【知られざるヒーロー列伝】三島由紀夫の自決に接し ~トレーニング界の伝説、遠藤光男 第2回~

すごい男がいたもんだ! 話を聞きながら、昔流行した、ビールのコマーシャルのワンフレーズが、脳裏をかすめた。 遠藤光男氏、75歳。戦後、黎明期の日本ボディビル界を語る上で欠かすことのできない人物であり、まだ方法論が確立されていなかったウェイトトレーニングに、独自の合理的なメソッドを導入した、パイオニア的存在でもある。ここに示すのは、そんな知られざるヒーローの物語。

エンドウジムのチーフトレーナーを務める長男・克弘さんとツーショット


「やつは本物だから、オレのこと三島さんと言っていいんだよ!」

三島由紀夫先生とは何年か一緒にトレーニングをしていたんですけど、私はその後、ボディビルの全日本大会で優勝して錦糸町にジムを開きます。その頃、ときどきいろんなジムに呼ばれて、出張で行ってたんです。田端にできたジムにも、週に4~5日教えにいっていました。

そのときに、ちょっと変わった感じの若い子たちが来ているな、と思って見ていたんです。そうしたら、それが盾の会の連中だった。自分はよく分からなくて、「君たち何者だ?」と言ったら、「楯の会(※編集部注:民間防衛組織として三島由紀夫が結成した軍隊的な集団)です」と。「あれ? 三島さんのところか?」と言ったら、「三島先生です!」と食ってかかられて。「三島先生って言ったことがないんで、いつも三島さんなんで」と言いましたよ。

それで、彼らが三島先生と会ったときに、私のことを話したらしいんです。そしたら「誰だ?」「遠藤と言っていました」「『やつは本物だから、オレのこと三島さんと言っていいんだよ!』と怒られました。どうもすみませんでした」という返事をいただいたことがありました。

筑波大ができた当時、私は土浦のジムに週に1回教えにいっていたんですが、
ときどき三島先生と帰りの電車で一緒になることがありました。風呂敷に大学で教える教材を持っておられて。隣り合わせに座りながら話して帰ってきたものです。私が大会で優勝したことは三島先生もご存知で、「君トレーニングやって何年になる?」と聞かれたり、トレーニングの話をしたり、世間話をしたり。それで上野で別れて。

最後に会ったのも、土浦からの常磐線の電車の中でした。市ヶ谷のことが起きる2ヵ月ぐらい前。一緒に話しながら、上野で降りて、雑踏のなかに消えて行った三島先生の後ろ姿のイメージが、いまだにこびりついてますけどね。それが最後のシーンでした。

市ヶ谷のことが起きたときは、ものすごくショックでした。

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蒲田に新しくできたダイナミックボディビルというジムに出向いてコーチをやっていた時に、私の家内から電話がありまして。「三島さんが亡くなった」と言うんです。最初、三島敏夫というハワイアンの歌手のことかなと思ったら、三島由紀夫先生だった。それが第一報でした。三島先生は既にいろんなことを考えていたんでしょうが、そういう話は全くしなかったですね。

映画「ミシマ」に全面協力し、出演も

ポール・シュレイダー監督が「ミシマ」という映画を日本で撮ったとき、私も全面協力しました。三島由紀夫役が緒形拳さんで、マスコミに内緒で3カ月間、自分がトレーニングを教えて、三島さんに近いカラダになったときに撮影に入ったんです。

私も撮影に同行しました。出演もしてますよ、一瞬だけどね(笑)。台詞もひと言あったんです。緒方さん演じる三島先生が、トレーニング終わってサウナに入ってきたときに、ひと言「お疲れさま」と(笑)。ジムの仲間を10何人か連れて行って、撮影したシーンもありました。

三島先生が、幼少期にカラダが弱かったところから、鍛え上げていったのは、自分の場合と似ているかもしれませんね。不思議なことに、もともとカラダが丈夫で、元気な人っていうのは、あんまりトレーニングを一生懸命やらないんですよ。ハンディキャップとかコンプレックスを持っている人の方が、一生懸命のめりこんでやりますね。私もそうだったし、たぶん三島先生もそうだっと思うんですよ。それが継続する力の源になったんじゃないでしょうか。

だいたい素質のある人は、運動したら効果がすぐ出るし、休んでいてもすぐ戻る。だから、あんまりやらない人が多い。素質がない人の方が一生懸命やりますね。そういうふうに感じましたね。

第3回に続く

Text=まつあみ靖 Photograph=吉田タカユキ


【知られざるヒーロー列伝】<予告>トレーニング界の伝説、遠藤光男

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