【連載】男の業の物語 第九回『男の美徳』


以前、亡き三島由紀夫氏と男の最高の美徳とは何かについて対談したことがある。口を切る前に彼が互いに紙に書いて入れ札しようと言い出し、言われるまま互いに書いて見せ合ったら期せずして全く同じ「自己犠牲」だった。

確かに歴史を振り返ってみれば仕えている主君や国のために潔く身を賭して死んだ侍の逸話には事欠かない。三島氏も市ヶ谷台で自衛隊にクーデターを促した後、腹を切って死んだが、あれを国家のための自己犠牲と思う者はひとりもいないだろう。

自己犠牲に関しての私にとって印象的な逸話は、戦前の上海事変当時、蔣介石の兵隊たちが在留日本人を捕らえて殺害のために河原に引き立て、それに気付いた日本軍が同胞を救うために出動したが、支那兵たちが深い草むらに身を隠して鉄砲で威嚇していた時、囚われていた中のひとりの男が突然立ち上がり、「日本人はここにおるぞ」と叫び、当の男はたちまち射殺されたが彼のお陰で多くの仲間たちは日本兵によって救済されたものだった。しかしその時、身を賭して立ち上がり叫んで同胞を救った男の名前は知られてはいない。

自己犠牲といえば簡単だが、命に賭けてのこととなれば思いついてもそう簡単なものではありはしない。

そこで私が思い起こすのはかつての戦争の末期、爆弾を抱えての敵艦への体当たりの特攻突撃の皮切りを行った海軍随一のパイロットだった関行男大尉のことだ。

思案の末に特攻命令を決断した上層部は後に当事者たちの士気にも関わることだから失敗は許されずと、軍にとっても至宝の関に白羽の矢を立てた。

ある夜、参謀本部に彼を呼び出し行き詰まった戦況を訴え、特攻自爆を依頼したら、彼が

「いや、私なら体当たりせずとも五百キロ爆弾を必ず敵艦に命中させてみますよ」

と言い切ったが

「それはよくわかっている。だからこそ貴様にこの仕事を頼むのだ。貴様の後に続く者たちに勇気を与えるためにも最初のこの仕事は絶対に失敗は許されぬのだ」

「ならば、これから体当たり攻撃を続けるつもりなのですか」

「そうなのだ。貴様たちの育ての親の大西中将も決心されたのだ」

そう聞かされて関はうつむいて少しの間頭をかきむしっていたが、やがて顔を上げてにやりと笑うと、

「わかりました。やります。その代わりここで遺書を書かせてください」

言って彼等の前で簡単な遺書を認め、

「これをお預けします。その代わり絶対に戻したりしないでくださいよ」

脅すように言って遺書を突き出した。 

そして立ち上がり敬礼して、部屋を出かかる彼に参謀のひとりがふと気付いて、

「おい関、貴様はまだチョンガーだったよな」

念のために声をかけたら彼が振り返りにやっと笑うと、

「いやあ、この前の休暇の時、内地の田舎でカミサンをもらいました」

それを聞いた時、参謀たちは床が抜け落ちそうなほど驚いたそうな。

そして関はフィリピンの基地から出撃し、豪語していたとおり敵の航空母艦に体当たりして、これを大破させたのだった。

そして彼に続いておよそ二千五百人ほどの若者が身を賭して散っていったのだった。

特攻を発案命令した彼等の育ての親の大西中将は、敗戦の翌日、自分が命じて殺した若者たちへの償いに割腹自殺をはかり、副官に強く命じて止めの介錯を禁じた後、かっさばいた腹から溢れ出るはらわたと血にまみれ、延べ八時間ものたうち苦しみ続けて絶命していった。

その事実はそれを見届けた副官の口から周囲に流布され、誰しもが大西の男としての壮絶な責任の取り方を賞賛し、自分の息子たちを若くして特攻で失った遺族たちも彼を恨むことなどありはしない。

ちなみに大西中将の墓は私の弟の菩提寺、曹洞宗の大本山、横浜の總持寺にあるが、弟の墓参をする度、私は広い境内の少し離れた逆の側にある大西中将のお墓にもお参りすることにしているが、驚くことに何時行っても彼のお墓には多くの花が絶えたことがない。

あれこそはあの関大尉に始まった特攻の、自己犠牲という男の最高の美徳を称える人々の心のこもった贈物にちがいない。

と思ってみれば我欲の横行するこの現代、男の美徳を発揮してみせる男のいかに稀有なることだろうか。思い返してみれば何年か前にメジャーリーグでの数十億円の契約を振りきり古巣の広島カープに舞い戻り、代わりに後輩の逸材前田健太を送り出し、広島の久しぶりの優勝に貢献した黒田博樹投手の男気も心に染みるものだったが。

第十回に続く
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石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
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