【連載】男の業の物語 第十二回『果たし合い』


昔読んだ江戸時代の古文書に、武士がある日その妻に、俺は今夜果たし合いをしなくてはならぬから力をつけるために何か魚を食わしてくれ、と頼んだとあった。

果たし合いの訳は知らぬが、今なら魚ではなしに分厚いステーキにしろということだろうが。

果たし合い、すなわち命を賭けての決闘というのは男の世界だけの所作であって女の世界にはあり得まい。

ものごとの決着をつけるには決闘という手段が何よりも手っ取り早くて、好ましい。日本の侍の世界に限らずヨーロッパでも決闘は二十世紀の初頭までよく見られた男の世界の行事で、特にドイツなどでは現代においても学生の間でよく行われていたそうな。

名画『凱旋門』の中でもパリに現われたゲシュタポのハーケが復讐のために近づいた亡命者のラヴィックの、かつて自分が拷問でつくって与えた顔の傷を見て、ドイツ伝統の学生同士の決闘のものと勘違いしてラヴィックに心を許し、最後にはブローニュの森で殺されてしまうが。

代数方程式についての理論を考え出した天才的数学者のガロアも何かの理由で決闘に臨み、若くして死んでしまったそうな。
 
私も一度、ある相手に決闘を申し込んだことがある。その相手は当時直木賞をもらって作家の仲間入りをした山口瞳なる男で、彼は以前ある雑誌の編集部にいて、私のもとに原稿をとりにきたりしていたが、そんな過去が私へのコンプレックスになっていたのか、ある時あるコラムに「わたしは『何々の季節』などという題名の小説を書くような作家は信用しない」などと書いたものだから癪にさわって、作家になりたての彼が恒例の文士劇に出ると聞き私も出ることになっていたので、「その折にこの私がなんで信用ならぬのかとくとお聞かせ願いたい」と、わざと決闘の仕来りに倣って左封じの手紙を差し出しておいた。

だいたいこの男は小意地の悪い奴で転職の後、ある企業の企画室で一緒になった山川方夫が隠していた癲癇(てんかん)の持病のことをわざわざ言いふらしたりしたのを知っていたから、私も知己のあった地味だが優れた作家だった山川の仇をとってやろうと手ぐすね引いて待っていたものだった。

そして私の取り巻きの一人に文士劇の当日、山口を劇場の屋上に呼び出し叩きのめしてやるつもりだと明かしていた。

そして文士劇の当日、その取り巻きが屋上の無人の様子をわざわざ楽屋に報告に来た時、山口が奥さんと彼の妹のなんとかという名の知れた舞踊家を連れて私の楽屋に詫びを入れに来てしまったものだった。三人して畳に両手をついて頭を下げられるとどうしようもなく、私の生まれて初めての決闘は未遂になってしまった。
 

世の中のさまざまな出来事の中で何より男同士の果たし合いほど面白いものはない。

世の耳目を集めた柔道の名手木村政彦七段とプロレスの力道山との対決などは日本中の関心事だったが、あれは後でその道の識者から聞いたらどちらかが試合の段取りの協定を破り事態が突発して呆気ない結果になってしまったそうな。

ああした約束事の多い試合は見るほうもあらかじめ眉に唾つけてかからぬと期待外れが多いものだが、それを逆に証すシーンを一度見たことがある。

日本の人気のプロレスラーとハルク・ホーガンというアメリカの有名なレスラーの試合で、何ラウンドかで日本の選手が打ち所が悪かったのか脳震盪で呆気なくカウントアウトされてしまった。その後、レフリーに片手を掲げてもらいながらホーガンが笑いもせずに妙に不安そうな顔でまわりをきょろきょろ見て、そそくさと退場してしまったものだった。あれは仕組まれたシナリオを外してしまったことへの不安であって、多分アメリカあたりでなら約束を破った者への懲罰に銃弾が飛んできかねないということか。
 

それに比べると仕組まれない果たし合い、というか真実の激突は男の世界ならではの見物の魅力をたたえている。世に言う名勝負なるものはやはり男の世界ならではのものだろう。

本物のスポーツの世界にはそれがあり得る。だいぶ以前の話だが、長嶋茂雄が鳴り物入りでジャイアンツに入った時、国鉄スワローズとの初戦で迎えうったスワローズの主戦投手の金田正一は打者の長嶋の四打席をすべて三振に打ちとってしまった。長嶋ファンは切歯扼腕(せっしやくわん)したが、通のファンは「いいのだ、これでいいのだ。大学のリーグと違ってプロはプロなんだ」と納得していたもので、後の試合で長嶋は大投手から遺恨のホームランを打ってみせたものだった。これまた痛快な本物の果たし合いといえたろう。

昔の例でいえば宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島での決闘はさまざまな因縁が絡んでいて面白い。佐々木の持ち前の人一倍長い刀に備えて武蔵は島に向かう船の中で船頭から櫂を借り、それを削った長い木刀で相手を殴り倒してしまった。

当節、男と男が一対一で正面きって殺し合いまでとはいかなくとも肉体をかけてぶつかり合うという良い劇がスポーツの世界でしか見られなくなったのは人生の野次馬としては物足りない。

それも何事も指を立てて「ピース、ピース」と言うことでか。

第十三回に続く
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石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
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