主観vs客観 対極を愉しむ 出井伸之vol 08


中国のほうが自分たちを心配している


 とうとうGDPが中国に追い抜かれ、日本は経済で世界第3位になったと大きく報じられた。だが、考えてみれば、中国の人口は日本の約10倍。いずれGDPが追い抜かれるのは当然だった。しっかり見ないといけないのは、「1人当たりGDP」だろう。日本人は今、中国人よりも10倍は豊かなのだ。なのに、日本では、中国のほうがまぶしく見えてしまっている。
 折しも中国のふたつの都市の行政から依頼を受け、訪問する機会を得た。中国ではさぞやバラ色の未来が描かれているのではないか、と日本人は考えてしまいがちだが、当の中国人たちは実はそうではない。彼らのほうがむしろ心配している。実際、世界第2位の経済大国になったといっても、国を代表するような産業もまだない。ましてや地方都市には独自の色もない。
 どの都市に行っても、有望な産業を尋ねてみると、金融やIT、不動産くらいしかない。1000万人の都市など中国国内にはザラにあるので、規模だけでは差別化にもならない。中国の都市は意外に悩み、苦しんでいるのである。
 ずっと日本にいる人には、今や自国への感情は主観としてネガティブだろう。暗いニュースや見通しばかりがメディアを支配している。しかし、長期独裁政治もなければ流血デモもなく、しかも経済的に成熟している日本は、世界各国のなかで客観的に見ると、極めていい国である。安定し、豊かな国は他にそうないのだ。


 だが、面白いもので、こんな自虐的な側面を持つ日本でも、主観と客観のバランスを逆に著しく欠くこともある。例えば、ベンチャーのビジネスプラン。多くの場合、そこには主観だけが並ぶ。思いつきや思い込みのオンパレードだ。だが、客観性の欠けたプランでは、資金も支持も集まらない。にもかかわらず、主観だけのプレゼンをやってしまう。これは、ビジネスプランにおける客観の重要性を思い知らせてくれる。反対に、大企業は過度の客観主義でリスクを取らない。競合と同じような商品を企画し、過去の延長線上の中期計画に満足している。
 もうひとつ、主観から連想される象徴的なものとして、僕は「オタク」があると思っている。他の人がどう思おうが、自分は好き。それを貫く人たち。だが、これは存在自体に客観の要素があることに注意が必要だ。彼らはメインストリートを歩かないよう、かなり意識している。だが、知らない間に自分が「オタク」になってしまっているケースもある。例えば、ネット時代におけるテレビは、その最たるものかもしれない。業界の人は今なお自分たちがメインストリートを歩いていると思っているが、これだけネットで膨大な情報が溢れる今は、むしろテレビこそが「オタク」ではないか。

スキルのない中国とビジョンのない日本

北京のクラウンプラザホテルで買った多孔質ガラスで作られたワイングラス。ドイツ製で1個から買えるというので、かなり前から興味を持っていた。450元(約5500円)。早速試してみたが、安いワインがあっという間にまろやかになった。

主流は、時代とともに変わっていく。表参道と裏原宿では、今はどちらが主流なのか。これは極めて難しい問いかけだろう。また、就職難が伝えられているが、それはあくまでこの時代の主流企業への就職の話だ。学生の就職人気ランキングではいつも上位に顔を出すソニーも、僕が入社した頃は主流ではなかった。だが、時代とともにそれが変わっていった。そう考えていくと、主流ではないところに入るのも決して悪いことではない。むしろ現在の非主流は、主流になる過程という面白い経験ができる可能性を秘めている。
 実際、高度成長時代は規模や生産能力がものを言った。だが、成熟時代は多様な価値感への対応や洗練されたクリエイティビティが求められている。今の主流が果たして、こうした状況に合致するかどうか。
 もちろん主観も大事だし、客観も大事だ。だが、そこにもうひとつ、楽観を加えてみてはどうか。これこそ日本で一番足りないものかもしれない。中国は計画経済の国である。僕は現地で驚いたのだが、計画は国ばかりではない。それを落とし込んだ地方単位でも、計画がある。将来の構想や青写真が各地方にあり、理想都市の模型図まで飾られていた。
 だが、ビジョンはあっても、それを達成するスキルや方法がないのである。逆に日本には、スキルや方法はあるが、ビジョンがない。なんとも面白い補完関係なのだ。日本にはやはり大チャンスが訪れようとしていると僕は改めて思った。楽観の話を、もっとすべきである。


Text=上阪 徹 Photograph=OGATA
*本記事の内容は11年3月取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい