ナンジャン復活! ~元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT第18回

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米、巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストによるエッセイ。第18回は、1989年に大阪で行われた、伝説と語られる「ナンジャン」について。


次の時代の日韓の関係を考える

ソウルに向かう機内で一冊の冊子を開いた。ナンジャンと書かれている。開くと、写真が飛び込んでくる。

薄化粧をしてステージに立っているのは数年前に鬼籍に入った著名な作家だ。絵筆をもって舞台をかけめぐる男性の姿も……。

ナンジャンのパンフレットの写真(左から野坂昭如、中上健次、黒田征太郎)。

空港に着いた私は、タクシーに乗って「ロッテホテル」と告げた。

ホテルに着いた私のスマホに、「ロビー1階のカフェにいます」とメッセージが入った。そのままカフェへ向かうと、一面が大きなガラスとなっているカフェの奥に4人の男性が集まっていた。

全員に紹介してくれたのは五影隆則。日本をはじめ韓国、アメリカ、タイなどで飲食業を展開する実業家だ。

「さて、立岩さんも来たので話を始めましょう」

五影の言葉で会議が始まった。

「ナンジャンを再び、やるんですね」

キム・ドクスが日本語で確認した。韓国の著名な民族舞踊サムルノリの第一人者だ。70手前だが、老いは全く感じられない。

「はい。そう考えています」

キム・ドクスは流ちょうな日本語で私に語り掛けた。

「ナンジャンの意味はわかりますか?」

私は既に五影から意味を聞いていたが、キム・ドクスから直接聞きたいと思い黙ってキムドクスの言葉を待った。

「殺人、強盗以外なら何でもあり。それを古代朝鮮語でナンジャンと言ったんです」

五影が説明を加えた。

「漢字で乱場ですね」

「乱場……」

私の頭の中で、機内で見た冊子の写真が広がった。

カフェには当初来る予定だった人物がいなかった。冊子の写真で絵筆を手にしていた男性。黒田征太郎。日本を代表するイラストレーターだ。

実はこの集まりは、黒田とキム・ドクスの呼び掛けによるものだった。

今年80歳になる黒田。自由な発想で筆を走らせては人々を圧倒する作品を残してきたが、最近、肉体に衰えを感じ始めているという。その思いを大阪の繁華街、北新地のバーできいたのは韓国に行く一ヵ月ほど前だった。

「自分はいつまで描き続けることができるのだろうか」

そう語った黒田の頭の中には、ナンジャンがあった。あのパンフレットの現場だ。30年前、黒田は大阪の梅田に設けられたステージで集まった人々の前で絵筆を振り回した。その傍らでキム・ドクスが民族衣装を身に着けて舞った。

作家の野坂昭如と中上健次、歌手の都はるみもステージに上がった。梅田の一等地に急ごしらえで作られた劇場は集まった人々の熱気で盛り上がった。そこはまさに乱場だった。殺人と強盗のない闇市は1年半も続いた。それをナンジャンと命名したのはキム・ドクスだった。乱場と書くんだと、その時、みなが教わった。

その時のナンジャンを支えたのは、事業家として独り立ちし始めていた若き頃の五影だった。知り合いが1年半ほど遊ばせておく予定だった土地を借り受け、取り壊す予定のハリボテの建物を劇場に仕立てた。

それは、無意識のうちに日韓の友好の場となっていた。

「韓国が民主化された後で、日韓で新しい時代が始まるといった高揚感が有ったと思います」

作風の自由さとは真逆で、30歳下の私にも丁寧な言葉で話す黒田。黒田に尊敬の念を抱く五影が少し間をおいて言葉をつないだ。

「大阪だからできたんですよ」

黒田も五影も大阪で生まれ大阪で育った。

「東京だとダメですか?」

そう尋ねてみた。

「駄目ですね」

そう言ったのは黒田だった。五影は大きく頷いた。

ホテルでキム・ドクスの話を聞きながら、黒田との大阪でのやり取りを思い出していた。

「キム・ドクスさんも、やっぱり大阪でやりたいですか?」

そう尋ねてみた。

「私が最初に日本に行ったのは13歳の時。東京オリンピックで民族舞踊を披露するということで行ったんです。東京は好きな街ですよ」

でも、と続けた。

「大阪でやったナンジャンでは本当の意味で日本人とひとつになれたという実感があった。あれは不思議な感覚でした。あれは、やっぱり大阪だからなんじゃないでしょうか。みんな狂ったように踊り歌った。そして、みんなが黒田さんの絵筆を目で追ったんです」

キム・ドクスは乱場を、まるで美しい思い出を語る様に言った。

なぜ今、ナンジャンなのか。それは誰も口にしなかった。恐らく、それは誰にとっても自明なことだからだったのだろう。

従軍慰安婦の問題、徴用工の問題、そして韓国海軍による自衛隊機へのレーダー照射と、ニュースで流れる日韓関係は極めてよくない。「戦後最悪」といった表現をする向きもある。大手の月刊誌が日韓国交断絶なる特集も組んだりもしている。

これらはかなり大袈裟な反応だ。実際には、日韓関係が今より悪かった時代は過去にある。日韓関係というのは、政府レベルで言えば常に荒波の連続だったと言っていい。ただ、それを民間ベースで突き崩してきたのが日韓関係だ。その中に、黒田もキム・ドクスも五影も、ナンジャンを通じて間違いなく参加していた。歴史を作ってきたという自負もある。

「だから、今、ナンジャンなんだと思うんです」

大阪でそう語った黒田。その場にいない黒田の言葉を敢えて私が伝える必要はなかった。みなが共有していることが感じられたらだ。

イラストレーターの黒田征太郎。自身の大阪のアトリエ「カキバ」にて。

今年80になる黒田と70手前のキム・ドクス。このふたりを中心にナンジャンは組み立てるが、できればもっと若い人に集って欲しい。そのためにはどうするのか。議論は続いた。

「次の黒田、次のキム・ドクス、次の野坂、そして次の中上……」

キム・ドクスが言った。日韓の新しい才能の発掘の場にもしたいという思いだ。

10代、20代、30代、40代……いろいろな世代が芸術という縦軸、日韓という横軸でつながれないだろうか。議論は更に大きく膨らんでいくが、とりあえず最初の会合でイメージの共有はできた。

韓国側のプロデューサーはキム・ドクスとともに活動するジュ・ジェヨンと決まった。若くイケメンの彼は、日本語は話さないが英語はできる。ソウル大学で化学を学んだ若き秀才だが、今は芸術監督としての地位を確立している。そのイケメンぶりから見て、日本に来たら大変だろうと妙な心配をしてしまった。

では、日本側のプロデューサーは? 演者は? これから探さないといけない。芸術の様々なジャンルを活かしつつ、「殺人や強盗以外なら何でもあり」というカオスを許容できる人材。年齢はどれだけ上でもどれだけ下でもかまわない。「我こそは」という人は是非とも声をあげて欲しい。有名無名も問わない。そのイメージを共有する多くの人に参加して欲しい。

「来年、2020年の春には始めたいね。終わりは……やっぱり大阪やから、万博やと思うんです」

五影が言った。

2020年から25年まで、大阪を中心に韓国を含む各地で人々を巻き込んでナンジャン、乱場は繰り広げられる。

第19回に続く



立岩陽一郎
立岩陽一郎
調査報道を専門とする認定NPO「インファクト」編集長。一橋大学卒業。NHKで初めて戦場特派員としてイラク、クウェートを取材。社会部記者、1年間の米国留学の後、国際報道局デスクを経験するなど華々しいキャリアを築くも「パナマ文書」の取材を最後に49歳にしてNHKを辞職しその翌日渡米。現在は公益法人「政治資金センター」理事や毎日放送「ちちんぷいぷい」のレギュラー・コメンテータ、ニュースメディアへこれまで培ってきた報道の世界の鋭い目線で記事を提供するなど活動の幅は多岐に渡る。著書に「ファクトチェック最前線」「トランプ報道のフェイクとファクト」「NPOメディアが切り開くジャーナリズム」「トランプ王国の素顔」、共著に「ファクトチェックとは何か」「フェイクと憎悪」がある。
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