【連載】石原慎太郎 男の業の物語 第二十五回『男の強かな変節』

人間には功利計算が付き物だが、男のそれは女とは違って大きなものを動かしかねない。天下分け目の関ヶ原での大合戦で西に味方していたはずの毛利の大軍は最後まで陣を構えて動かずに、戦の途中から陣を払って引き揚げてしまい、結果は徳川の天下となった。こうした変節は人間には付き物だろうが、女のそれよりも男の場合の方が事は大きいし政治絡みの事が多い。

かく言う私も政治絡みでの相手の変節でひどい目に遭ったことがある。美濃部亮吉革新都政が全盛の頃、全国区の参議院選挙で大勝していた私に都議会が目をつけ、まさに溝板を歩いてようやく衆議院に移った矢先に白羽の矢を立て、次の都知事選挙に出るよう懇願してきた。

当然、私は拒否したが、当時の三木武夫首相が自派の宇都宮徳馬を候補に立てそれで落着と思っていたら、なんと当人が怯えて選挙告示の十日前に降りてしまった。となれば都政を破壊し尽くしてきたコミュニストの彼が無競争で再選されることになる。

それを恐れて三木総理と中曽根康弘幹事長が私の前で机に両手を突いて懇願し、後の始末は責任を持ってするからということで、残りの日もないなか私は反共産主義としての意地で必敗覚悟でいま思っても苦しい選挙を戦い抜いた。結果は惜敗だったが、その結果抱えた膨大な借金を一文も三木は肩代わりしてくれなかったし、中曽根には借金は敗れた者の責任でそれを目をつむって引き受けるのが男の意地だと突き放された。

それを見て政治の世界なるものは所詮こんな下司なものなのだと割り切って敗戦処理は一人ですることにしたものだった。なかで唯一人実情を聞いて同情した福田赳夫だけが部下の細田博之に命じて、最後に回されてきた運動員の使ったかなりの額のタクシー代だけを払ってくれたものだった。所詮、政界なるものはそうした変節背信が渦巻いている世界でしかありはしまいが。

しかし自民党などという小さなコップの中の出来事に比べれば強かな男によるものならではの変節や背信が、その国や世界の歴史を揺るがし変えてしまうという事例があることはある。

これはあの関ヶ原で毛利の大軍を率いていた猛将などとは違って小柄で陰気な、あまり人目にもつかぬ男だった。

その男とは知る人ぞ知る矮小な体つきのジョセフ・フーシェだ。

彼は仕えていたブルボン家の王様を殺し、次いではその後に登場し皇帝となったナポレオンをまで実質的に殺してしまった。そしてまたその後復活したブルボンの王様にもぬけぬけと仕えるまでした。最後は総理大臣にまでなった彼に密かに付きまとった渾名は「王様殺し」だった。その所以はフランス革命の折、議会に引き出され糾弾されていたルイ十六世の判決の時に、生まれ故郷の田舎の県知事を務め議員としてそれまで議会の王様派の議席に座っていた彼は、議員が一人一人王様の処刑についての賛否を唱える時、立ち上がり中央の演壇まで進むとひと言低い声で「死刑」と宣言し、そのまま反対側の革命派の席に赴いて、その椅子の一つに座り込んでしまったのだった。

それ以降も彼は革命派を指導し残虐な恐怖政治を行なったロベスピエールにうまく取り入り、仲間内での粛清を乗り越えた。そして外国での戦に勝って凱旋したナポレオンが皇帝の座につくと彼に取り入り警察大臣の役に就いてしまう。

そして多数の警官を手足のように操り皇帝の重臣たちの秘密を握り、それを翳して彼等を脅して操り皇帝の政治を実質支配するようになった。だけではなしに皇帝の妻ジョセフィーヌの過去の秘密や皇帝の浮気の尻尾も摑み、あのナポレオンを手の内に収めてしまった。

彼の作り上げた警察機構は他国でも評判となり、明治維新で近代化に努めた明治政府は新しい警察機構の中にフーシェのやり口を真似るようにさえなった。

ナポレオンが一時失脚しエルバ島に幽閉され、そこから脱出してパリに戻り再び皇帝の座につき政府を開いた時、誰よりも必要としたのはフーシェだった。彼を憎み恐れながらもナポレオンは彼を必要とせざるを得なかった。

そしてナポレオンの百日天下が終わり、またブルボン王朝が復活したらフーシェはぬけぬけとおよそ反りの合わぬタレーランのもとで警察大臣に復権し、自分の兄を殺された王、ルイ十八世も彼を憎みながらもオトラント公爵にして閣僚として使わざるを得なかった。そしてフーシェに、彼の職務としてナポレオン復活時代に前の王に背いてナポレオンに仕えた裏切り者たちのリストを作らせ、その処刑を命じたりした。そして彼もそれに従い、さすがに最小限のリストを作り、その処刑を執行したりしたものだった。

するうちに周りの彼への憎しみが募り、タレーランはそれに乗じてフーシェを出来たてのアメリカの大使として送り出し始末しようとしだした。それを聞いてさすがのフーシェも処世の限界を悟り北の田舎の港町に隠遁し、そこで人知れずの晩年を送りひっそりと死んでいった。

後にあのゲーテは彼の生きざまを皮肉を込めて称えて「私たちは永遠かなうものとなるためにこそ存在する」という警句を記したそうな。

男が男であるが故にこそ男としてしかできぬ生きざまがあることを、フーシェはその範として示したといえるのかもしれない。

石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
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