【阿部勇樹】救われた妻のストレートな言葉

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右するのだ。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~19】。

夫として、父として  

夫として、父としての僕はどうなんだろうか。

どうありたいかという、明確な理想を言葉にするのは難しい。

家族は「僕のやりたいこと」を支えてくれている。だから、僕も家族のやりたいことを支えられる存在にならなくちゃいけないのは、最低限のことだろう。

妻にもやりたいことがあるなかで、家族のことを任せっきりにしてしまった部分は多い。我慢させてしまっていることだってあるはずだ。新型コロナウイルスの影響で、少しは家事も手伝い、日々の妻の大変さを感じた。これからはできるだけ、妻にも自分の時間が持てるようにサポートしていきたい。まだ「できるだけ」というふうにしか言えないところが申し訳ないのだけれど。

家族のために働かなくちゃいけないと思っている。

それは暮らしを営むためには収入が必要だからだし、理由はそれだけではない。

今はサッカー選手だけれど、ずっとサッカー選手をやっていけるわけでもない。その先もしっかりと仕事をし、家族が生活できるようにしなくちゃいけない。ただ、どんな仕事であれ、真摯にそれに取り組んでいくことが大切なのは、僕の姿を子供たちが見ているからだ。

「負けたねぇ~」

「なんで負けたの?」

試合後のふたりの息子たちの無邪気な言葉に、敗戦という事実にささくれ立った気持ちが癒やされる。

浦和で生まれた息子たちは、中学1年生と小学3年生だ。

当然のように浦和レッズのサポーターになり、選手たちの名前はプレースタイルなどにも興味を持ち、知るようになった。もしかしたら、これからは徐々に試合後の無邪気さは薄れていくかもしれない。

父親を気遣うような振る舞いを見せる日がくるのだろうか。

僕と妻が付き合ってから、20年近くが過ぎた。

妻が見たサッカーの試合はいったい何試合になるんだろう。

かなりの数であることは間違いがない。

そんな妻とサッカーの話をすることもある。もちろん、彼女は深いサッカー知識を持っているわけではない。

「身体重そうだったよね」

「今日は動けていたね」

非常にシンプルだけど、いつも僕を見てくれているからこそ、わかることがあるんだと思う。話題は僕のことだけでなく、チームの状態みたいなに及ぶことも。長年見ているからこそ、いつもとの違いに気づくんだろうか? 意外と的を突くような指摘をされることも少なくない。

「もっと、上がっても(攻撃参加しても)よかったんじゃない?」

ある試合後、妻が僕に言う。感じたことをストレートに言葉にする彼女は、僕が好ましいと思う彼女の魅力のひとつだ。思ったことをまっすぐに。変化球的な言葉を投げてくることは、ほとんどないと思う。だから、ぶつかることもたまにはある。

それでも、彼女のまっすぐさに救われたことは多い。

サッカー選手のキャリアのなかで、大きな挑戦のチャンスが巡ってくる。チャレンジしたいという気持ちとそのチャレンジをすることで抱えるリスクで、心が揺れ動く。

たとえ、リスクがあったとしても、挑戦し続けなければ、成長はない。それは、イビチャ・オシムさんの教えでもあるし、挑戦の価値は経験上でも知ってはいる。それでも……と、迷うことはある。

そんな時、妻の言葉に背中を押されたことは、過去に何度もあった。

僕がこの38歳になった今でも現役でプレーし続けられるのは、挑戦してきた過去があるからだ。そして今も日々、チャレンジし続けられるのは、妻や家族がいてくれるからだ。

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子 ©URAWA REDS