「それ、会社病ですよ。」民法改正でコンビニの買い物で注意事項が延々と続く? Vol.8


民法が120年ぶりに抜本改正されます。国会審議は2年後。すでに中間試案が出てきています。近代化、現代化しないといけない要素があるからですが、気になるのは、消費者保護の規定が想像よりもはるかに多く入っていることです。
 背景に、事業者は強者で、消費者は弱者であるという発想があるように思えてなりません。しかし、本当にそうなのか、という視点を持つべきです。消費者という概念はそもそも極めて曖昧。実際、インターネットの世界などには事業者よりもはるかに戦闘能力を持った消費者もいる。一方的に決めつけてしまうことは極めて危険です。
 また、消費者と事業者は同じ人間の違う側面を切り取っているだけだということにも気づくべきです。事業者として稼いだお金で、人は消費者になっている。事業者が苦しむような法律が作られてしまったりすれば、そのツケは実は消費者自身が払わされることになるのです。
 驚くべきことに、世の中には善と悪がきれいに分かれるものだと信じて疑わない人たちがいます。ひとりの人間のなかに、善悪が共存していることを認められない。結果として、白か黒かを決めつけてしまう。そして善なる人間の正義や理想に過度に期待するのです。憧れるのは構いませんが、世界をそういう方向に持っていこうとするのは、これまた危ない。厳しい言い方ですが、人間観察が甘いと言わざるを得ません。

人間は邪悪で嘘をつくし汚いものだ、という前提で物事を考えるのが、自由主義論者の考え方です。人間の良心などというものを信じないというところから、フリードマンの市場原理主義も始まっている。暴力手段を持っている国家に、お金の配分まで握らせたら、むちゃくちゃなことになるということも、歴史が証明してきました。
 政策というと、ビジョン的な議論をイメージする人もいますが、実際には法律・法令づくりと予算配分こそが政策で、それがすべてなのです。
 逆にいえば、立法というのは本当に大きな意味を持っています。後に確実に社会に響いてくるのが、法律なのです。しかも、その瞬間はわからないのに、後からじわじわと仕掛けが動き始めるケースもある。立法には極めて注意をしなければならないということです。知らなかった、で済まされることではない。
 それこそ民法というすべての取引行為の基本法が今の中間試案に沿って改正されると、すべての商品の販売について延々と消費者への説明が行われる、なんてことが本当に起こりえます。百貨店で洋服を買うたびに、コンビニでオニギリを買うたびに店員から長々と注意事項の説明が行われ、インターネットで日用品を買うたびに長文の説明を読まされる。そんな日が来ないとも限らない。製造業者も小売業者も、説明しないで販売した時に、訴えられるリスクがあるなら。
 民法改正は、実は他人事ではないことに気づいておく必要があります。社会の関心が、もっともっと高まらなければいけない。私はそう強く感じているのです。


Text=上阪 徹 Illustration=村田篤司
*本記事の内容は13年4月取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい