平幹二郎×平岳大 交錯する思い、継承される情熱

離れて暮らす長い年月の後に再会し、さらには同じ俳優の道を歩む平幹二郎と平岳大。さまざまな経験を経た今だからこそ、フラットでありながらも随所で互いを思いやる、なんとも心地いい関係──そこに理想の父子像を見た。

 日本公演に続いて5月にロンドンで『ハムレット』で王を演じた81歳の名優・幹二朗さん。そして会社員から俳優の世界へ飛びこみ13年目、40歳の岳大さん。岳大さんと双子の妹さんが10歳の時、幹二朗さんは女優の佐久間良子さんと離婚。以後、離れて暮らす父と子だった。撮影日、幹二朗さんは「物を大事にしない僕が唯一、大切にしているもの」と、バッグから包みを出して、結び目を解くと、小箱に10~20代の岳大さんと妹さんが書き送った手紙の山が(写真上から3つ目)。岳大さんは驚きながらも、NYCの消印のある自筆のクリスマスカードなどに思わずニヤニヤ。

岳大さん:カーディガン¥43,000(ロベルト コリーナ)、中に着たニット¥14,000(ユナイテッドアローズ)、パンツ¥27,000(ジービーエス トラウザーズ/すべてユナイテッドアローズ 原宿本店 メンズ館 TEL:03-3479-8180)

懐かしき記憶を紡ぐ父子の対話

 4枚にわたる父の達筆に目を走らせ、丁寧に畳んで封筒に戻す岳大さん。互いの舞台や映像の話から食、服への関心など話題は尽きないという父子は、この日、7日ぶりの顔合わせ。「親父(おやじ)」「岳(たけ)」と、いつもの調子でトークが始まった。

なじむ暇もなかった父と屋根の上から眺めた景色

岳大 子供の頃の親父は、まず朝ご飯を一緒にすることがなかったし、たまに家にいてもよそよそしかった。母(女優の佐久間良子さん)も忙しかったから、お手伝いさんと保母さんがいて、俺と妹にはそれがふつうで(笑)。

幹二朗 うん、君たちが生まれたのは結婚して5年目で、その頃から僕はテレビと舞台が忙しく、働き回っていたからね。ロケで早く出かけ、帰宅するともう寝てるし、お互いがなじむ暇がなかった。

岳大 なじんでなかったよね。

幹二朗 それでも親の浅はかな考えで、「若いうちに冒険させよう」と夫婦で話し合って、当時ハワイにも家を持っていたので、母親(佐久間さん)が羽田まで連れていって飛行機に乗せ、フライトアテンダントさんにふたりをお願いして、僕がハワイで迎えようとプランを立てた。そして迎えに行ったら、ふたりとも泣いて降りてきた。

岳大 そういえば、10年ほど前にロンドンで蜷川幸雄さんのお芝居をさせていただいた時、「君の親父はホントに変わっているよ」と聞かされた話、したよね? 蜷川家と平家でハワイに行ったでしょ?

幹二朗 蜷川さんの芝居がちょうど終わったので、蜷川さんはまだ幼い実花さんともうひとりのお嬢さんと、僕は君たちと、ともに奥さんは日本に置いといて、親子2組6人で旅行に出かけたんだ。

岳大 そこで、僕が何か買ってほしくて駄々をこねて階段に座りこんだら、親父もしゃがんで「いや、ダメ。君はなぜ泣いているんだ? そうすることによって僕が買うと思うのかい?」って、5歳の子供に論理立てて詰め寄っていて、蜷川さんは「この子、気の毒だなー」って思ったとか(笑)。

幹二朗 僕は早くに父を亡くしたから、父親像がわからない。だから考えた末、一対一で向き合おうという態度に出たんだろうね。

岳大 俺、一番覚えているのは、母に危ないから絶対に出てはいけないと言われていた2階の飾りの窓を、母がいない時に親父とふたりで出て、そしたら1階の屋根の上にぴょんと出られて、そこでアイス食ったこと(笑)。

幹二朗 僕自身が父親にしてもらいたかったことが二つあった。一つは、その、家の高い危ない所から外を眺めること。もう一つは肩車。お祭りで肩車をされている子供がとても羨ましかったから、岳が3歳の時かな、家の近くの八幡様のお祭りの夜、僕は浴衣着て、下駄履いて、夜店が出ていて、舞台設定は完璧だろ?(笑)岳を肩車して、「あ、落としちゃいけねーなー」って思って石段を上った記憶がある。岳は覚えていないと思うけどね。

僕は父親像がわからないなりにしてあげたいことが二つあった 
Mikijiro Hira 
蜷川さんに言われたよ、「君の親父は変わってる、この子は気の毒」って Takehiro Hira

岳大 坂のバス通り、なんとなく。

幹二朗 あと、宮崎のサファリパークへ行ってライオンの子を一緒に抱いたことも覚えている。

岳大 へー(うろ覚え)。親父と離れたのは小学校4年の時。妹と「これ、離婚するね」と話してたら、ある日母が「引っ越すから」と。朝すごく早く家を出た気がする。

幹二朗 ああ。あの朝は、食卓につくと、壁にあった絵(宮本三郎作の佐久間さんの肖像画)と、妻と子と服が消えて、目の前に封筒が置いてあった(笑)。まあ、なんとなく内容はわかっているわけだ。でも僕はその日、近々の公演の舞台稽古があって心を乱したくないんで、見ないふりして、朝ご飯を食べていた。するとお手伝いさんが「あの、お手紙が」と促す。結局、僕は初日が開くまでそれを開けなかった。すると毎日お手伝いさんが......(爆笑)。

岳大 それからは月に1回、親父とホテルで会ったんだよね。でもある日、地下のお寿司屋さんを出たら、ちょうど上でレコード大賞かなんかやっていて報道陣がわんさといて。数日後に、母が「開園したディズニーランドでも行ってきなさい」と言うので、妹とお手伝いさんとで出かけたら、前の人の読むスポーツ紙に自分の顔があって、もう台無し。

幹二朗 会いたくないと言い出したから、それもなくなって、留学の報告をもらったりして、で、大学の卒業式に招待されたんだ。

岳大 うん。やっぱり自分が頑張った最後の結果の卒業式だから、好きな人を呼びたいアメリカ式の考えで、母に「親父呼んだよ」と言ったら、「ハァ?」と。それから不機嫌な母を「まあまあ」となだめ、母と妹と叔母の佐久間ご一行を自分が住むロードアイランドに泊め、親父は南へ1時間のボストンに宿泊してもらって(笑)。

幹二朗 これもドラマ的でね。

岳大 式の前日に佐久間ご一行が「ボストンに買い物に連れていきなさい」と言うので、「わかりました」って俺が車出してショッピングモールへ行って、で「もう帰ろうか」とエスカレーターに向かったら、何か上から存在感が降りてくる。俺、怖くて振り向けなくて(笑)。あり得ない、なんで? ってみんな凍りついていると、親父が「あーこんにちは。ご飯でも行く?」。すると母が「結構です」って即答(爆笑)。翌日の卒業式は、親父は家族じゃないからと、母たちのいる父兄席を外して後ろの大木の陰に座ってね。結局5年後に三島由紀夫の『鹿鳴館』で共演するまで会うことはなかった。

幹二朗 あの時の僕の立場から言うとね、式に着るスーツを前の日に買ってお直しして、翌日取りに来いと言うから行って、帰るエスカレーターの途中で気づいたんだ。でもエスカレーターだから後戻りできない(笑)。で、「おめでとう、今までご苦労様でした」という言葉も嘘っぽいし、ああ言うしかしょうがなかった。

母親に反対されて従えるのなら、情熱がそこまでないんだと思った
Mikijiro Hira
80を過ぎて「頭から水かぶります」って言える役者魂は受け継ぎたい
Takehiro Hira

生き方しか伝えられない。芝居を愛し、君の道を行け

岳大 留学してから会社員時代は、今、頑張っているのは違う何かのためという意識が常にあって......なぜか、やればやるほど空っぽになっていく感じがしていた。それで過去を全部忘れ、死ぬ時「これやっときゃよかった」と思うことは何だと考えたら、何の迷いもなく、"俳優"だった。

幹二朗 うーん。岳から「家業を継ごうと思うんですけど」と聞いた時は、その手紙にも書いたとおりだよ。前に僕が演出した『四谷怪談』の現場に連れてったね? 衣装合わせを見ていて、あ、興味ありそうだなという感じは受けた。だけど、母親が絶対俳優になるなと反対で、それに従おうとするなら、情熱がそこまでないんだと思っていた。でも、もう27歳の社会人が考え直し、俳優になりたいと言うからには、その欲求は本物だろう、親としてどうにかしなきゃと思った。同時に、ちょっと嬉しい気もしたね。その話を聞く前の週に、たまたま僕が出るパーティーに岳を呼んだ時、『鹿鳴館』のプロデューサーもいて、岳を見て「探していた息子の久雄役を見つけた」と言っていて、会社員だと知ると残念がっていたのを思い出した。翌日電話すると、偶然まだ役は決まってなく、岳が抜擢され、親子共演となったんだ。

岳大 2作目では声が枯れてさ。

幹二朗 経験がないから当然だよ。長期公演も自力で乗り越えるしかないから僕は見守るだけ。古典芸能なら、家の芸とか心構えを伝えられるけど、現代劇は確立された技術的なメソッドはないから、俳優本人の生き方とかその情熱を伝えるぐらいしかできない。僕は演ずることしか才能のない役者バカタイプ、岳はコンピューターも語学もできるから、まったく違う俳優になってほしい。僕から学んでほしいものは何もない。ただ、芝居に生きようとする情熱だけは認めてもらえると嬉しいけど(笑)。

岳大 平幹二朗の道があるように、平岳大の道を探したい。フラメンコを作るのも面白いし、『鹿鳴館』も今ならもっと上手にできる(笑)。

幹二朗 では、やりますか? いいですよ。

Mikijiro Hira
俳優。1933年広島市生まれ。俳優座を経て、浅利慶太や蜷川幸雄演出の舞台作品ほか、映画・テレビで活躍。5月にロンドンでも上演された『ハムレット』では、志願して舞台で水をかぶり観客を驚かせた。自ら主宰する「幹の会」は9月30日より半年をかけ、『王女メディア』を全国で公演予定。

Takehiro Hira
俳優。1974年東京都生まれ。15歳で単身渡米。名門ブラウン大学理学部応用数学科卒業後、コロンビア大学大学院に進学。外資系企業に勤務の後、27歳で俳優に転身。舞台・テレビを中心に活躍。趣味はフラメンコ。6月10日より新国立劇場にて森新太郎演出の『東海道四谷怪談』に出演予定。

Text=武位教子 Photograph=岡部太郎(SIGNO) Styling=壽村太一(SIGNO/平 岳大) Hair & Make-up=西岡達也(平 幹二朗)、藤原羊二(EFFECTOR/平 岳大)

*本記事の内容は15年5月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい。 14年4月以降の記事では原則、税抜き価格を掲載しています。(14年3月以前は原則、税込み価格)