安藤忠雄 「世界と日本」成功のコンセプト

各界の仕事人が持っている絶対に譲れない仕事においての「こだわり」、仕事を通じて人生を謳歌している成功者の中から、建築家 安藤忠雄氏が成功のコンセプトを語ります。 

安藤忠雄のこの5年

 中国、韓国、台湾などアジアをはじめ、国際的なプロジェクトへの参加がこれまで以上に増えたのが、安藤さんのこの5年だった。日本では相変わらずの閉塞感が漂っているが、ほとんどの人がこのままでなんとかなると思っているのではないか、と安藤さんは言う。
「でも、実はもうギリギリの状態だと思います。以前は、日本は国際社会から“経済一流、政治三流”と言われていましたが、今や経済は行き詰まり、政治は完全に停止しています。日本だけがポツンと取り残されている。世界経済の重心は戦後アメリカから日本へとシフトしてきましたが、それが今、中国へと大きく動いています。それをもっと意識しないと大変なことになります」
 今、必要なことは世界に出ていくこと。だが、日本人はそれができない。行きたくない、とダダをこねているように見える。
「世界は怖いです。私だって外国で仕事をするのは恐怖なんです。できたら行きたくない。でも、行かなければならないんです。それが今の日本が置かれている状況だし、国際化社会で生きていくということだから」
 日本人はあまりに豊かになりすぎ、何もかも思い通りに行くことに慣れてしまった。だから、先行きが見えないと不安になったり、緊張することを避けようとしたりしてしまう。だが、今こそ真正面から立ち向かい、乗り越えていく姿勢を取り戻さなければならない、と安藤さんは言う。
 実はまだ知られていない、驚くべき話がある。超多忙を極めていた1年半前、実は安藤さんはガンに倒れていた。
「2009年の7月、演奏会で小澤征爾さんと会いましてね。お互いに頭はそこそこだが身体が丈夫でよかった、と話していた。ところが翌月、定期健診で血糖値が異常に高かったので調べてもらったら、胆嚢と胆管、十二指腸が合流する所にガンが見つかって。そしたら、その数ヵ月後に小澤さんもでしょう。お互い運が悪いなと(笑)」
 幸運にも初期ガンだった。すぐに切除すれば問題はない。だが、場所が場所だった。10時間に及ぶ大手術になると言われた。
「おまけに、手術から帰ってこない人も時にはいる、と先生は言うんです(笑)。事務所のこともあるので遺言も書きました」
 無事に手術は成功、1ヵ月に及ぶ入院生活が始まった。多くの人は見舞客の対応で疲弊し、回復が遅れると聞いていた。病院にも迷惑がかかるので、対外的にはいっさい、情報は伏せた。
「でも、どうやって情報を得たのか、お見舞いに来てくれた人がふたりいましてね。ベネッセの福武總一郎さんと東大の鈴木博之教授でした。おふたりとも15分ほどで帰られてホッとしました(笑)」
 手術後のリハビリではまず院内を歩くことから始まった。すると、思わぬ人に出会った。
「検査に来られていた桂三枝さんでした。同じマンションに住んでいる手前、話をしないわけにはいかない。楽しいからついつい3時間も話し込んでしまって。翌日、検査で数値が急に悪くなってしまいました。本当に病気に見舞客は大敵です(笑)」

東大での設計演習風景/講義ではエリートの東大生相手に、自身が世界の設計コンペで連戦連敗した経験をもとに、失敗を恐れず前に進めと語りかけた。

地味で大変。それが人生である

 退院後は独自のリハビリを続けてきた。両手に5キロのダンベルを持ち、朝晩25分のウォーキングを今も欠かさない。
「去年、小澤征爾さんと松本の復帰公演で久しぶりにお会いして。世の中、うまくいかないものだなぁ、などと言いながら、お互い無事手術が成功してよかったと笑い合いました」
 小澤さんの復活タクトは多くの人に勇気と感動を与えることになった。だが、安藤さんにいたっては、まるで何事もなかったかのように、すぐに現場復帰している。今も病気をしていた気配さえ見えない。そもそも人生に向かう姿勢が違うのである。
「建築の仕事は華やかに見えますが、実際には地味で大変な仕事です。自分の発想の前に、顧客の厳しい要望を徹底的に聞いて、応えないといけない。日本人は心地よいことに慣れすぎてしまった。でも、人生というのはそういうものではないんです。世界の人はそれを知っている。そういう人を相手に闘うのだということを、日本人はしっかり自覚しなければなりません」

Q 世界と日本のビジネスで根本的に違うことは何ですか?

A 日本の常識が、世界では必ずしも常識ではない、ということです。例えば、日本人が最も重視するのは、肩書きであり、権威であり、過去の実績であり、名誉です。しかもそれは日本人が作った、日本人による、日本人のための価値観です。
 一流大学出身や、一流企業出身でなければ、といった空気が今なお強いことも、そういうところから来ている。でも、世界は必ずしもそうではありません。
 私は1987年から1年ずつ、イェール大学、コロンビア大学、ハーバード大学で客員教授を務めました、その時、事前に経歴書などの書類を出せ、などとは、どの大学からもひと言も言われなかった。しかも報酬はいくらで、交通費は出す、家は用意する、など極めて明快にさまざまな条件が提示されました。
 でも、かつて教授を依頼された東京大学からは、膨大な量の書類提出を求められました。報酬についても、まだ考えていないので条件は提示できない、と言われました。
 国家公務員になれば、兼業ができませんから事務所の仕事を離れなければならなくなります。にもかかわらず、給与すら決まっていないという。これでは、簡単に職を引き受けることはできないでしょう。
 その後、固定報酬のほかに、建築に関する賞ひとつにつき50万円アップする、という提示がなされました。
 でも、海外の賞は対象にならないという。それはおかしいんじゃないかと言うと、結果的に海外の賞も対象になりましたが、私には本当に不可解でした。
 これこそ日本人のビジネス感覚だと感じざるを得ませんでした。しかも、「これまで国立大学で給与について聞いてきた人などいませんでしたよ」とまで言われました。外の世界がまるで見えていないのが、日本なんです。

安藤忠雄氏/フランソワ・ピノー氏/グッチなどのブランドを所有する大実業家であり、世界有数の美術コレクターでもあるフランソワ・ピノー氏は、ヴェニスにある「プンタ・デラ・ドガーナ」などの美術館を安藤さんに依頼した。

Q 日本が世界に比べて足りないものは何ですか?

A 英語力がない。ビジネス感覚が足りない。だから、外国に行っても自信を持って行動できない。これが今の日本人の現実でしょうね。国際感覚がないから判断力も決断力もスピード感もない。日本人には緻密さという能力や忍耐力、協調心など、島国ならではのよさがあった。これが戦後復興という大きな目標のもとで最大限に発揮され、当時としては驚くほどのスピードで発展していった。
 ところが、今はグローバルな時代です。丁寧さだけでは競争に勝てません。緻密さよりも安さやスピードが求められることもあります。まず、大きく地球を見渡し、勇気を持って外に出ていくことです。それで初めて何が求められているのかがわかってきます。
 考えてみれば、明治時代も第二次大戦後も、高度成長期も、世界が驚く奇跡的な発展を日本ができた時期には、日本に大きな目標がありました。明確な目標を持っていれば強い民族なんですね。ところが、今はそれがない。リーダーにもないし、国民にもない。
 でも、これからは誰かが目標を作ってくれるのに期待するのではなく、ひとりひとりが目標を立て、自分の道を切り開いていくことが求められるのではないでしょうか。
 イタリアは長い間不況ですが、個人や小さな会社が直接世界各地と取引して成功している例が数多くある。まあまあの語学力と、まあまあのビジネス感覚と、圧倒的な商品知識や卓越した品質で世界と渡り合っているんです。個人、地域、国家、それぞれがその役割を持っているし、存在感を示せるということを日本人はもっと意識したほうがいい。
 力があれば世界の人は必ず頼みに来ます。実際、カール・ラガーフェルドもトム・フォードもジョルジオ・アルマーニも、日本人の僕に家を頼みに自分で連絡してきたんです。

Q 中国とのビジネスはやりづらくないですか?

A そういう声が聞こえてくることがあります。でも、私自身はたくさんのプロジェクトに関わっていますが、困ったことはほとんどありません。
 中国人は自分が正しいと思ったことは、何でも言ってきますし、行動に移します。日本人も自分が正しいと思ったことは言わなければならない。なのに、もじもじして自分の意思をはっきりしないと、「これで何も問題ないのだろう」と思われてしまいます。

上海郊外に建設中のニュータウンにある文化施設「保利大劇院」。建物を直径18mの円筒が上下左右から貫く非常にダイナミックな建築。中には大ホールと多目的ホールが入る。

 日本人は島国育ちですから、あうんの呼吸に慣れているし、それでどこでもうまくいくと思っている。しかし、日本人と中国人とでは価値観も習慣もまったく違います。中国人と仕事をするには、まず日本人チームの考え方を明確に伝えて、お互いの立ち位置を確認するところから始めなければならない。これは何も中国に限ったことではありません。海外で仕事をする場合はどこでも共通のことです。
 もうひとつ、中国人は拝金主義だという人がいます。たしかにそういう人も多いのも事実ですが、そうではない人もいるんです。例えば、中国ではディベロッパーが巨大開発をしてお金儲けだけをしているような印象がありますが、自然エネルギーを中心に活用することを考えた、世界にもまだ例のない次世代型の環境都市を作ろうとしている経営者もいます。つまり、金ではなくコンセプトでアジアの未来を示し、世界の最先端を行こうとしているんです。
 中国の海南島ではダボス会議のアジア版を作ろうと、数年前から国際フォーラム「ボアオ会議」を年1回開催しています。現在、このボアオの周辺に、その理念を具現化したエコシティを作ろうとしています。ソフトからハードへという流れは、使い道も決まっていないのに箱から先につくる日本の開発とは正反対ですが、見習うべき素晴らしいやり方です。

保利大劇院 内部/内部円形の窓からの採光が独特な雰囲気を醸し出す。2014年完成予定。
Tadao Ando
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、'69年に安藤忠雄建築研究所を設立。イェール大学、コロンビア大学、ハーバード大学の客員教授を歴任。現在は東京大学名誉教授。アジア、欧米、中東の各地で20~30の建築計画が進行中。近著に『安藤忠雄の建築0-3』(TOTO出版)。

Text=上阪 徹 Photograph=林景澤

*本記事の内容は11年2月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい

安藤忠雄
安藤忠雄
1941年生まれ。独学で建築を学び、’69年に安藤忠雄建築研究所を設立。世界的建築家として活躍する。現在、進行中のプロジェクトは50を超える。プリツカー賞、文化勲章をはじめ受賞歴多数。桃・柿育英会 東日本大震災遺児育英資金」実行委員長。イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。97年より東京大学教授、03年より名誉教授。2017年、国立新美術館で開催された個展には30万人を動員し、翌年パリのポンピドゥーセンターでも開催された。
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