【中田英寿/に・ほ・ん・も・の外伝】知る人ぞ知る安藤建築による狭山池博物館<大阪①>

2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。


水とともに生きてきた日本の歴史を体感

10月の旅は3泊4日で大阪。キタにもミナミにも行っていないし、大阪城も通天閣もあべのハルカスも遠くに眺めただけ。観光客はほぼいない場所ばかり巡っていたが、大阪という街の魅力を堪能できたような気がする。中田英寿流のディープでおもろい大阪旅、最初に訪ねたのは大阪狭山市にある府立狭山池博物館だ。こちらは、大阪出身の人でも「狭山池というのは聞いたことあるけど」というくらいの知る人ぞ知る博物館。だが、その建物も展示も事前の予想をはるかに超えるスケールの大きなものだった。

狭山池は1400年前の616年に造られた日本最古のダム式ため池で、「古事記」や「日本書紀」にもその名が記述されているという歴史のある人工池。現在は周辺が整備され市民が散歩する姿などが見られるとてものどかな場所だ。

「もともとは雨が少ないこの地域の農地の水不足解消のために造られたものだと言われています。これまで何度も改修を行っており、現在は治水が大きな目的となっています」(狭山池博物館・吉井克信副館長)

狭山池博物館は、1986年から足かけ16年間かけて行われた過去最大級の「平成の大改修」の際に、歴史ある堤や出土した文化財を保管・展示するための施設として2001年に池のすぐ近くに開館した。遠くから見ても存在感抜群の巨大なコンクリート打ちっぱなしの建築は、大阪出身の建築家・安藤忠雄さんの手によるものだ。

「安藤さんらしい建築ですね。でも外から見ただけだとここがどんな場所なのかまったくわかりません」

中田もそう言うように、この博物館は外部から見ているだけだと中にどんな展示があるのかまったくわからない。だが、吉井副館長の案内で建物の中に一歩足を踏み入れると思いもよらない景色が広がっていた。そこにあったのは、コンクリートの壁を流れ落ちる大きな滝。気持ち良い秋晴れの朝、水面が光り、水音が耳に心地よい。見学者はこの滝の下にある通路を抜けて博物館のなかに入ることになる。人間と水の歴史を知りたいという人にとっては、最高のデモンストレーションだ。

そこから円形のコートを抜けて館内へ。すると、そこには博物館の最大の展示物である高さ15メートル・幅60メートルの実物大の「地層断面」。1400年間の歴史を感じさせる壮大なスケールの展示物だ。

「こんな巨大なものをどうやって中に入れたんだとよく尋ねられますが、もともとの地層を小さなブロックに切り分け、この博物館が造られたときに再現しました」(吉井副館長)

「池の水を全部抜く」どころか「池の地層を掘り返した」わけだから、そこにはこの地域の自然と人間の歴史が積み重なっているといっていいだろう。過去に使われていた木製の取水口も展示されており、この狭山池事業の壮大さと、いにしえの土木技術の高さにも驚かされる。

「安藤さんが造った建物で、どういう展示があるのかは事前になんとなく知っていましたが、実際に足を運んでみるとその想像を超えていました」(中田)

土木の博物館といわれても、なかなか興味を持つ人は少ないかもしれない。だが安藤建築の醍醐味を体感し、日本という国と水とのかかわりを学べるこの狭山池博物館には、そんな興味の枠を超えた迫力がある。今年は大きな台風が日本列島に大きな被害を与えたが、やはり日本は水の国。その水をどう利用し、ともに生きていくかということは古くからの大きなテーマだったのだと知ることができた。

「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん"の"ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/


Composition=川上康介 Photograph=淺田 創


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