沈思黙考で、キャリアを築いた男。担当編集者が見た本当の内田篤人とは?

元日本代表のDF内田篤人(32)が現役を引退した。編集者・二本柳陵介は"幻冬舎の内田担当"として、累計30万部の著書 『僕は自分が見たことしか信じない』などの書籍3冊やカレンダーを制作。ドイツ時代に何度も現地取材を敢行した編集者による、今だから明かせる秘話第2弾!
第1弾はこちら→ 「常に自然体で素だった」。ドイツで何度も取材をした担当編集者が見た内田篤人という人間

いつ行ってもお客さんがいない田舎のイタリアン

「あの店、なくなっちゃったんですよ……」

内田選手は、悲しそうにそう言った。でも、それがどれだけ悲しいことか、私には少し理解できた。当時シャルケに在籍していた内田選手は、ドイツのゲルゼンキルヘンという街に住んでいた。言葉を選ばずに書くと、娯楽もあまりない田舎街だった。1時間くらい車を飛ばせば、日本企業や日本食レストランが多くあるデュッセルドルフがあるのだが、彼は練習場やクラブハウスに近い地元で暮らしていた。シャルケの選手でこの地元に住んでいる人はほとんどいないと、聞いたことがある。当時、独身だった内田選手は、練習場へ向かい、アウェイの試合があれば、遠征先へと行き、日本代表戦があればアジアへと向かう、というサッカー漬けの日々を送っていた。

そんな質素な街で、内田選手がよくランチに通っていたイタリアンがあった。そこは看板も目立たなく、いつ行ってもお客さんがいない不思議な店だった。

個人的な意見だけれど、ドイツで美味しいパスタに出合うことはあまりない。その中でも、ここのパスタは美味しかったと記憶している。

内田選手が入ると、店主が無言で準備を始める。出てくるのはエビとトマトのパスタと炭酸水とサラダだった。

古びたマンションの一室

鹿島アントラーズ時代にも、行きつけの店があった。鹿島の寮の夕食をパスして、チームメイトには「ちょっと出てくる」と話し、とある軽食屋さんに向かう。「なんだか怪しい」とチームメイトに冷やかされながら、内田選手は車に乗って出かけて行った。鹿島市内のかなり古びたマンションの一室にあるその店は、老夫婦が切り盛りしていた。ここで一人でご飯を食べるのが、当時の内田選手の楽しみでもあった。実際、私も行ったことがあるのだが、「よくここに店があるのに気づいたな……。そして、よく入ったな」というような店だった(現在は閉店してしまっている)。

高校を卒業してから、鹿島でスタメンを掴み、あっという間にスターダムを駆け上がった。日本代表の常連になり、息つく暇がなかったのだと思う。ストレスからか、試合中に原因不明の嘔吐に悩まされた時もあった。

そんな内田選手にとって、頭を休め、整理するために、誰も会わないような隠れ家を確保することは大事だった。

思考、観察、分析、実行

先日の試合後のスピーチでは、見事な言葉選びをしながら、感謝の意を示した。翌日のオンライン会見でも、軽妙な語り口ながら、締めるところは締め、日本サッカーへの警鐘さえ鳴らしてみせた。

「頭の回転がはやい」と言うことは簡単だけれど、私は違うと思っている。彼は常にいろんなことを考え備えていた、準備の人だった。だからこそ、オリジナリティに溢れ、人の心に届くコメントが出てくるのだと思う。

自分がレギュラーを取るにはどうすればいいのか?

チームの空気を締めるにはどうすればいいのか?

調子の悪いあの選手にどう声をかければいいのか?

監督はどんなサッカーを求めているのか?

思考、観察、分析、実行。

沈思黙考。落ち着ける場所で、ひとり考え続けた。

自分のこと、他人のこと、チームのこと、監督のこと、家族のことを常に考え、観察し続けてきたからこそ、これだけのキャリアを築けた。

どんなことを考えながら、サッカー人生を歩んできたのか。それを日本のスポーツ界に還元していって欲しい。

『僕は自分が見たことしか信じない 文庫改訂版 』
内田篤人
¥796/幻冬舎
名門鹿島で3連覇。19歳での日本代表選出。道のりは一見、順風満帆。しかし、その裏には数多くの知られざる苦難があった。誰よりも優しく、そして誰よりもサッカーを愛している男の軌跡。 文庫改訂版では、新たに文章を大幅加筆し、累計30万部を記録している。


Text=二本柳陵介 Photograph=Getty Images

二本柳陵介
二本柳陵介
幻冬舎メディア本部雑誌局ゼネラルプロデューサー。編集者。長谷部誠「心を整える。」(累計150万部)、桑田真澄「心の野球」など、書籍も担当。ツイッターとインスタグラムはyanaginihon。ゴルフに悪戦苦闘中。
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