【連載】男の業の物語  第五回『安藤組と私』


私は別段の興味を持っていた訳ではないが、戦後一世を風靡し渋谷を席巻していた安藤組と不思議な縁での関わりを持ったことがある。その関わりというのはそれほど深刻なものではなしに組幹部の数名と偶然に近い縁で知り合っただけで周りから心配されたり咎められたりするような深い関わりではありはしなかった。

しかし彼等との出会いはその後の世の中の変動の中で彼等が示した存在感からすれば、一人一人の男としては極めて強い像で記憶に刻まれている。

組のトップの安藤昇とは当人に知己を得る前に彼の配下の花形敬、花田瑛一そして西原健吾といった精鋭たちとまさに奇縁で知り合い、その背後にいた安藤とはさらに彼が組を解散した後に思いがけぬ形で出会ったものだった。

彼等のグループは戦争中、兵隊として命懸けで戦って生き残り、敗戦によって増長した朝鮮人たちが盛り場で好き勝手なことをし、一般の市民たちをいじめるのを見兼ねて発奮し彼等を排するために立ち上がった血気盛んな若者たちが原型だった。

最初に知り合ったのは、若頭とも言うべき西原で、私の弟が逗子の海岸で知り合い、気安く彼を私たちの持つ小さなヨットに乗せてやった縁で、当時は国学院大学の空手部の主将をしているという快活な青年とすぐに仲よくなった。

その彼が葉山の森戸に合宿所を構えていた慶応の水泳部の学生たちと悶着を起こし、その夜森戸で果たし合いをする、相手は八人、西原は一人というので私たち兄弟が助っ人として手を貸そうかと名乗り出たら一笑され、あんたらは黙って横で見ていてくれと言われて出かけたが、西原の強さは圧倒的で彼の空手の技は冴えに冴えてほとんど一瞬にして慶応の学生たちは全員薙ぎ倒されてしまったものだった。

以来私たちは不思議な顔見知りとあいなった。

もう一人の幹部、花田とは私の初主演映画『日蝕の夏』のロケ地の葉山のヨットハーバーの入口で出会った。同伴していた共演者の高峰三枝子さんがしていたサングラスをうっかり海に落としてしまったら、横にいた見知らぬタフな男が水深十メートルに近い水底まで潜って拾い上げてくれた。その男のことをその道に詳しい撮影班の男に聞いたら安藤組の幹部の花田だった。その時はただ礼を言っただけで別れたが、互いに水着姿のこととて高いものにつきはしなかった。

三人目の最高幹部、プロレスの力道山も恐れて避けたと言われていた花形はチンピラを片手だけで四人殴り殺したという伝説の男だったが、渋谷に限らず当時のどこの盛り場でも彼の後姿を見ただけでその筋の者たちは避けて通ったというような存在だった。

ある時、芝居仲間の浅利慶太と彼の行きつけの渋谷の『どん底』というバーで飲んでいたら、話題が渋谷を完全に取り仕切っている安藤組になり、組のエースの花形の凄まじさが話題となり、少しおっちょこちょいのバーのオーナーが粋がって、「なんだあいつなんて、この店に来たら追い返してやらあね。来るなら来てみろってんだ」。胸をそらしてわめいたら、それまでバーの隅で黙って飲んでいたソフト帽を目深に被っていた男が帽子を少し上げて、「俺に何か用事かね。俺が花形だけどな」。

静かに名乗ったのには全員度肝を抜かれ凍りついたものだった。

その花形も西原も共にいざこざの話し合いに約束で互いに丸腰で出かけていったのに、彼等を恐れた相手に拳銃で撃たれて敢え無く死んでしまった。それがきっかけで安藤は組を解散し堅気になってしまった。

その後、男前の彼は東映に見込まれ何本かのヤクザ映画に出演していたが、彼の演じる役は他の誰よりも黙っていても迫力があり歴然とした存在感があった。

私が彼と知り合ったのは彼が引退した後、八丈島で釣り人相手の宿を始め、衆議院に移った私が選挙区を伊豆諸島を含む東京二区にしたことで、ある人から彼が私の言い分を良しとしていると聞いて島での支援を頼みに面会してのことだった。

その時私たち兄弟がヨットの縁で西原の健坊と仲がよかったことを打ち明けたら彼も驚き、いかにも懐かしそうに彼のことを話し出したのが印象的だった。

それで図に乗って、「あんたはなんであの横井(英樹)を拳銃で撃ったりしたんですか。あんなことをすればたちまち警察沙汰になり監獄行きになるのはわかりきったことでしょうに」。言ったら彼が薄く笑って、

「いやね、それはわかりきったことだったけれど、あいつが拳銃を向けて脅した私たちを鼻で笑い飛ばして、『ここはお前たちチンピラの来るところじゃないぞ』と手で追い払い、こちらも気おされて引っ込んでしまったが、建物の玄関で頭にきて立ち止まり、これじゃ男が立たぬと思い直してやってしまったんですよ」

と打ち明けてくれたものだった。これは他の誰も知らぬ安藤秘話に違いない。

しかしいずれにせよ、ああした無頼の男たちとの出会いは私の人生を妙な味わいに彩ってくれたような気がしてならないが。それも互いに男ならではのことだろうか。

無頼は無頼でまかり通るというのも、男としてのある種の勇気に違いなかろうに。

第六回に続く
第四回はこちら



石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
気になる方はこちらをチェック