【松浦勝人】「世間をザワつかせる音楽をつくる。結果が出なければ、これが最終章。その覚悟でやっている」

僕は日本の上場企業のなかで、いちばん社長に向いていない社長

2週間ほどハワイで、7人の作曲家と楽曲制作をしていた。

長い間、僕にとってのハワイは、休暇を取る場所となっている。でも、本来は、音楽を作る場所にするはずだった。

1998年の夏、僕はハワイにいた。作曲家たちを連れて、楽曲制作に専念していた。それが1999年1月1日に発売された浜崎あゆみの最初のアルバム「A Song for xx」になる。

作曲家たちと合宿のようにして作るやり方がうまくいったので、翌年からは、本格的にハワイに移住をして楽曲制作に専念するつもりだった。家も買ったし、スタジオも建設するつもりで設計図もできていた。現地の日本人とのネットワークも作り、永住権も申請をした。

ところが、その準備のさなか、日本でCDの売上が落ち始めるという現象が起こり、結局、依田会長(当時のエイベックス社長兼会長)から日本に戻ってこいと命じられる。いろいろあって、結局日本に戻ることになったけど、いつも「ハワイに楽曲制作の拠点を作りたい」と思い続けていた。

しかし、2004年9月に社長に就任することになり、日本を長期間不在にすることはできなくなった。それで、ハワイは、年に何回か休暇を過ごす場所になってしまった。

僕は、社長になりたくてエイベックスを創業したのではない。

そもそも音楽が作りたくてエイベックスを創業した。それに、やっぱり僕は社長に向いていない。世の中が求めている社長像を演じることは、僕には無理。いつもスーツを着て、難しい言葉を使い、本音を飲みこんで外向きの話をし、社員の前では偉そうに振る舞う。そういう社長を演じようと努力をした時期もあったけど、やっぱり向いていない。日本の上場企業のなかで、いちばん社長に向いていない社長だったと思う。

だから、まじめで前向きな黒岩(克巳)に社長業を任せて、僕はもう一度楽曲作りに戻る。それは何年も前から考えていた。15年間止まっていたハワイでの制作拠点作りをもう一度前に進めようとしている。

僕が社長をやっていた15年ほどの間に、楽曲の作り方はまったく変わった。クラウドを使って、クリエイターが世界各地どこにいても、同時に編集ができる。全員がスタジオに集まらなくていいし、音源データを送ったり受け取ったりする必要もなくなっている。

じゃあ、どういう制作方法がベストなのか。今回のハワイ合宿は、新しい音楽の作り方を見極めることが大きなテーマだった。2週間で、いろいろ試して、どの方法が一番うまくいくかということを実験した。

結局、たどりついたのが、ひとつの家で合宿のようにして楽曲制作をする方法。広いリビングで、できあがった楽曲を持ち寄って聴きながら、意見を出し合い、議論をする。そして、次のミーティングの時間を決めて、それぞれが別れて作業に没頭する。同じ家にいて、同じ空気を吸って楽曲制作をする、ということがとても重要。

今回、若くて初顔合わせに近い作曲家もふたりいた。そのふたりは、僕のことを過剰に偉い人と思っていたようで、僕が言うことをいちいちメモしたりする。僕が何か頼むと、直立して「はい!」なんて答えたりする。

ミーティングで僕が曲を選ぶ時は、誰が作ったのかわからないようにした。予断を入れずに、楽曲の質だけで選ぶため。結果、若手の作った曲を選ぶことも多かった。若手はものすごく嬉しがって、やる気を出す。ベテランの作曲家もそれを見て、対抗心に火がつく。

気候もいいハワイだから、少しぐらいは遊んでもいいと思っていたけど、そんなことは誰もしない。夜中にちょっとお酒を飲みに行く程度で、1日中ずっと没頭している。夢中になって、楽曲を作っている。

僕自身も学ぶことが多かった。楽曲について意見を言う時に、僕は20年前の昔話しかできない。ところが、若い作曲家たちにとっては、それがかえって新鮮に感じられる。それを彼らの感覚で、今の形に表現し直してくれる。古臭い話が一周回って古臭くなくなっている。

だから、次はもっと若い世代の作曲家も連れていこうと思っている。20 代の作曲家たちが作る楽曲のなかには、僕がもはや理解できないものがたくさんある。そういう作曲家たちに、昔話をして「ダサい」と言われるのか、それとも「かっこいい」と言われるのか、若い感覚で今の形にするとどうなるのか。そういうことも試してみたい。

今回は、あくまで実験なので、特定のアーティストに提供することは想定しないで楽曲を作った。次回は、アーティストを想定して、本格的に楽曲制作をしようと考えていた。

当然、1億回再生、10億回再生を狙う。10億回再生を狙うには、日本だけじゃなく、アジア圏に配信することも視野に入れている。楽曲を提供するアーティストだって、日本人だけとは限らない。ハワイをそういう拠点にしようと動いていた。

それが、新型コロナウイルスの影響で、渡航が難しくなり、中断している。さすがに、感染の影響で人が集まってはいけない、ライヴは開けない、海外にも行けないというリスクはまったく想定していなかった。

でも、この感染拡大の問題は、誰に聞いても答えが出ない。専門家だって、明確な答えは出せない。本当に困っているけど、むしろこの状況を利用してやるぐらいの気持ちで向かっていかないと負けてしまう。今の状況で合宿はできないけど、楽曲作りは、PCとキーボードとスピーカーぐらいあれば十分。それもプロ用機材なんかいらない。ネットで購入できるもので十分。仕上げは、スタジオで行えばいいんだから。

僕ももう55歳。その僕が、今の世間をザワつかせる音楽を生みだすことができるのか。今回の挑戦で結果が出れば次の章が開けてくる。結果が出なければ、これが最終章になる。その覚悟でやっている。

Text=牧野武文 Photograph=中森 真