ファミマ社長  澤田貴司 超率先垂範でコンビニの未来をつくる!

年間の売上3兆円強、来客数はのべ55億人。圧倒的なスケールを誇るコンビニの大手、ファミリーマートを強烈に牽引するファミリーマート代表取締役、澤田貴司社長。「超率先垂範(ちょうそっせんすいはん)」を徹底的に貫くタフな公私を追いかけた。

「決める!」「やる!」「逃げない!」がリーダーとしての3つの信条

「社長、会いたかったー!」 

8月、2016年4月の熊本地震の被害に遭った阿蘇地区の加盟店を訪れたファミリーマート社長、澤田貴司に女性スタッフが駆け寄る。傍らでは男性店長が瞳を濡らしている。

「今、まだお困りのことはありませんか?」 

澤田は店内をぐるりと見て加盟店の率直な意見を訊く。

「皆さんが少しでも働きやすくなるように、本社では急ピッチで改革を進めています。販促物はシンプル化して販売に集中できるように努めるので、今後もよろしくお願いします!」 

店長の手を固く握る澤田。この日は13店舗をまわった。店を後にする際、再び両手でひとりずつスタッフの手を握る。

どんな組織にも、従業員が気づきながらも改善が先送りされている問題点はある。澤田はそれらを放置しない。帰社すると率先して改善策を講じ、本社や現場の社員も迅速に対応する。 

張りのある声。陽に焼けて黒く光る顔。無駄な贅肉をそぎ落とした筋肉質な身体。少年のような笑顔。テンションは常時高い。この社長が60歳を迎えているとは思えない。

 〇チェーン全体売上高=約3兆円
 〇国内店舗数=約1万8000店
 〇ストアスタッフ数=約20万人
 〇顧客数=年間約55億人
 (すべて2016年度)

この巨大なコンビニエンスストア、ファミリーマートを2016年9月から牽引する澤田は、そのキャリアで数多くの実績を積み上げてきた。

新卒で入社した伊藤忠商事では、1990年代前半、イトーヨーカ堂との共同プロジェクトでアメリカのセブン‐イレブンの再建に参加した。

ユニクロを展開するファーストリテイリングでは、フリースブームの火付け役に。98 年11月、東京・原宿店の大行列は全国に報道された。97年の入社時の売上高400億円の企業が、フリースブームの3年後には4000億円に成長した。同社では副社長まで務め、オーナー経営者の柳井正氏からの社長就任の要請を悩んだ末に辞退。退社した。

その後に興した企業再生ファンド、キアコン(「気合」と「根性」から命名)やリヴァンプでは、大ヒットしたクリスピー・クリーム・ドーナツの日本展開などを手がけた。

そして2015年、ファミリーマートの経営を打診される。

8月に熊本の加盟店を訪問。徹底的に現場に足を運んで、感謝の想いを伝えるとともに日々生じている問題点を率直に訊く。そして、会社へ持ち帰り、自ら率先して解決策を講じる。

「手伝ってくれないかな?」 

最初は軽いジャブのような誘いだった。現ユニー・ファミリーマートホールディングス相談役の上田準二氏、現ファミリーマート会長の中山勇氏、そして澤田の古巣でファミリーマートの筆頭株主、伊藤忠からである。

「手伝うって、どういうこと?」

澤田も軽くいなす。中山氏は伊藤忠時代の同期だ。

要請はやがて具体性を帯びる。

「サークルK サンクスと統合しそうなんだけど、どうかな?」 

当時、ファミマの店舗数は全国で約1万2000店。サンクスは約6000店。コンビニ業界3位と4位が経営統合し、約1万8000店の大所帯となる。

依頼はさらに具体的に──。

「統合、決定したよ。経営、本気で考えてくれ」

旧ファミマやサンクス出身者でなく、澤田に新生ファミマのトップを託そうというのだ。 

その時、澤田は念押しした。

「経営に口出ししないなら引き受ける。任せられないなら、他の誰かに当たってほしい」

よしもとの芸人と

その条件が受け入れられなければ辞退するつもりだった。

「決める! やる! 逃げない! 僕が思う経営者にとって大切な3カ条です。横から口出しされたら、命がけで全責任を負うことはできません」 

この3カ条のなかでも「逃げない!」について、澤田は特に強い決意を持っている。10代の時の苦い体験があるからだ。

石川県吉野谷村(現白山市)で生まれた澤田は県立金沢桜丘高校へ進み、野球部に入部した。甲子園にも出場したことがある名門チームだ。しかし、球拾いやうさぎ跳びなど厳しい基礎練習に耐えられなかった。

「野球部では勉強ができない」

そんな口実で、半年で辞めた。その後、スキーで県大会まで進んでも、大学に入ってアメリカンフットボール部で主将として活躍しても、野球部で挫折した心の傷は癒えずに残っている。

「オレは二度と逃げない」

固く誓って生きているのだ。

想いを熱くメッセージで届ける/想いは文字にするのが澤田の流儀。上は加盟店訪問時の記念写真にお礼のひと言を添えて。

毎朝トレーニング。強靭な肉体で働く

「超率先垂範!」 

年9月にファミリーマート代表取締役社長に就任した澤田の信条だ。

「6000人の社員で僕が一番激しく働きます」

自分がもっとも苦しく厳しいところを受け持つ。社員・加盟店の幸せのために徹底的に汗をかく。ビジネスの世界で長く戦ってきたことで得た教訓であり、父親から学んだことでもある。

「伊藤忠にいた時期に父が急死して、吉野谷へ帰りました。葬儀で僕はびっくりした。弔問客が後を絶たないのです。父親は教員でした。派手な人生を歩んだわけではありません。でも、多くの人に慕われていた。利害と関係なく、自分よりも生徒や周りの方のことを優先して生きてきたからです。父親のことを初めてカッコいいと思った。僕も死ぬ時に人に感謝されるカッコいい男になりたい。そのために大切なのは、人のために全力を尽くすことです」 

率先垂範は、キアコンやリヴァンプで他社の経営に携わり苦い体験を積んだ教訓でもある。

伊藤忠時代、「商社はもっと小売りビジネスに関与すべきだ」と、当時の室伏社長に送った手紙。ちなみに結婚も妻にはラブレターを380通書いて口説いた。

「資本を入れて会長職に収まり、社長に経営を任せた反省はすごくあります。『オレ、率先垂範でなかったな』と思うことがいくつもね。今回、僕は会長ではなく社長。徹底的にやります」 

その姿勢はファミマで確実に貫かれている。

社長就任に際し、全国の加盟店を徹底的に訪問した。新入社員同様、自ら研修でレジに立ち、おむすびやパン、おでんを売り、そしてファミマの看板商品のファミチキを売った。現場を肌で体験し、そこから逆算して、経営を考える。

「伊藤忠時代、アメリカのセブン‐イレブンの再建でご一緒したイトーヨーカ堂の創業者、伊藤雅俊さんやセブン‐イレブン前会長の鈴木敏文さんなど経営陣の姿は今も鮮明に憶えています。加盟店で品揃えを見て、陳列を見て、お客様を見て、スタッフを見て、メモをとり、具体的な指示を出す。現場主義を挙げる経営者はたくさんいますよね。でも、実際に足を運び結果につなげられる人は多くはありません。伊藤さんや鈴木さんは本物の現場主義。セブン‐イレブンはアメリカで生まれた会社です。それがボロボロになり、日本の経営者が再建した。その姿は、メジャーリーガーから次々と三振を奪った野茂英雄投手を見るようでした」

自分の目で現場を見るのは小売りの基本。確信した。

昨年9月の社長就任に際して、まず実行したのが現場を体感するためにレジに立ち、商品や現場のオペレーションを知るための店舗研修。

 現場で知ったことを経営に反映するために、澤田は社内でブレストを重ねる。社長就任後一年で約600回。在社する日は、ローテーションで全部署とランチ会も行う。メニューは各自ファミマで購入して集まる。最前線の営業現場で戦う社員主体での営業戦略会議も続けている。会議の場では、本部と現場で率直な意見を戦わせる。さらに社員全員を対象にした「気合注入講演会」を日本全国で行う。

「日本中の社員を一度に全員集めることはできないので、地域別で昨年9月から4カ月かけて22回やりました。僕が社員を知り、社員には会社の現在や僕の考えを知ってもらう会です。今年ももちろんやります」

また、澤田がもっとも大切にしていることのひとつに、フィジカルの充実がある。

「身体の状態がよくなくては、健全な判断も、すぐに行動を起こすこともできません」

熊本・阿蘇の店舗スタッフと

だから、毎日トレーニングは欠かさない。起床は朝5時。まずエアロバイクを45分間こぐ。距離にして約20キロメートルだ。その後、腕立て伏せと腹筋運動を各100回行う。

朝食はヨーグルトとフルーツ。昼食はファミマの商品を購入して食べる。夜は連日会食。5年前にがんを患い、胃を3分の2切除したこともあり、食事の量は減った。しかし過剰に食べないせいか、病後はかえってコンディションが上がった。

一年に複数回、トライアスロンの大会にも出場。ただし、今はもうタイムは気にしない。完走することで、自分の身体と心の充実度を確認する。

還暦を迎えた3日後の7月15日には、伊豆大島から湘南の江の島まで、スタンドアップ・パドル・ボードで海を渡った。サーフボード状の板に立ち、ひとりでなんと11時間もオールを漕いだ。距離は60キロメートル。還暦にぴったりの距離だった。

「ジジイをなめんなよ!」

江の島に着くなり、力尽き放心したようにボードの上に仰向けになり、夏空を見上げる。オールを握り続けた手のひらの皮はむけ、度重なる落水で身体中が傷だらけになった。

こうして強靭な肉体を作り、ビジネスに還元させていく。そんな澤田が目指すコンビニの未来像とは──。

スタンドアップ・パドル・ボードで大島~江の島を渡る。その距離60km、11時間かかった。

血の通ったサービスをとことん突き詰める

「日本全国の、街の拠点」

澤田が描く未来のコンビニの理想像である。

「スーパーの小型版、ご近所版としてスタートしたコンビニエンスストアですが、現在はサービスが多岐にわたっています。銀行のATM機能があり、宅配サービスがあり、プレイガイドでもある」

それがさらに拡大していく。

「まずは近い将来、完全にキャッシュレスになります。もしかしたら自動車を購入できたり、不動産の取引ができたりするかもしれません。コンビニの可能性はハンパない」

人口が少ない地域では、夜間に照明が点灯しているコンビニが防犯の役割を果たしているケースも多い。

「テクノロジーの進歩によって、端末ひとつあれば、さまざまなサービスを行えるようになりました。ただし、コンビニの重要な役割はもっと先にあると、僕は考えています」

今後さらに日本の人口は減っていく。未婚率が高くなり、あるいは配偶者に先立たれて、ひとり暮らしの世帯は増えていく。

「高齢化社会がますます加速するなか、コンビニはその地域のお年寄りの生活を支える存在にもなっていくはずです。端末機の操作をしてさしあげる。ジュースを売ったら、ペットボトルを開けてさしあげる。照明が切れたら、電球を売るだけではなく、取りつけてさしあげる。いつも来店するお年寄りの姿を見なくなったら、自宅に様子を見に行く。近隣の治安にはもちろん貢献する。そういう地域の生活の中心的存在に、大切な加盟店の皆さんとともになりたいと、僕は考えています」

デジタル化が進めば進むほど、むしろアナログのサービスがいかに充実しているかが問われる。

「テクノロジーの進歩は、どの会社にも同じようにもたらされます。AIなどを駆使して店舗の業務を徹底的に効率化する。そのうえで大切なストアスタッフさんには、人間にしかできない血の通ったサービスを突き詰めていただく。物心両面で地域に幸せをもたらす、その土地になくてはならないコンビニが店舗数を増やしていくはずです。ファミリーマート、最高にいい名前でしょう。僕らはより家族に近い存在になります」


音楽プロデューサー 松任谷正隆が語る澤田貴司という男
出会ったのは1980年代。僕たち夫婦が世田谷区の松原にいたころです。澤田君は上智大学の学生でした。彼の友人が2軒隣に住んでいて、突然訪ねてきた。それからは週に3日はうちにいたはずです。僕の部屋で勝手にくつろぎ、由実さんが作るご飯を食べてね。かなり強引なやつですけれど、許してしまう。彼の人徳でしょう。彼らがうちで語る恋愛のエピソードは由実さんの歌詞の原型にもなりました。来年38回目を迎える新潟県苗場のリゾートコンサート「SURF & SNOW」も、スキーをやっていた澤田君たちのアイデアです。彼と再会したのはユニクロ時代。フリースブームを知って「澤田がやったに違いない!」と思い、コンサートの打ち上げに呼びました。澤田君が質の高い仕事をしてえらくなっていくことは、本当に嬉しい。彼はこれからも、まだまだ大きな仕事をすると思います。

Takashi Sawada
1957年石川県生まれ。伊藤忠商事、ファーストリテイリング副社長を経て、2003年にキアコン、05年にリヴァンプを設立。16年より現職。リヴァンプは会長。毎年トライアスロン大会に出場。


Text=神舘和典 Photograph=太田隆生、坂田貴広

*本記事の内容は17年9月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい。 14年4月以降の記事では原則、税抜き価格を掲載しています。(14年3月以前は原則、税込み価格)