【知られざるヒーロー列伝】ボディビル世界大会珍道中 ~トレーニング界の伝説、遠藤光男 第8回

すごい男がいたもんだ! 話を聞きながら、昔流行した、ビールのコマーシャルのワンフレーズが、脳裏をかすめた。 遠藤光男氏、75歳。戦後、黎明期の日本ボディビル界を語る上で欠かすことのできない人物であり、まだ方法論が確立されていなかったウェイトトレーニングに、独自の合理的なメソッドを導入した、パイオニア的存在でもある。ここに示すのは、そんな知られざるヒーローの物語。  


チケットを紛失し、まさかの密航⁉

ボディビル日本一になった翌1967年、ミスター・ユニバースというにボディビル世界大会に行ったんです。カナダのモントリオール。一人旅でした。今でこそ笑い話にできるけど、いろんな目に遭いましたね。

現在もジムで指導する遠藤氏

もう羽田から始まっていましたよ。見送りが200人ぐらい来ていましたね、すごいでしょ。今じゃ、ボディビルの世界大会行くっていっても、誰も見送りになんか来ませんから。

機内に入る前に、みんなタラップのところで記念写真を撮っているんです。そうか、ここで記念写真を撮るものなんだと思って、自分もある団体客のはじっこのほうに入っていたら、僕の見送りにきた人が、みんな手を振ってるんです。それに応えて手を振っていたら、どうも様子がおかしい。どうやら、僕の見送りの人たちは、「そこは違う団体だから、入っちゃだめだ」ということを僕に伝えたくて手を振っていたんですね。早速、恥ずかしい思いをして出発しました。

まずサンフランシスコ経由で、ロスに移動し、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に飛んで、そこからモントリオールに行くという予定でした。ロスでジョージ土門(編注;当時ロス在住だった武道講師。若き日のジャイアント馬場、アントニオ猪木のアメリカ遠征をサポート)が出迎えてくれて、彼の家に数日滞在して、トーレーニングしながら大会に備えました。

そのロスでのことなんですが、食事しにいくと、結構、行く先々で断られたんです。最初は「今、忙しい」と言われるんですが、「お客、だれもいないじゃないか?」と言うと、「リメンバー・パールハーバー」って言われましたよ。そういう時代だったんですね。

それで、いざモントリオールへ出発しよういうときに、ジョージ土門が「えんちゃん、ニューヨークからモントリオールまでのチケット入ってないぞ」って言うんですよ。慌てて調べてみたけど、入ってない。

ほかに飛行機がなくて、ロスからセスナ機をチャーターして行く案も出ましたが、「いくらぐらいかかりますか?」って聞くと、「500ドルかかる」っていうわけ。500ドルって、当時1ドル360円の時代ですから18万円。手持ちの全財産が500ドルしかないから、それで行ってしまうと、もう他のことが何にもできなくなってしまうので、「いや、とにかく自分行ってみよう」と決心しました。たまたまチケットがないだけで、説明すれば分かってもらえるかもしれないと、思って、とりあえずニューヨークまで飛びました。

乗り継ぎまで一晩時間があったので、空港の椅子で寝て、出発の時間にカウンターに行って交渉したんです。日本から持ってきていたお土産の中から、浅草で買ってきた扇子とかいろいろ、渡しながら、「ボディビルの大会でモントリオールに行くから、何とかヘルプしてくれ」って。そうしたら、その係員が「よし分かった、お前を助けてやる。オレが口笛を吹いたら、走ってタラップ上がれ」というんですよ。言わば密航ですよ。心配になって「いいのか?」って聞きましたが、「大丈夫だ」と。

搭乗時間が迫ってきて、タラップの近くで待っていたら、そいつが「ピー!」と指笛を吹いたのが聞こえました。脇目も振らず、一目散にバーっとタラップを駆け上がりましたよ。それで乗れたんです。とても今じゃ考えられませんが、それでモントリオールまで辿り着くことができましたよ。

両親に見送られ、モントリオールに向かう遠藤氏(中央)

到着したのは夜中の11時半。ところが、来ているはずの迎えが、誰も来ていない。こんな時間に、どこに行ったらいいかも分からず、また途方に暮れそうになっていたんですが、ボディビル協会を牛耳っていた会長のジョー・ウィダーのモントリオール市内の住所をどこかに控えていたことを、思い出したんです。

ウィダーというのは、大手のサプリメント会社です。『ウィダー・イン・ゼリー』という商品名を聞いたことがあるでしょう? あのウィダーです。もともとの代表がジョーで、弟のベン・ウィダーがボディ・ビル世界連盟の会長だったんです。

メモしてあったその住所のところだけ破いて、タクシー運転手に渡して、ここに連れて行ってくれと言ったら、なんとかそこに着いたのが1時過ぎ。でも、そこに誰もいなかったんです。仕方がないから、また空港に戻ってきて、そこにいた係員に「日本人の働いているホテル探してくれ」と、片言の英語で言ったら、いたんですね。今でも覚えている、浅野恭輔さんという人。

事情を説明したら、「よし遠藤さん、オレの部屋使ってくれ」と言ってくれましてね。「タクシーいくら払った?」と聞かれたんですが、「300ドルも取られました」と言ってレシートを見せたんです。10万円以上ですからね。ボラれたんですよ。アサノさんは、次の日休みを取ってくれて、ジョー・ウィダーの事務所に行き、「誰も迎えにきてないから、遠藤さんがこういう目に遭ってしまった。300ドルを遠藤さんに返してやれ」と言ってくれたんです。そしたらジョー・ウィダーが返してくれたんですよ。

第9回に続く

Text=まつあみ靖


第7回 ボディビル日本一への道


第6回 馬鹿にされても貫いた道


第5回 大横綱たちとの思い出


遠藤光男
遠藤光男
1942年東京都生まれ。日本ボディビルディング界の第一人者で、24歳だった'66年のボディビル・ミスター日本となる。翌年に東京・錦糸町で遠藤ジムを開き、その年にはモントリオールで開催された世界選手権で3位に。三島由紀夫や勝新太郎とも親交があり、大相撲界、プロレス界など幅広い人脈を誇る。
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