【阿部勇樹】今だから話せる、南アW杯敗戦後の涙の本当の理由

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~⑫】。


駒ちゃんの想い、敗戦のネガティブな気持ちばかりではなかった

2010年6月29日、南アフリカのプレトリアにあるロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム。ワールドカップ南アフリカ大会ラウンド16、パラグアイ対日本。試合は延長戦を終えても0-0のままPK戦を迎えることになる。

パラグアイも堅守速攻を武器にするチーム。お互いが似たようなスタイルだからこそ、難しさは感じていた。実際アテネ五輪でも戦っているし、厄介な相手だという戦前の予想通りの試合だった。それでも自分たちの力を出し尽くせた。

パラグアイ先攻で始まったPK戦では両チームともに2人が成功。パラグアイの3人目も決めたが、日本の3番手の駒野友一のキックはバーに当たって外れた。駒ちゃんがPKを外すのを見たのは初めてだ。パラグアイ、日本の4番手がともに成功。パラグアイの5人目のキックが決まった時点で、日本代表の南アフリカ大会は終了した。

途中交代していた僕は、試合終了後、駒ちゃんの元へ向かった。松井大輔もいっしょだった。自然に熱いものがこみ上げてきた。負けたことでの悔し涙だけだったわけじゃない。確かにこのチームでの戦いが終了したことの悲しさはあったし、外してしまったことで責任を感じて涙を流す駒ちゃんの姿に、胸が揺れた部分もあっただろう。だけど、そういうネガティブな気持ちばかりではない。僕が流した涙には、言葉で言い尽くせない様々な感情があった。なによりもこのチームの一員として戦えたことが嬉しく、誇らしかった。そういう感動が一気にこみ上げたのだろう。

パラグアイ戦もいい試合ができた。本当にいい大会だった。

最初で最後のワールドカップ。

大会時、僕は28歳だったが、次のワールドカップのことは考えていなかった。自分にとっての南アフリカ大会がラストチャンスだと思っていた。正直、当時は4年後、2014年のブラジル大会は見えなかった。

「これからモチベーションがどういうふうに維持していくのか?」

南アフリカから戻る飛行機のなかで、そんなことを考えていた。それが2カ月後の英国・レスターシティFC(当時イングランド2部)への移籍に繋がる。

闘莉王のように熱く、悔いのない毎日を!

田中マルクス闘莉王は、2009年シーズン終了後に浦和レッズから名古屋グランパスへ移籍していた。そして2010年、その名古屋でリーグ優勝を果たしている。

闘莉王の熱量は、その言動から周囲へ拡散される。

アテネ五輪、浦和、日本代表でチームメイトとして過ごした時間で、いつもそれを感じていた。勝利のために妥協を許さず、自分にも味方にも厳しい。周りに激しい口調で要求する闘莉王を仲間がどう受け取るかで、チーム自体も大きく変化する。強すぎる言葉がチームの空気を壊す可能性もなくはない。たとえば、厳しさに対する耐性は、年齢や経験値や価値観などによって、選手それぞれに異なる。それが必要なメッセージであっても、受け手が拒否すれば、無駄になるし、最悪は孤立を招きかねない。それが組織にひびを入れる可能性だってあるはずだ。

しかし、2006年Jリーグ、2007年ACLのタイトルを手にした浦和は、闘莉王と同じような気持ちの選手たちが揃っていた。練習中から厳しさのある環境だった。

そして、リーグ優勝した名古屋でも同じことがおきていたのかもしれない。

闘莉王が発信するのは、自分のことではなく、チームのこと、勝利のこと、誰かを想ってのことだった。そういう意味でも彼は優しい男だ。ブラジルにいる家族のことをいつも気にかけていた。本当に家族想いで、闘莉王のそういう姿を目にするたびに、僕も父や母、家族のことを思った。

闘莉王は高校に進学する年齢で、サッカーをするために家族と離れて来日した。そのときに彼が抱いた覚悟は、15歳の僕には到底想像もできないものだ。しかし、闘莉王の強い覚悟は、年月が経っても変わらず、日本へ帰化し、日本代表となり、逆に強くなったかもしれない。いずれにせよその覚悟が、彼のプレースタイルを作ってきたんだと思う。

今までどんな試合であっても、身体をはり、すべてをなげうって戦ってきた。そういう男だった。現役を引退すればそんな機会は減るかもしれないけれど、闘莉王らしさである「熱さ」を活かせる仕事が見たいと思う。

2019年シーズン、闘莉王は「最後の1年」と決めて戦ったという。

僕自身ももうあと何年、という時期に差し掛かっている。1年後なのか、3年後なのかそれはわからないけれど、残り時間は少ないことは間違いない。だから、闘莉王のようにすべてをなげうるように熱く戦い、悔いのない毎日を送りたい。

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。 


Text=寺野典子 Photograph=杉田裕一    

>>>【阿部勇樹】一期一会、僕を形作った人たち

①ブレない精神を最初に教わった師とは?

⑧松井大輔、鈴木啓太らと石川直宏を労う会で感じたこと

⓽国体、五輪、浦和、日本代表でともに闘った闘莉王の引退に想うこと