カルロス・ゴーンに密着! なぜ日産が現代アートなのか?

『日産アートアワード』を創設した日産。次代を担う現代アートの日本人アーティストを支援するこの試みには、どんな意図があるのか。アワードの選考開始から約3カ月、日産自動車社長兼CEO カルロス・ゴーンに密着! ゲーテがその活動に追った。

 5月末、世界最大級の現代アートの美術展『ベネチア・ビエンナーレ』の会場に現れたのは、日産自動車社長兼CEOカルロス・ゴーン氏だ。
「ビエンナーレは初めてです。想像以上の発見がありますね」
 しかし彼の今回の訪問は、単なる視察ではない。真の目的は、『日産アートアワード』(以下NAA)の一次審査へのオブザーバーとしての出席だ。NAAは次代を担うアーティストに隔年で贈られる賞として、今年創設。1回目となる今回は現代アートを対象に、最終的に日本人アーティスト1名が選ばれる。
「これは創立80周年を迎えた日本企業である日産の、日本への恩返しなんです。私自身、ビジネスを通して日本の創造力の高さに驚かされ続けてきました。ですがこのアワードはビジネスの一環ではありません。だから自分たちの専門分野から離れた、アートでの日本の創造力を支援しようと考えました」
 ある時はじっと足を止め、ある時は同行の我々に意見を求めながらビエンナーレを経験した彼は何を感じたのか。NAAを通し、何を伝えようとしているのか。ここベネチアを皮切りに、80周年を迎えた日産が目指す企業の姿をひもといていく。

ゴーン氏が足を止めたのは、イタリア代表のジュリオ・パオリーニの作品。

ベネチア・ビエンナーレ視察でゴーンが学んだもの

 NAAの第一次審査の前に、ビエンナーレを訪れたゴーン氏。最新の現代アートを前に、NAAのファシリテーションを手がける辛美沙氏に「これはどんな素材でできているのか?」「どこの国のアーティストのものか?」と、気になる作品はひとつひとつ質問をしながら丹念に鑑賞していく。元造船場という広大な会場を休む暇なく精力的に歩き続ける姿は、多忙な激務の合間を縫ってベネチアに到着したばかりとは思えないほど。
「先ほど見た作品(写真5)は色や形がとても力強かったですね。作品が発する彼らの生活や考えを感じ取ることができ、とても感銘を受けました」
 絵画・映像からパフォーマンスまで、型にとらわれない現代アートに触れていくうち、いつものビジネスとは異なる楽しげな表情になっていく。
「楽しそう? それは、この会場で学んでいるからですよ。こうやってアートに接している時の反応が、自分に自分のことを教えてくれるのです。なぜ作品のよさがわかるのか、あるいはなぜわからないのか。目の前にある作品を理解する過程は、自分自身を理解する過程でもあるのです」

1.スーパーリアルな人体はジョン・デ・アンドレア作。2.屋外に展示された中国人アーティスト、シュウ・ヤンの作品の前で。3.今回の視察、アワード審議会には、デザイン部門チーフクリエイティブオフィサー(CCO)中村史郎氏と参加。

アートアワードも学びの場のひとつ

 「今回のNAAはまさに私にとって学びの場です。正直に言って、私にはあまり理解できない作品もあります。しかし、世界各地から集まっていただいた業界トップの審査員たちがその作品のよさを語る時、私は今まで知らなかった発見をする。気がつかなかったよさを理解できるようになるんです」
 この学びはビジネスにも影響があるのだろうか?
「ビジネスでも学ぶことは原動力。技術然(しか)り、市場のことも然り。日産に来て14年になりますが、学ぶ環境に置かれるたびに喜びでわくわくします。今回の学びはビジネスにつなげるためではありませんが、それでも、車の形状、トレンド、新しい素材や色の決断をするうえで、アートについて学習することは有意義だと思います」
 ビエンナーレを見て何か変化はあったのだろうか?
「一瞬にして変化することは難しいですが、少しずつ理解を深めていける経験が面白いんです。NAAでこういう作品を日本人に見てもらう機会を作ることで、見る人に何かしら影響を与えることになると思っています」

目の前にある作品を理解する過程は自分を理解する過程でもある/4.元造船場を利用したビエンナーレ会場のひとつ、「アルセナーレ」を精力的に視察するゴーン氏。5.セネガルのアーティスト、パパ・イブラ・タルのタペストリーはお気に入りの作品に。6.イタリアパビリオンではルイジ・ギリの写真作品を鑑賞。

アワードが生みだしたのはカタチなき成果

 日産が社会に果たす貢献とともに、このアワードは日産にとって何かをもたらすのか?
 ビジネスとの直接的な関係については「利益を生む経済活動ではない」とゴーン氏は否定する。しかし同時に「異なる価値観を知ることで新しい発見がもたらされる」と、このアワードがもたらす意義を語る。
「車は、技術とエモーション(情緒)、ふたつの要素をいかに組み合わせるかという仕事。しかしさらに重要なのが革新性。革新を次々と生みだし続けることなんです。今ある価値観を脱し、新たな価値観を生みだす。いわゆる新しいルールを創り続ける“ルールメーカー”であることが日産の使命なんです。そのためには、意思決定者である私をはじめとする人材のひとりひとりのマインドに、価値の多様性や発見が浸透していくことはとても重要です。例えば、経営層の価値観が保守的では、どんなに才能豊かな人材がいても無理。常にパイオニアでいるためには、大胆な商品やルールを変える提案に対し、リスクを取る正しい判断ができるかどうかということです」
 ルールメーカーたる信念は、日産社内にさまざまな形で醸成されているという。そのひとつが、エモーションを車に与えるデザイン部門。アートアワードの実質的なトップでもある、中村史郎氏が率いるその本拠地を訪ねた。

ナフタリンの鍵を内部に配した樹脂のトランクは、グランプリを受賞した宮永愛子氏の作品「手紙」の一部。

そもそもビエンナーレとは何なのか?

 2年に1回、イタリア・ベネチアで行われる世界最大級の美術展、それが『ベネチア・ビエンナーレ』だ。100年以上の歴史を持ち、第55回の今回は88カ国が参加。美術評論家、キュレーターから毎回選出される総合ディレクターによる企画展のほか、国別の展示も行われ、金獅子賞(最優秀賞)の選出もあることから“アートのオリンピック”の名も。日本は田中功起氏の展示を行い、特別表彰を受賞。
 注目されるのは、その規模だけではない。このビエンナーレに出品されること、それはアーティストの名声を上げるだけではなく、ひいてはその後のアートフェアやオークションの価格にも確実に反映されることを意味する。ゆえに、アート関係者のみならず、コレクターや投資家など世界中のVIPたちも多数参集するのだ。ケリング設立者フランソワ・ピノー氏やプラダ財団などの美術館もあり、この時期はあちこちで豪華なイベントやパーティが開かれる。まさに世界のアートビジネスに多大な影響を与える一大ショーケースなのだ。

1.シスレイ・ジャファの木の上で髪を切るパフォーマンスは、床屋を異空間に置くことで見る人に既知の価値観を問う。2.今年はドイツとフランスが自国の所有館を交換して展示。ドイツ展示の空間を埋め尽くすスツールは、アイ・ウェイウェイ作品「Bang」。3.日本館の入り口に掲げられた数字「9478.57km」は東日本大震災の被災地までの距離。

一次審査がベネチアで行われたワケ

 ビエンナーレ当日、世界各国からベネチアのとある場所に集まったのは5名の審査員たち。彼らはそれぞれ大きな美術展のディレクター、あるいはキュレーター、として世界中で活躍する、まさにアート界で知らない人はいない錚々(そうそう)たるメンバー。そんな多忙な彼らが、確実に一堂に会すことができる場所。それが世界最大級の美術展、ベネチア・ビエンナーレというわけだ。この日は各方面から推薦を受けた40名の候補者のなかから、『日産アートアワード2013』のファイナリストを選出。ゴーン氏、中村史郎氏もオブザーバーとして審議会に参加し、ファイナリスト決定までの経緯を見守った。熱のこもる議論の末、8名のファイナリストが決定。この8名が9月の展覧会のために新作を制作し、グランプリを目指す。

コレクターなど世界中のセレブリティも来場。この日は駐イタリア大使 河野雅治氏、アンテプリマ クリエイティブディレクター 荻野いづみ氏、デザイナー アラン・チャン氏、森美術館理事長 森佳子氏などが来訪(写真左)。運河に浮かぶヨットではパーティも(写真右)

そしてベネチアから3カ月 日産アートアワードのもうひとつの意義

 べネチアを離れ、次なる舞台は横浜へ。一次審査で選出されたファイナリスト8名の新作による展覧会が開催。そして9月25日、最終審査を迎えゴーン氏も審査員と一緒に作品を鑑賞。約1時間半の審議を経て、グランプリが決定した。
 ゴーン氏は日産の社会的責任についてこう考えている。
「事業と直接関わらない分野を支援することも重要。それこそが成長する企業の責任です。私が日産に来た1999年の企業状態では無理でした。でも、今ならできる」
 さらに伝えたいのは現代アートを支援する意味だ。
「日本の若い現代アートの作家たちは才能豊かです。ところが仕事場や制作資金といった基本的なものが圧倒的に足りない。そんなベーシックなサポートがあれば、彼らの洗練された才能は開花できる。我々はアーティストへ次のステップへの鍵を与えたいと思っています」

グランプリは宮永愛子氏に

西野達氏には審査員特別賞が贈られた。
トロフィーは名和晃平氏がこのアワードのために作製(写真左)。 西野氏の作品「ペリー艦隊」。マーライオンなど公共物を覆い、異空間に仕立てるこの作家の今回のモチーフは「公衆トイレ」。
Carlos Ghosn
1954年生まれ。78年ミシュランに入社し、'85年ブラジルミシュランCOO、90年北米ミシュランCEOを歴任。その後ルノーに移り、96年上席副社長に。99年日産自動車にCOOとして着任。2001年よりCEOに就任。

Text=牛丸由紀子 Photograph=Fumito Shibasaki(DONNA)、岡村昌宏(CROSSOVER) Coordination=富永伸平

*本記事の内容は13年10月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい