【皆川賢太郎のスキー論①】世界チャンピオンでも日本では稼げない理由

1998年の長野から2010年のバンクーバーまで4大会連続冬季五輪出場を果たすなど、日本のアルペンスキー界を牽引してきた皆川賢太郎氏。37歳で現役を引退し、現在は全日本スキー連盟(SAJ)常務理事として、組織改革に臨んでいる。ウインタースポーツを盛り上げ、強い選手を輩出するためには何が必要か? 皆川氏が語った。


古い体質を根本的に変えなければいけない

元アルペンスキー日本代表の皆川賢太郎です。アルペンスキーの競技生活は37歳でやめて、今は常務理事という立場で、全日本スキー連盟(SAJ)の仕事に携わっています。連盟の運営や戦略立案、マーケティング、協賛金集めなどが主な仕事。競技本部長も兼任しており、選手と強化スタッフを合わせて、総勢360人で日本代表の強化に励んでいます。

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現役時代のころから、いずれは連盟の仕事に就きたいと思っていました。というのも、従来の連盟のやり方は古く、効率が悪かったんです。全体の強化費が足りないと言いながら、各競技がばらばらに好きなやり方でお金を使っていた。経費がかさみ、結果として、現場の選手にはお金がまわらずに、いい環境で練習に励むことができませんでした。現場をまったく把握していない人たちによる意思決定の多さ。当然、選手と連盟の間に壁ができてしまいますよね。

そんな状況を改善するため、僕は全日本スキー連盟に入りました。30代という若さでしたが、北野建設の北野貴裕会長の力添えもあって、今のポジションに就くことができたのです。

僕がやりたかったのは、組織を根本的に変えること。組織と選手やコーチといった現場の人間がダイレクトにつながり、情報を共有する。そうすることで、強化策が可視化できますし、強化費などのお金の流れもよくなります。この変革を、ウインタースポーツ全体で行う。枝葉の一枚一枚、つまり競技ごとに変えようと思っても限度がある。木の幹から変えていかなければならないと考えました。

こうした変革を成し遂げるためには、まずはウインタースポーツのあり方を見直さなければなりません。ウインタースポーツは、いまだ学校教育のなかの体育という認識があります。体育という認識だから、選手は正当な報酬を得ることができません。プロ野球選手はお金を稼ぐことができますが、ウインタースポーツの選手は体育を頑張る人という立ち位置。いわば、プロ野球選手ではなく高野連の学生というような存在です。

トップ選手が日本でも稼げる環境づくりを

今シーズン、ジャンプの小林陵侑選手がものすごいことをやり遂げました。FISワールドカップシリーズで13勝をあげ、日本人初の年間総合チャンピオンに輝いたのです。でも、小林選手は日本では稼げない。収入源は海外の大会に出ることしかないという寂しい状況です。日本のジャンプファンは「テレビで見たよ、すごいね」と言うけれど、それだけでは日本にも小林選手にも、お金はいっさい入ってきません。全日本スキー連盟は、小林選手のような海外で活躍する選手を輩出するために強化費をかけるだけ。利益もないまま、永遠に投資を続けるだけなのです。

では、どのように改善していけばいいのか? 答えのひとつは"興行"です。海外のように多くの観客が詰めかける興行を、日本でも増やすことです。興行を作り、観客に来場してもらい、お金を使っていただく。産業として、定着させていくことが必要です。ウインタースポーツは、夏のスポーツに比べて、その興行の部分が遅れています。

興行として重要なのは、人を呼べるコンテンツ作りです。これは、時代をきっちりと見据えて、やっていかなければなりません。ほかのジャンルになりますが、以前は大人気だったF1グランプリは、今は下火です。ドイツの大会でもお客さんが入らずに苦しい状況だと聞いています。ウインタースポーツに限らず、こうした時代の波は、どうしても出てきてしまうものです。

ウインタースポーツでいえば、現在は僕がやっていたアルペンスキーやジャンプでは客を呼びにくい状況だと感じています。その一方で、スノーボードやフリースタイルスキー、スケートのクラッシュドアイスなどが、世界的にも好調な集客を見せています。スノーボードやフリースタイルスキーは、アルペンスキーとは異なり、会場の規模が小さくて済むという利点があります。テレビ中継の際に必要なカメラ台数も抑えられる。興行として行いやすいんですよ。

ですから、こうした客を呼べるコンテンツを入口にして、ウインタースポーツ全体を盛り上げていくという方法が考えられます。スキーとスノボをセットにした2イン1のような大会もありだと思います。競技ごとではなく、トータルでウインタースポーツの地位向上に取り組んでいく。そのためにも、縦割りではなく、フラットな組織作りへの変革が必要なのです。

②に続く

Kentaro Minagawa
1977年、新潟県生まれ。日本体育大学在学中の'98年にアルペンスキー日本代表として長野冬季五輪出場。2006年トリノ五輪で4位入賞。'10年のバンクーバー大会まで4大会連続で冬季五輪に出場する。'14年に現役を引退し、'15年に全日本スキー連盟の理事、'16年に常務理事に就任。


Text=川岸 徹 Photograph=鈴木泰之