野球解説者・スポーツキャスター 古田敦也 情熱の系譜2

関西出身の元プロ野球選手で野球解説者・スポーツキャスターの古田敦也さんは、地元の“経営の神様”松下幸之助の本を読んで育った。「創意工夫」「社会還元」、そして「素直」。幸之助が本に遺したビジネスの基本は、選手としても、監督としても役に立つ知恵の泉だった。

素直な心が創意工夫を生み、成長するチャンスを生む。

 1989年にドラフト2位でキャッチャーとしてヤクルトスワローズへの入団が決まった古田敦也さんは、当時の監督、野村克也氏の著書を隅々まで読んだ。監督が求める選手像をキャンプ前に正しく理解しておこうとしたのだ。
「大学と社会人で選手を経験したので、入団時にはすでに25歳を迎えようとしていました。プロに入ったからには、即戦力、即レギュラーですよ。ファームで2、3年鍛えよう、なんてさらさら思わなかった。それにはまず監督が望む選手を目指す。たとえ自分の求めるスタイルと違っていたとしてもね。監督が好む選手になってゲームで使ってもらわないことには、野球ができないわけですから」
 監督の著書には理解できない記述も、自分には直接役立ちそうにない内容もあったが、すべてを素直に受け入れて読み進めていった。
「おかげでキャンプに入っても迷わずにすみました。ライバルの存在も気にならない。監督が求める選手像に自分をフォーカスしてトレーニングすればいいからです」
 当時のスワローズには、キャッチャーのレギュラー候補に、強肩で俊足の飯田哲也選手がいた。
「飯田は同世代で3歳年下。ポジション争いで負けたら、僕は永久にレギュラーになれません。でもね、監督の著書によると、足が速い選手は概して冷静さに欠け、キャッチャーに不向きとあった。だから、飯田を気にせずに自分のやるべきことに集中できました」
 そのキャンプ中、飯田選手は監督によって外野にコンバートされた。この、「一度は状況や現実や向き合う相手の考え方を素直に受け入れる」という古田さんの心構えの源泉には、松下電器産業(現パナソニック)の創業者で“経営の神様”と称される松下幸之助の教えがあるという。

〈素直さは人を強く正しく聡明にする〉(『道をひらく』より。以下同)
〈素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚を生む〉
〈素直で謙虚で、しかも創意工夫に富む人は、毎日が明るく、毎日が元気〉

 幸之助が遺した言葉には“素直”であり続ける大切さがくり返し説かれている。こうした言葉と、古田さんは10代の頃、数々の松下幸之助関係の本で出合った。
「僕は兵庫県川西市出身。関西で生まれ育つと、大阪で松下電器を一代で築いた松下幸之助が立派な方だということを自然に刷り込まれます。親や教師を通じてね。じゃあ、いったいどんなにすごい人なのか。それをもっと具体的に知りたくて、高校生の頃に本を読みました。すると、サラリーマンだけでなくスポーツ選手にも役立つ考えが詰まっていたんですよ」

 現役時代、古田さんはあらゆるスタイルの打撃フォームを試みた。例えば、日本を代表するバッター、松井秀喜やイチローのフォームを参考にした時期もある。
「なぜあんなに打てるのか?」
 素朴な疑問に対してプロ野球選手として真剣に取り組んだのだ。
「まず、松井君のフォームを試してみました。重心は後ろ足でボールを引きつけて打つ。やってみると、下半身にすごく負担がかかる。続けていると身体が壊れそうになります。あれは、強靭な下半身を持つ松井君だからできるんです。
 そこで、イチロー君の打ち方を試してみました。スウェイといって、重心は前足でピッチャー寄りで球をさばく。こちらのほうが僕には合っていましたね。中腰で守備につくキャッチャーは膝にダメージを抱えがちなので、下半身への負担が少ないフォームが向いていたんです」
 まず「なぜ?」と疑問に思い、実際に創意工夫する。このことも、松下幸之助はよく書いている。

〈“なぜ”と問うて、それを教えられて、その教えを素直に自分で考えて、さらに“なぜ”と問い返して、そして日一日と成長してゆく〉
〈とにかく考えてみること、くふうしてみること、そしてやってみること。失敗すればやりなおせばいい。やりなおしてダメなら、もう一度工夫し、もう一度やりなおせばいい〉

 こうした幸之助の考え方が、古田さんには子供の頃から自然にしみ込んでいたのである。
「20代は日々のゲームに勝つためにガリガリと自分を鍛えました。でも、30代半ばになると組織が見えてきて、そのなかで自分を俯瞰して見られました。すると、10代の頃に読んだ松下幸之助の著書の言葉が蘇ってきたんです。自分の置かれている状況とも重なって、すっと理解できました。監督をやった40代初めはさらにね」

古田氏は、チャリティプロジェクト「JustGiving」にも取り組んでいる。「ホノルル・トライアスロン」も、活動の一環としてチャレンジした。JustGivingホームページ http://justgiving.jp/

 監督時代の古田さんは「F-Project」を行った。名称の「F」は「Fan(ファン)」「Fun(楽しみ)」「Full(満員)」と「Furuta」。ファンとの交流を積極的に増やし、チーム名も「東京」を冠して「東京ヤクルトスワローズ」とした。地域密着を強化し、地域社会に役立つチームを目指したのだ。その根底にも松下幸之助の考えがある。

〈会社は社会の公器である〉

 幸之助は常々話していた。
「プロ選手はスキルを上げて質の高いパフォーマンスを見せるだけじゃだめだと、僕は思っています。ファンサービスをおろそかにしてはいけない、と。応援してくれる方々がいるからこそ野球ができるわけですから。その成り立ちは企業もプロ野球チームも同じ。自分たちを支えてくれている地域の人たちにきちんとお返ししてこそ、そこに長く存在できるんです」

Atsuya Furuta
1965年兵庫県生まれ。'90年にドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。'07年の引退まで球界を代表する捕手として活躍。通算盗塁阻止率、オールスター連続出場など多くの日本記録を持つ。

Presented by 協和発酵キリン Text =神舘和典 Photograph =大森 直、久保田育男

*本記事の内容は10年6月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい