(ささい)なことに感じられた。中学を出るまでは理系志望で、結構本気で研究職を目指していました。それが、中学で音楽に出合い、高校の入学祝いにドラムセットを買ってもらってから星座はどこかに行っちゃった(笑)。

滝川 音楽が星座に勝ったんですね。そこから音楽漬けに。

山下 かといってミュージシャンになりたかったわけでもないんです。僕は70年安保の時代に、道を誤って音楽家になった人間なので、目立ちたいとか金儲けしたいとかモテたいとかいう動機ではなく、音楽しか好きなものがなかったので。うちは祖父も父も職工だったせいで、職人の技への憧れがありました。その一方では、文化人や知識人といった戦後民主主義的なエスタブリッシュメントに、かなりの抵抗があって、今もアーティストと呼ばれるのが大嫌いです。心情的にアナーキーなところがあって、どこかに帰属(きぞく)するという意識が希薄ですし。

滝川 ライブのMCでもそういったお話をされますよね。いろいろな意味で刺激的で、私はそれを聞くのも楽しみなんです。

山下 それは貴女(あなた)がジャーナリスティックなフィールドにいる方だからでしょう。ただね、職人の場合でも、単に頑固に自分のやり方に固執(こしつ)しているだけでは、早晩(そうばん)通用しなくなる。たとえば録音技師のなかには、自分の過去の仕事はいっさい聴かない、振り返らないというタイプがいて、それで時流に合わなくなって自滅する例が少なくない。反省と総括、自戒(じかい)の機会を常に持たなければ。まぁとにかく、僕はドロップアウトだったので、レコードの趣味しか残らなかったんです。メシが食えるようになってからは、ひたすらレコードを買うために仕事していたといえます。

滝川 今、CDやアナログ盤はどのくらいあるんですか?

山下 6万枚くらいかな。

滝川 すごいですね......。でも音楽活動を始めた当初は、所属事務所との正式な契約もなくギャラも支払われなかったとか。

山下 ええ、お陰で生活には本当に困窮(こんきゅう)して、できる仕事は何でもやりました。専門はコーラスのスタジオミュージシャンだったけど、他にも作曲、編曲、CM音楽......あらゆる雑多な仕事を。その後、自分の事務所を作り、自分達でレコード会社も立ち上げました。小さなインディーズでしたが、そのお陰で、制作・宣伝・販促・営業というレコード会社の基本業務のすべてに関わることができました。あの頃に覚えたノウハウや人との出会いが、今も僕のかけがえのない財産になっています。

滝川 裏方仕事もすべて自力で。

山下さんがよく利用する音楽スタジオにて。「結婚後、女房のアルバムをプロデュースしていますが、自身の売り上げを超えた時、やっと名実ともにプロデューサーになれたって思えたんです」(山下)

山下 自分でやるしかなかったから。今でも僕は、裏方の仕事のほうが自分には向いていると思ってます。さすがにもう戻れないけど(笑)。初めから大きな組織でデビューしていたら、早々に淘汰(とうた)されてここまで生き残れなかったでしょうね。振り返ってみると、運がよかったとしか思えないことがたくさんあります。「クリスマス・イブ」は自分が作った全作品中でも、作詞、作曲、演奏、歌唱、録音といった総合点が一番高いもののひとつだと思っているんですけど、日本の歌謡ヒットソングの風土には合わない。たまたまJR東海のCMタイアップに使われたお陰で、ヒットしたんです。チャートで1位を取るまでに発表から6年以上かかっている。幸運としか言えません。

滝川 もちろん実力あってのことと思いますが、自分の意志以外のところで動きがあったと。

山下 基本的に僕は音楽の趣味がオタクなので、ゆえに自分の音楽的スタンスはこの国の主流にはなり得ません。インディでサブカルな傍流(ぼうりゅう)です。だからいずれ最終的には裏方になるつもりでやっていた。82年にムーンというインディーズレーベルを作った時にも、90年くらいになったら、最初で最後の武道館公演をやって引退しようと思ってました。そうしたら89年に「クリスマス・イブ」が1位になって、お陰で続行できた。一緒にやってたミュージシャンともいろいろあって、人間関係で十二指腸潰瘍(しちょうかいよう)になったりもしました。

滝川 そういう時期は、どうやって乗り越えられたんですか?

山下 この仕事はただでさえ不安定ですからね。昔は女房とよくそういう話をしました。本当に食えなくなったらどうしようかって。僕は昔のCMとかコーラスの仕事に戻る。女房は英語の先生をやる。まぁそれで、なんとかなるだろうって。

滝川 竹内まりやさんが、英語の先生に......。

山下 むしろ若い時にこそ、そういう達観主義が必要だと思ってた。本当にダメな時にどう凌(しの)ぐかを想定できれば、怖いものがなくなる。どう努力をするかはその先のことで。たとえば声はどんなに頑張っても出なくなる時は来ます。僕はライブでキーを下げたくないし、プロンプターも使わない。「煙が目にしみる」のGシャープのロングトーンが出なくなったらやめます。

滝川 声が基準なんですね。

山下 昨今の趨勢(すうせい)とは違うけれど、デジタル修正に頼るのは嫌なんです。演奏にしてもあくまで人力であるところが、音楽の説得力になると思うから。

滝川 今も全国ツアーの真っ最中ですよね。昨年10月を皮切りに、4月まで続く全国35都市64公演のロングツアーです。

山下 昔はライブというと、アルバムのプロモート手段という要素が強かったんです。20代の終わりから30代にかけては、毎年アルバムを制作して販促のためにツアーをする、その繰り返し。でも段々アルバム制作に時間がかかるようになっていって。誰でも人生に1曲は名曲が書けますが、100曲200曲を作り続けるのには技術がいる。時代の流れとしてのパッケージメディアの衰退もあった。そういったいくつかの理由から、55歳の時に、これからはライブ活動中心で行こうと方向性を変えました。それからは毎年50本前後やっています。今年は40周年記念で、少し多いけど。

滝川 今後もライブ中心に活動されるのでしょうか?

山下 そろそろアルバムを作りたいなとも思っています。まだやりたいことは結構あるから。ビジネスである以上、以前はある程度の売り上げは必要だったし、そのためにチャートも意識してきましたけど、でもそろそろ、そういうのを気にせず、自分の情念のまま、やりたいことをやってもいいのかなって考えているところですね。

滝川 40年目が、また新しい出発点になるんですね。

Christel's Times Monthly Column

10年前、自ら一般財団法人を立ち上げるとは思いもよらなかった。生きものたちとの共存を目指し、さらに歩みます。

ゲーテ創刊10周年、おめでとうございます。10年前の私は、『ニュース JAPAN』のキャスターに抜擢(ばってき)され5年目に入る頃。原稿やデータで知る社会の理不尽に悲しみと怒りを覚え、どうすれば声なき声の代弁ができるだろうかと、自分にしかできない報道の形を模索し始めた時期でした。それが現在の生物多様性や動物愛護の活動にもつながっています。そして、私の10年後は、公私ともにやりたいことをやり尽くしていたい。「いつ死んでもいい」と思えるくらい、充足した自分でいたいです。

Tatsuro Yamashita
1953年東京都生まれ。75年シュガー・ベイブとしてレコード・デビュー。76年ソロ・デビュー。「クリスマス・イブ」が85年以降30年連続チャートイン。84年以降、竹内まりや全作品のプロデュースを手がけるほか、CM楽曲制作や楽曲提供など、幅広い活動を続けている。最新作は嵐への提供曲「復活LOVE」(作詞:竹内まりや)がある。http://www.tatsuro.co.jp

Christel Takigawa
1977年フランス生まれ。『グローバルディベートWISDOM』(NHK BS1)ほかに出演。WWFジャパン顧問、世界の医療団 親善大使。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会・顧問。一般社団法人クリステル・ヴィ・アンサンブル代表。http://www.christelfoundation.org/


滝川クリステル
滝川クリステル
Christel Takigawa 1977年フランス生まれ。WWFジャパン 顧問。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 顧問。一般財団法人クリステル・ヴィ・アンサンブル代表。現在、『教えてもらう前と後』(TBS系)でMCを務める。2018年、2度目となるフランス国家功労勲章「シュヴァリエ」を受章。インスタグラム:@christeltakigawa
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