東芝事件の「落とし前」として上場廃止は無意味


東芝の不正会計問題は、経済界に衝撃を与えました。事件がどのように収束していくのかは、今後の捜査の行方に委ねることになりますが、一つ気になることがありました。
 それは、不正会計をした東芝は、上場廃止にすべきではないか、という声がまたぞろメディアからあがっていることです。
 そもそも不正会計では、誰が最も被害を被ったのか。それは、会社の株式を買い、投資をしていた投資家です。にもかかわらず、不正会計の懲罰的意味合いで上場廃止にされてしまったらどうなるか。被害者である投資家は、株式の取引ができなくなるのです。泣きっ面に蜂とはこのこと。上場廃止は、不正会計ですでに被害を被った投資家を、さらに罰するだけのものになってしまう。
 かつて大規模な不正会計をしたカネボウは、しっかりした訂正決算を出したにもかかわらず、メディアの論調に押されて上場廃止になりました。産業再生機構でカネボウの再生を担当した立場としては、上場コストは必要なくなるし、正直、上場廃止はありがたかった。しかし、この時も、社会的な「落とし前」としては、極めてナンセンスだという思いは消えませんでした。

上場廃止にせよ、という声の背景は、想像ができます。それは、上場している会社が上場を廃止されたら、社会的にダメージを被るはずだ、それが懲罰になる、というものでしょう。しかし、東芝やカネボウのような名門企業では、上場を廃止されたからといって、本業にほとんどダメージはありません。
 上場廃止が懲罰になるという感覚は、会社をあたかも独立した人格と考える過剰な擬人化幻想から来ています。これはまさに、日本社会に蔓延する「会社病」です。
 会社とはリスクのある事業を長期的に営む法的フィクションに過ぎません。実在するのは、株主、経営者、従業員、取引先、顧客などのステークホルダーと相互の関係性だけです。「落とし前」をつけるには、実在する関係者に対して、有効な処置をリアルかつ合理的に考える必要があります。
 その意味で、上場廃止はまったく無意味な罰則です。不正会計が経営者やガバナンスに起因するなら、その当事者の個人責任を民事、刑事で追及すべき。組織全体の共同責任なら、会社全体を課徴金などで罰すべきです。
 10年前のカネボウ粉飾事件は7人の逮捕者を出し、大手監査法人が解散に追いこまれる大事件に発展しました。しかし、その後も不正会計事件は後を絶ちません。結局、メディア好みの情緒的な「落とし前」が、問題の根幹から目をそらせてしまった。
 私に言わせれば、日本企業のムラ社会の論理による「馴れ合いガバナンス」こそが問題の核心です。東芝も形では革新的なガバナンス体制を取っていたようですが、報道を見る限り、実態は古色蒼然(こしょくそうぜん)たるムラ社会だったようです。
 短期業績にこだわるトップ経営者たち。その背景に権力闘争や財界での地位などの根深い「大人の事情」があり、そのことをムラの人々は皆知っている。そこで無理な決算をする同調圧力が現場に働く……カネボウとまったく同じ構図です。
 今度こそ、このムラの罠から脱するべく、まともな「落とし前」をつけるべきだし、記者たちもそのことを心がけるべきです。