我が同期、ジャーナリスト有働が始動 元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT 第11回

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米、巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストによるエッセイ。第11回はNHKを退社し、『news zero』のメインキャスターに就任した有働由美子アナウンサーについて。


『news zero』スタート!

「どうも……今晩は、はじめまして。有働由美子と申します。今日から『news zero』を引き継がせていただきました」

10月1日の夜11時、有働由美子はそう言って番組をスタートさせた。

NHKを辞めてフリーになった時の騒ぎを考えれば、かなりの人が見たのではないかと思う。番組は多少の混乱はあったものの、本庶教授のノーベル賞受賞をトップに予定通りニュースを終えていた。

実際、退職時の騒ぎは凄かった。私がコメンテーターを務めている大阪の毎日放送の情報番組『ちちんぷいぷい』でも、他のニュースを押しのけて「有働さんNHK退局」をトップで扱っていた。

「同じNHK出身の立岩さん、有働さんとは?」

「ええ、同期でそれなりに知っていますよ」

「ええ? 同期なんですか?」

その日のスタジオ・トークが盛り上がったのは言うまでもない。恐らく、他のニュースはほとんど伝えていなかったかと思う。

そう。私と有働とは'91年にNHKに入った同期だ。だから、私にとっては彼女が如何に有名で偉くなろうが、私とはけた違いに高額なギャラを貰う存在になろうが、「有働さん」ではなく「有働」なのだ。

27年前、日本はバブルがはじける前だった。その後に来る不景気など信じられないような雇用状況で、この年のNHKの同期は200人もいる。その200人は採用後、1ヵ月にわたって世田谷の砧にある施設で研修を受ける。先輩やOBの講義を受けたり、受信料の徴収現場を体験したりするわけだ。

ただ、NHKは職種によって採用が異なる。大きく分けると放送、管理、技術の3つだが、放送の中でも、有働のようなアナウンサー、私のような記者の他、番組を制作するディレクター、撮影のカメラマンに分かれる。

それぞれグループ分けされる。全体の研修もあれば、アナウンサーならアナウンサー、記者なら記者の研修もある。必然的に、それぞれの職種での付き合いが深まる。やはりアナウンサーはアナウンサー同士でつるむようになるのが一般的だ。他のテレビ局を受ける時に知り合いになるということもあるのだろう。

ところが、有働はそうではなかった。私を含めて記者とつるんでいた印象が強い。そして酒も好きだから、毎晩のように記者採用の我々と飲み歩いていた……それは大袈裟かもしれないが。必然的に、飲んで社会問題を語り合うといったことも多くなる。当然、記者になる人は、そういうことに関心のある人間が多いので、話は盛り上がる。そうしたなかで、有働は質問者に徹していた。

「それって、どういうこと?」
「ええ、わかんない。なんで? なんでそうなるの?」

さほど大きくない目を見開いてそう問う有働の顔を覚えている。

では、有働は目立っていたのか? 失礼ながら、そうでもなかった。それは、背が高くて目鼻立ちがくっきりし、フランス語と英語を操る武内陶子の方が目立っていただろう。次点は……恐らく、入局試験トップだった東大卒の黒崎恵だろう。と、まぁ、これは勝手な私の感想だが。

有働は……どうだろうか、派手さのないという意味でNHK的なアナウンサーの代表といった感じだったように思う。

ただ、それもあって記者も有働と付き合いやすかったのかもしれない。アナウンサーは民放のアナウンサーを受験している人がほとんどで、やはり華やかな雰囲気を持つ人が多い。一方、記者は、新聞や通信社を受験している人が大半で、私もそうだが地味な人間がほとんどだ。

アナウンサーの採用だった有働だが、「記者になろうとも思った」とも話していた。それは、記者の仲間へのリップサービスというより、本当にそうだったのだろう。その後は紅白の司会で真っ赤なドレスなどを着てしまう有働だが、どう考えても当時の有働は、「記者採用」と思われても不思議でないくらい地味だった。

こう書いても有働は怒りはしないだろう。後の話だが、有働が笑いながら話したエピソードがある。

「あの星野さんと付き合ってるって噂が出て新聞記者が取材に動いたことがあるんだけど、その時、星野さん、取材になんて言ったと思う?」

「星野さん」とは、亡くなったあの星野仙一さんだ。

「星野さん、何て言ったの?」

「『バカ、俺はメンクイだ』だって」

こう書くと、かなり悪口を書いているように読めるかもしれないが、それは私の言葉足らずだ。私がここまで書いたのは、20代の有働、30代の有働だ。その頃、有働より派手なつくりの見栄えのよい女性アナウンサーというのはかなりいたかと思う。

しかし、40代になって断然、有働は美しくなる。それは内面の美しさという部分が大きいかとは思うが、恐らく外見にも努力をしているのだろう。そのバランスが40代になって、他を凌駕する美しさを実現した……褒めすぎだろうか?

著書『ウドウロク』に、視聴者から、「さりげないほどほどの美貌」と評されたと書いているくだりがある。なるほど、と思う。そして50代に突入する。当然、その美貌には磨きがかかるだろう。そういう女性は、先ずもって女性に嫌われないだろう。

さて同期の話に戻るが、新人としての研修が終わると、全国に配属される。アナウンサーと記者は東京以外に配属されるのが普通だ。有働は大阪、私は沖縄だった。私は希望通りだったが、有働が大阪を希望したかどうかはわからない。地元が大阪な有働が大阪を希望したとは考えにくい。

「沖縄かぁ、いいなぁ」

そう言われたのは覚えている。沖縄を希望していたのかもしれない。

それから4年後、有働は東京に異動し「おはよう日本」のキャスターになり、その後の活躍は今更書くまでもないだろう。

私はまだ沖縄に駐在していて、アメリカ軍基地の問題を追っていた。この時期、12才の少女がアメリカ兵3人に襲われ暴行される事件が起きる。彼女の「おはよう日本」で事件の詳細を報じて以降、彼女から電話が入るようになる。

「どうなってるの?」

「こんなこと、今の日本で起きていいの?」

「沖縄の人はどう思っているの?」

怒りを押し殺した電話に、こちらも必死で説明。そうしたやり取りは同期だからできたのかもしれない。

その後、私はイランに駐在。彼女は「サンデースポーツ」のキャスターになる。この時のフランス・ワールドカップの時のエピソードは以前、この連載の中で書かせてもらった。

イランから戻った私は社会部記者としての汚職などを取材していた。そんなある晩、有働から電話が入った。

「ちょっと調べて欲しいことがあるんだけど、時間ある?」

その1時間後に西麻布で当時私が資料を読む時に使っていたバーで会った。有働は写真週刊誌を見せて言った。そこには、一般人の男性と2人で買い物をしている写真が掲載されていた。

その写真週刊誌が出た経緯を調べて欲しいという話だった。

「え?」

「立岩、敏腕記者でしょ?」

そう言われると弱い。取り敢えず、私なりに調べて有働にその結果を報告したと記憶している。相手のある話なのでこれ以上書けないし、勿論、有働が私の調査結果をどう使ったのかは知らない。

当然、有働は男性にもてただろうし、今も人気はあるだろう。ある時、「なんで結婚しないの?」と尋ねたことがある。その時、こういうことを言われたことがあると話していた。

「俺は君の知名度と結婚したいんだ」

有名人のすべてがそういう言葉を投げられるとは限らないが、そう言われたらひくだろうなぁ、と妙に納得した。勿論、男性の照れ隠しだった可能性も否定できないが。

この時期のエピソードをもう1つ。

2002年にアメリカのソルトレークシティーで冬のオリンピックがあった。彼女はオリンピックを現地から伝えていたと思うが、私はその後のパラリンピックを現地で取材。この大会では、パラリンピックの選手にも厳しいドーピング検査が義務付けられ、実際に、ドーピングの結果で失格となった選手が出て、その関係で日本のノルディックの選手が銅メダルを獲得した。

その時、ドーピングの検査結果を知った私は、その選手をNHKの施設に囲い込んだ。そして、正式な決定を待ってメダル獲得のインタビューを撮ってニュースを流している。他社に知られないようにという実にあさましい精神だが、そういうことはマスコミの世界ではよくある……実に恥ずかしいことではあるが。

そういう「活躍」もあって、帰国後直ぐに有働から、「慰労会やろう」と。有働と私、それに有働と一緒に番組に出ていた若手男性キャスターと3人で食事をした。その席で、パラリンピックでのエピソードを得意げに語る私。いつものように、「へぇー」と身を乗り出して質問を連発する有働。

話は盛り上がる……と、その時、若手男性キャスターがこう言った。

「でもさぁ、パラリンピックって意味ないんじゃないですかね」

え?

「どういう意味?」と有働が困惑した顔で。

その動揺が伝わらないのか、彼は平然と言った。

「障害者が普通のオリンピックに参加してこそ、意味があるんだと僕は思うんですよ」

「どうかなぁ……」と有働。

私は、その時、有働が後輩に対してどういう態度をとるのか見ていた。

「ふぅーん……」と有働。

そして、その話題を切って、別の話を始めた。有働らしいと思った。パラリンピックから戻った私を慰労する場で「パラリンピックって意味ない」という後輩の発言は失礼なものだし、障害を持つ人に夢と希望を与える大会に対して見識のない発言だとは思うが、それはそれで彼の意見は意見だ。個人の意見は尊重する。別に、彼が彼の意見を持つのは自由だからだ。勿論、この男性キャスターも放送でそういう「本音」を言うことはないだろうし……そういう点を考えてのバランス感覚だったと思う。

有働由美子がジャーナリストたるゆえん

有働がNHKを辞めた時、ちょっとしたジャーナリスト論争が起きている。これは、NHKを辞めるにあたってジャーナリストとして頑張りたいと語った有働について池上さんが発した発言についてだ。

「ジャーナリストとしては、そんな簡単にジャーナリストなんて自称してほしくない」

池上さんはそう言った。

池上さんとしては、可愛い後輩に厳しい言葉をかけたということなのかもしれない。ただ、有働もかなり気にしているようで、その後NHKに2人で出た際に、「これからはアナウンサーと名乗ります」と言って頭を下げていた。池上さんがその時に無表情だったのを考えると、ひょっとしたら池上さんは本気で、「ジャーナリストなどと簡単に名乗るな」と思っているのかもしれない。

ただ、私は、有働はジャーナリストだと思っている。それは彼女が読売新聞の取材に対して語ったようにNHKでは「アナウンサーもジャーナリストたれ」として育てられるからということもあるが、基本的に、NHKでなくてもどこのアナウンサーもジャーナリストだと思うからだ。

そもそも「アナウンサー」という肩書があまり使われていないアメリカでは、有働のようなアナウンサーは普通にホワイトハウスなども取材している。日本ほど、記者とアナウンサーの間に境界がないからだ。

取材をし、記事を書く。あるいは放送で伝える。これをする人がジャーナリストを名乗って、「軽々しい」ことはない。

一方で、ジャーナリストである条件の1つに、批判精神があるのも事実だろう。恐らく、池上さんの言いたいのはこの点かと思う。この批判精神とは、不平不満ということとも違う。現状について調べたことを単に伝えるというだけでなく、そこから見えてきた問題点を指摘するという姿勢が必要だ。

それで言うと、有働はこれまでもそういうことをしてきた。有働の基本は批判精神だとも言ってよいかと思う。

ただ、それをあまり強烈には表に出さない。相手を声高に問い詰めることもしない。それはパラリンピックの時の食事会での後輩に対する姿勢で紹介した通りだ。批判精神を抑制的に維持し、抑制的に使う。有働は、そういうジャーナリストだ。それは恐らく他のジャーナリストとは違う。が、だから有働がジャーナリストではない、とはならない。

さて、番組が始まって50分余り……『news zero』は最終版を迎えた。翌日の紹介をした後、「みなさんの声」を紹介する有働。

「有働さん少しテンション高くててんぱり気味。落ち着いて見られるのは来週からですかね」

そう読み終えて、「やべぇ」という顔をする有働。まぁ、これは計算通りでしょう。他にもあったはずの「みなさんの声」からわざわざこの言葉を探すところは有働ならではだろう。敢えて言えば、有働は自分を批判的に見る点では、他のジャーナリストに勝っている。

ジャーナリスト、有働由美子は始動した。更に、どういうジャーナリスト像をつくっていくのか。まぁ、そうは言っても、たかが同期の今後だ。あまり期待せずに見続けたい。

次回に続く

Photograph=報知新聞/アフロ

立岩陽一郎
立岩陽一郎
調査報道を専門とする認定NPO「インファクト」編集長。一橋大学卒業。NHKで初めて戦場特派員としてイラク、クウェートを取材。社会部記者、1年間の米国留学の後、国際報道局デスクを経験するなど華々しいキャリアを築くも「パナマ文書」の取材を最後に49歳にしてNHKを辞職しその翌日渡米。現在は公益法人「政治資金センター」理事や毎日放送「ちちんぷいぷい」のレギュラー・コメンテータ、ニュースメディアへこれまで培ってきた報道の世界の鋭い目線で記事を提供するなど活動の幅は多岐に渡る。著書に「ファクトチェック最前線」「トランプ報道のフェイクとファクト」「NPOメディアが切り開くジャーナリズム」「トランプ王国の素顔」、共著に「ファクトチェックとは何か」「フェイクと憎悪」がある。
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