【小橋賢児の半生①】俳優から転身! なぜULTRA JAPANを手掛けたのか?

 いまや特定の領域に閉じこもってばかりいては、先が拓けない時代だ。 ジャンルを軽やかに跳び越えていく者だけが、真に革新的なことを為し得る。小橋賢児という名に聞き覚えのある人はかなりいるだろうが、彼のどの顔を知っているかは人によりバラバラではないか。 俳優、映画監督、イベントプロデュース……。時期によって注目される側面が次々と変わっていく、まさにマルチな活動ぶり。 その類稀な才能はいま、クリエイティブな「場」の創出に向けられている。その最大の場が、 クリエイティブディレクター(現在はクリエイティブアドバイザー)として成長させてきた、世界最大級のダンスミュージッックフェスティバル「ULTRA JAPAN」(主催:Avex)だ。リアルな体験の場を生み出すことに賭ける、彼の思いと原動力はどこにあるのか。小橋賢児が自身の半生を語る


なぜ日本でULTRAを開催したかったのか?

「ULTRA JAPAN」も5回目。もう、感無量です。コアなダンスミュージックファンはもとより、ちょっと興味があって来てみた人や、友だちに誘われてなんとなく足を運んだ人にもぜひ楽しんでもらいたい。いや、そういう人にこそきっと響くものがある場としてつくっているつもりなので、ぜひリアルな体験を味わってほしい。

ULTRA MUSIC FESTIVALはもともと米国発、順次世界各地で開かれるようになったイベントで、いまじゃ年間を通して、世界中のどこかでULTRAの熱狂が沸き起こっている状態。僕がこのイベントの日本開催に関わることになったのは、先んじて始まっていたULTRA KOREAの立ち上げに参画したことだった。

ULTRA KOREAの全体を取り仕切っているボスが、日本でのパートナーを探していて、僕に声をかけてくれたのだ。

大きなイベントを動かす企業体は日本にいくらでもあるのに、なぜ僕に白羽の矢が立ったのか。先方は組織が欲しかったのではなくて、このプロジェクトをおもしろがって一緒にやってくれる個人を探していたようだった。

そうなると、僕はマイアミでの本家ULTRAも含めて世界中のフェスを実際に体験していて、そういう人間は当時日本にあまりいなかった。それで名前が挙がったようで、いい縁だった。

韓国でのULTRAをスタッフの一員として準備していくのは、苦労も多かった。でも当日、10万人収容のオリンピックスタジアム全体が熱狂の渦に巻き込まれる様子は、やっぱり圧巻だった。

しかもおもしろいことに、これはダンスミュージックのイベントだというのに、8〜9割のお客さんはクラブシーンに精通しているわけでもない普通の人だった。そういう人たちが、これまで知らなかった世界に触れて身体を動かし、存分に感情をさらけ出していた。いい光景だと思った。見るだけで泣けてきた。

そこで脳裏に浮かんだのは、日本の現状だった。リーマンショック後で社会全体に元気が欠けていた時期で、若者が内向きになって夢を持てない空気が蔓延していた。大人は「昔はよかった」と思い出を語るばかりで、そんなものは下の世代には響きやしない。

社会の大半が「have to」ばかりでできていて、「want to」の夢を抱くことすらあきらめてしまっているように見えた。それじゃ息苦しくてしかたない。そういう考えに囚われながら生きるのは、想像以上につらいものだ。それは、かつて自分も似た時期があったからよくわかる。

僕は10代のころから俳優として仕事をしていた。売れっ子になった時期もあったけど、そうなると外部からも、自分の内側からも規制が生じてくる。俳優という立場なんだから、こういうことを言っちゃいけない、こんなことをしちゃいけない、こうふるまうべきだ……。どんどん身動きがとれなくなっていった。

それで、27歳のときに休業してしまった。僕は、自分の中に「want to」を取り戻したかった。

同じように何かに気づき、自分の考えや行動を変えるきっかけを欲している人は、世の中にたくさんいるはず。僕にはそういう確信がある。ULTRAのようなイベントは、いいモデルケースになるはずだ。音楽に詳しくなくてもいい、理由なんていらない、とにかく気軽に参加してみたらとにかく楽しくて、そこから知らない世界にもっと触れてみたい、何かをしてみたいと考える人が出てきたら、それはすごいことだ。

ダンスミュージックの巨大なイベントなんて日本じゃ無理だと、当時は誰もが思っていた。ましてや東京のど真ん中でなんて。じゃあ逆に、「どうせ無理」なことを起こせたとしたら、それを目の当たりにした人は未来を、日本を、自分の人生を変えられるんだと実感できるんじゃないか。ULTRAを日本で開催したいと決意したのは、そんな思いからだった。

クリエイティブディレクターとして立ち上げから携われたのは幸せなことだ。すでに今年で5回目を数え、いまや一大イベントとして定着した感もある。もっと人生を楽しみたくて、一歩を踏み出すきっかけを探している人は、たくさんいるのだ、と改めて思う。

第1回から今に至るまで会場はいつもお台場だけど、開催場所の選定にはこだわり抜いた。立ち上げたときは名も知られていないイベントだから、お台場で開くなんてとうてい無理だと関係者は口をそろえていた。でも僕は、誰もがアクセスしやすいメジャーな場所でやってこそ意味があるのだと最初から思い、そこは譲れなかった。

ダンスミュージックのコアなファンなら、他の音楽フェスのように地方の森の中の会場で開いたって来てくれるかもしれない。が、僕がやりたいのはそれじゃない。たまたま誘われて出かけた人が、新しい気づきを得て人生が変わる、そういう事態をたくさん起こしたいのだ。そのためには、どうしてもお台場のような東京の中心地で開催する必要がある。

もう場所を決定しなければいけないというとき、僕は関係者全員を直接お台場へ連れていった。会場を見渡せるところに立って、「ここ、どうですか? ここでやりたくないですか?」と場所を見せた。

実際に見れば、賛同する人も出てくる。会場を見た帰りに、主催するAvexのイベント制作の代表者にバッタリ会ったので、やっぱりお台場がいいんだということを情熱を持ってまくし立てた。自分の思いだけじゃなく、お台場は羽田空港に近くて海外から見たら東京の顔であり玄関口であること、東京の人は意外に注目しないが、お台場から眺めるサンセットは抜群にきれいで、高層ビル群は世界屈指の光景であるといったことも交えて。

その代表の方は賛同してくれた。じゃあお台場でチャレンジしよう、と。為せば成る。人の人生に気づきをもたらし、変わるきっかけをつくるというのは、そんな簡単なことじゃない。その過程で僕が妥協などしていては、思いが人に届くわけなどないのだ。

なぜ僕が、人が変わるきっかけづくりに注力するようになっていったのか、次回からは自分のこれまでの歩みをひもときながら、紹介していきたいと思う。

次回に続く


Kenji Kobashi
1979年東京生まれ。’88年に俳優としてデビュー、NHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』など数多くの人気ドラマに出演。2007年に芸能活動を休止し、世界中を旅して回る。現在はULTRA JAPANや未来型花火エンタテインメントSTAR ISLANDをはじめ、話題のイベントをプロデュース。マルチクリエイターとして活躍する。