野球チームも作る! 目指すは地域総合型スポーツクラブ【GM城彰二物語⑥】

信頼する先輩であり、前任者でもあった藤川孝幸の死をきっかけに、2019年、城彰二は、突然北海道十勝スカイアースの統括ゼネラル・マネージャーに就任した。所属はまだ、社会人リーグ。スタジアムはもちろん、決まった練習場さえもない。スポンサーヘの営業、自治体との連係、クラブ運営など、すべてを行わなければいけない。北海道室蘭市で生まれ、中学1年まで過ごした城の目標。それは、北海道にJリーグクラブをゼロから作ること。連載「GM城彰二物語」、第6回。

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「僕が死んだあとにも残るものを作る!」

2017年、藤川孝幸さんが、「十勝にJリーグのクラブを」と動き出したとき、「5年以内でJ3入り」というプランを掲げた。僕は‘19年から統括GMとしてその遺志を継いだが、「5年以内」という目標の実現は正直難しいと思っている。

資金を投下して、選手を補強すれば、成績は残せるかもしれない。しかし、Jリーグ参入にはさまざまな条件があり、スタジアムや練習環境などのハード面にも及ぶ。Jリーグの一歩手前であるJFLであっても、運営費は今の予算の倍近くは必要になる。そう考えたときに、帯広の地元企業のサポートだけでは足りないかもしれず、全国的な規模でスポンサーを探さなければならない。

クラブとしての屋台骨がしっかりしなければ、選手の健闘に応えられない。Jリーグ参入に相応しいクラブの土台を作ることが、フロントの責任だ。そう考えたときに、5年後というのは、時期尚早だと考えている。

それでも、Jリーグ参入から逃げるつもりはない。続けられるのであれば、最低でもJリーグ入りを果たすまでは、この仕事を続けたいと思っている。
 
この仕事を始めて、一番学んだのは「人とのつながり」の重要さだ。目の前の相手は僕自身を見ている。サッカー選手としての城彰二ではなく、一人の男としての城彰二の人柄を見る。だから、絶対に嘘は言えないし、きれいごとで話を終わらせることもできない。誠心誠意、熱意を伝えなければ、理解してもらえないし、共感も感動も得られない。

「人間は裏切る生き物」という側面も実はある。だけど、信じる、信じあえる関係性を築くことができる。そのつながりは絆という言葉なのかもしれない。

十勝スカイアースに関わろうとしてくださる人たちの多くが、十勝地域、帯広の未来を考えている。僕自身も今の仕事は土台作りであって、僕自身がいなくなったあと、死んだあとにも残るものを作りたいという熱が自然と沸いてくる。

違う競技のチームが同じデザインのユニフォームを着て戦える環境を!

十勝スカイアースは、地域総合型スポーツクラブを目指している。

これは単なるフットボールクラブ、サッカーのクラブではなく、あらゆるスポーツのチームが所属するクラブのことだ。たとえば、スペインのバルセロナFCには、サッカーチームだけでなく、バスケットボールやハンドボールのチームがあり、他にもバレーボール、アイスホッケーやフィギュアスケートなど各種スポーツ選手が所属する一大組織となっている。カウンプノウ周辺には、サッカースタジアムだけでなく、体育館やスケートリンクをはじめとしたスポーツ施設が充実し、スポーツを観るのはもちろん、楽しむ環境を提供している。それがバルセロナFCだ。

Jリーグ発足時に、理想として掲げられたのも、ドイツのスポーツクラブだった。バルセロナ同様にサッカー以外の競技のチームや選手が所属。それだけでなく、地域住民が気軽に身体を動かせる環境が整備されている。

十勝のホームスタジアムである帯広の森球技場は、帯広の森運動公園の一角にある。この運動公園には、陸上競技場、体育館、野球場、アイスアリーナ、プールやゴルフ場など、さまざまな競技施設がある。これらの施設は、総合型スポーツクラブの基盤になるに違いない。ここでスポーツを観たり、身体を動かしたりと、地元の人がスポーツを通して、時間を共有し、人生や日常を豊かにできれば、素晴らしいと思うし、その場や機会を提供するのが、十勝スカイアースの目指す未来だ。

帯広はスピードスケートの清水宏保さんの出身地でもあり、スケートが盛んだ。サッカーとスケートは縁遠いと感じるかもしれないが、スケートとのコラボができればと思っている。

僕は野球チームを作りたいという夢もある。野球とサッカーといえば、対立構造というかライバルという話をする人もいるけれど、どちらも日本人に愛されるスポーツであることに違いはない。たとえば、サッカーと野球といった違う競技のチームが同じ色、デザインのユニフォームを着て戦っていれば、どちらかのユニフォームで両方の試合観戦に出かけられるとしたら、単純に楽しいなと感じてしまう。

シーズンが開幕し、チームが無事に動き出したことで、いろいろな未来を夢想する余裕ができた。人と出会い、語り合い、学ぶことで、可能性の広がりを実感できる。もちろん、すべての計画や未来が思い通りに進むとは限らない。困難はあるだろうし、苦労することもあるだろう。だけど、それもまた、ここから始まる長い道のりの一部だと思えるはずだ。

プロサッカー選手として、いろいろなものを背負って戦ってきた。日本代表のユニフォームを身に纏えば、「日本のために」という途轍もないプレッシャーを感じた。けれど今僕が、背負っているものは、現役時代とはまったく別の重さだ。お金が絡んでいるし、他人の人生を背負っているという自覚がある。地元の人たちの期待の高まりは帯広へ行くたびに強く感じる。

「城さんって、もっとチャラチャラした派手なイメージで、もっといい加減な人なんじゃないかと思っていたのに、印象が変わりましたよ」

現役時代の印象がきっと悪かったのだろう。僕が当たり前のことをやっているだけで、そんなふうに「意外だ」とお褒めの言葉をいただくことは多い。そこは非常にありがたい。いわゆるギャップがあるから得をしている。

手を抜いたり、適当にやろうと思えば、きっとできるのかもしれない。でも、僕はやるのであれば、徹底的にやりたい。やれることをやり尽すために、学びたい。それが完成したとき、すごい絵が生まれると思うし、それを下の世代に残したい。それが今のモチベーションだ。

Shoji Jo
1975年北海道室蘭市生まれ。元サッカー日本代表。‘98年フランスW杯メンバー。2006年、現役引退。’17年、現・北海道十勝スカイアースのスーパーバイザー、’19年、北海道十勝スカイアースの統括ゼネラル・マネージャーに就任。


Text=寺野典子 Photograph=杉田裕一


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