北島康介 次の勝負のために五輪スイマーの胸中に去来するもの

不世出のヒーローがついに引退した。どんな時でも前向きに、力強く泳ぎ続けた男、競泳選手北島康介。「もう水泳に未練はない」。そう語る顔は、とても爽やかだ。彼がホテルのプールでのんびり泳ぐような日はやってくるのだろうか?

「この間、あるホテルのプールで泳いだら、他のお客さんが全員上がっちゃったんです。ああ、僕、こういう所で泳いじゃいけないんだなって(笑)」

 国内外問わず、ホテルに行ったら必ずプールをチェックするという北島さん。彼にとって、ホテルのプールが物足りないのは当然だろう。

「イタリアのサルデーニャ島にあるホテルには、屋外に50mプールがあったんです。開放的で気持ちよかったですね。僕の場合、ホテルだと少し身体を動かしておくかという程度で泳ぐんですが、それでも20mだと短い。最低でも25mは欲しいかな」

 もし自分でホテルのプールをプロデュースするとしたら?

「こだわり出すとキリがないなあ。湿度とか塩素の濃度とか、タオルとか全部気になる(笑)。パドルやビート板みたいな練習用のアクセサリーを置くのは面白いかも。単に泳ぐよりも効果的にトレーニングができますからね。あとは国内なら外国人向けに檜(ひのき)のプールとかつくっても面白いんじゃないかな。単にお洒落なプールというだけでなく、いろいろなお客さんに向けたプールがあってもいいと思います」

 リラックスした表情で語る彼を見ていて、ホッとしたような、寂しいような気持ちになった。この夏、リオデジャネイロオリンピックのプールに彼はいない。北島は、17歳でシドニー五輪に初出場。以後4大会連続で五輪に出場し、4つの金メダルを獲得した。自ら「オリンピックスイマー」と名乗る北島は、言うまでもなく水泳界のレジェンドであり、圧倒的な実績と数々の名言は、未来永劫語り継がれることだろう。

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「リオに行くつもりで練習をしてきましたし、行けると思っていました。でも記録も順位も及ばなかったことで、諦めがつきました。今はやりきったというスッキリした気分です」

 無敵だった頃の彼もカッコよかった。だが北京五輪後の8年間、なかなか結果が出ないなかで、あがき、苦しみ続けた彼は、とても人間くさく、魅力的だった。肉体的には、とっくにピークを過ぎているはずなのに、結果を求めて戦い続けた理由は、ただひとつ「泳ぐことが好きだから」というものだった。

「この8年間のほうがたくさんのことを学べたと思います。水泳と向き合い直すために海外留学して友人も増えたし、何より家族ができた。仲間と会社を設立し、スイミングスクールなどの事業を立ち上げた。後輩に見られているという意識、責任感も芽生えました。結果は出ませんでしたが、泳ぎ続けてきてよかったと思っています」

 今後の人生についてたずねると、困ったような顔を見せた。

「指導者は向いてないですね。ただ水泳が僕を成長させてくれたのは間違いないので、何らかのカタチで恩返しはしていきたいと思っています。残念なのは、今回の熊本のような震災の被災者に対して、競技を通して夢や力を与えられないこと。それだけは、寂しい気がします」

 彼にはどんなカタチであれ、これからも日本のスポーツ界を引っ張っていってほしい。でもその前に、ホテルのプールでゆっくり泳ぐような時間を過ごしてほしい気もするのだ。

Kosuke Kitajima
1982年東京都生まれ。2000年のシドニー以降、4大会連続でオリンピックに出場。金メダル4個、銀メダル1個、銅メダル2個を獲得した。11年にスイミングスクール「KITAJIMAQUATICS」、15年にトレーニング器具を取り扱う「Perform Better Japan」を設立した。

Text=川上康介 Photograph=渞 忠之 Styling=櫻井賢之 Hair & Make-up=NOBU

*本記事の内容は16年5月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい。14年4月以降の記事では原則、税抜き価格を掲載しています。(14年3月以前は原則、税込み価格)