「それ、会社病ですよ。」レスリング除外はなぜ起きたかインナーサークルで影響力を持てない日本 Vol.7


レスリングが2020年五輪で実施競技から除外される危機に陥り、騒ぎになりました。しかし、スポーツにフェアさを求めるのは当然ですが、五輪という興行にフェアさを求めるのは筋違いだということを認識しておく必要があります。
 五輪は国民に大きな感動を与える点で公共財的な側面があります。五輪誘致によって、開催地が大きな利益を得られることもそうでしょう。しかし、だから五輪という興行自体も公共的なのかというと、そんなことはないのです。
 もとよりスポーツは、食うに困らない貴族の道楽から始まっています。IOCという組織も、上流階級のやんごとない人たちのプライベートクラブが起源。その本質は今も変わりません。実は単なる個人の集まりで、そこには何ら法的拘束もない。彼らが好みで競技を決めても、誰も文句を言えないのが実情です。
 民間興行である五輪の競技種目の選択にフェアさを求めるのは、音楽祭の主催者に出演者の選択がフェアではないと文句を言うようなもの。こっちのほうがよほどおかしい。
 従って、もし五輪に自分たちの希望を通したいのなら、そのインナーサークルに食い込んで交渉するしかない。しかも、日本人には不得手な、したたかでずるい、それでいて洗練された交渉です。

スポーツ界のみならず、排ガス規制をはじめビジネスの世界でも、どうデザインすれば自分たちの有利になるか、という「ルールづくり」の戦いがあり、この戦いはルール無用の政治ゲーム。そこでまず勝とうとするのが西洋的発想です。ここでも、日本人は結果を出せていない。その理由のひとつはサラリーマン型組織であることです。ルールをつくっているインナーサークルで影響力を持つには大変な時間がかかります。しかし、若い頃にエリートを選抜し、お金と権限を与えて送り出し、日本からは遊んでいるようにしか見えない、貴族的世界での「外交活動」を数十年も行わせることは、日本企業の年功・終身の秩序にはまったく合いません。よしんば誰かを選んだとしても社内の恐ろしい嫉妬にさらされます。
 一方で日本人は、繰り返される不利なルール変更のなかで、けなげに頑張って集団の力で壁を乗り越え、結果を出してきました。ノルディック複合やフィギュアスケートのたび重なるルール変更にもめげず、選手は頑張ります。厳しい排ガス規制をクリアする国産車もつくり上げた。
 理想論はしたたかな交渉と、けなげな努力の両方を継続していくことですが、前者はやはり簡単なことではない。それこそヨーロッパは、これを数百年も繰り返して生き残ってきた人たち。アメリカやロシアは冷戦中の厳しい覇権争いのなかで鍛え上げられた。レスリング問題も、政治力のあるアメリカ、ロシアの巻き返しに期待するしかないと私は見ています。
 基本は決められたルールのなかで毎回、精一杯頑張り、けなげに生きていく。それが、見つめるべき今の日本の厳しい現実なのです。


Text=上阪 徹 Illustration=村田篤司
*本記事の内容は13年3月取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい