安藤忠雄 我々の市場は日本ではない。世界が市場だ! グローバルは“地方”にまかせろ!

着々と世界をマーケットに、国内よりも世界を向いている企業がある。その共通項は、“東京に本社がない”ことだ。世界中の誰もが知っている企業の本社はその国の首都にはない。どうやらここに、未来のエクセレントカンパニーの要素が潜んでいた! 日本の近代化と、地域や国家の発展に寄与した偉大な都市計画家、後藤新平の名を冠した賞を受賞した建築家安藤忠雄氏に、勢い込んでインタビューを始めたのだが……。 

「実際問題、地方都市で何かやるのは難しいですよ。日本は一極集中型だから、人も情報も東京に集中してる。テレビや新聞の取材だって、なかなか大阪まで来ない(笑)。地方のチャンスは10分の1以下です。地方で企業を起こしても、成功したら東京に進出というほうが、自然でしょう。まして不景気の時代、地方都市にいたら厳しいことばかりです」
 世界を舞台に活躍しながらも本拠地を大阪に置き続ける安藤さんだからこそ、反東京派(?)の旗頭の発言を期待したのだが、東京のほうが圧倒的に有利だと、彼は言い切るのだ。
「私もよくクライアントから言われますよ。『どうして東京に出て来ないの?』って。確かに東京のほうが仕事はしやすいし、仕事も増えるでしょう。でも私は意地でも、大阪から動く気はない。私が大阪にいるのが嫌なら、私に依頼するのはやめろと(笑)。意地を張ってるわけです。だけど、意地を張らなきゃ、本当に意味のある仕事はできないんじゃないですか」

大阪には恩義も義理もある。だから意地でもここにいる

 意地を張るのには、もちろん理由がある。独学で建築を学んだ彼を建築家として認め、仕事を依頼したのは大阪の市井の人々だった。
「建築界は完全なる学歴社会です。学歴もない、コネもない、ただ自分で建築を学んだだけの若者に、仕事を任せようなんて人はまずいないはず。ところが大阪には、それをやらせてみようという人がいた。最初は個人宅です。それも30坪くらいの。建築資金で言えば当時で1000万円くらいの仕事です。でもそれは逆に言えば、すごく大きなお金です。自分の家を建てるために貯めた、なけなしのお金を全額任されるようなものですから。こっちとしても覚悟がいりますよ。その真剣勝負のなかで僕は建築を学んだ。大阪の人たちに学ばせてもらったわけです」
 建築家としてのキャリアを踏み出したばかりの若い彼を叱咤激励し、支えたのも、気骨のある大阪の財界人たちだった。

BEIJING 国子監ホテル/ 北京の中心部、故宮の近くに建設中の、ホテルや美術館を擁する広大な施設。安藤さんに設計依頼があったのは去年8月。基本設計を見せたところすぐ契約が成立。11月には着工し、すでに地下4~5階部分まで堀りすすめられた。建物の前には水が流れ、水の塀で囲まれる予定だ。

「サントリーの佐治敬三さんにはよく『失敗したって、命までは取られないんだから』って言われました。失敗を恐れるなということだったんだと思いますが、それはつまり覚悟して仕事をしろということでしょう。あの人も、ほとんど大阪にいましたね。『なんで東京に行くねん』って、よく言ってた。彼も意地を張ってたんだと思う。だけどやっぱり、その意地を張るなかで、見えてくる世界がある。もちろん意地を張り通すには、覚悟がいる。日本が駄目なのは、そういう覚悟のない、意地を張らないリーダーばかりになってしまったからです。だから判断が遅い、決断もしない。今の日本の企業の多くには、チームはあってもリーダーがいない。何でも合議制だから、前に進まない。チームプレイは上手だけれど、リーダーがいないから勇敢に攻められない。世界の動きがものすごく速くなっているなかで、日本が取り残されているのはそのせいです」

責任のある個人と個人、その対話ができない日本

 中国に韓国、アラブ諸国をはじめとするアジア、ヨーロッパ、南北アメリカ……。文化や国境の壁を越え、彼の仕事は世界中に広がっている。そういう仕事の現場で、日本が取り残されつつあることを肌身で感じるようになった。

DALLAS フォートワース現代美術館/1997年、6人の世界的建築家によるコンペで安藤さんが当選。コンクリートをガラスで覆う美しい建築だ。現地の構造家や技術者とチームを組むが、誰もが対等な国の彼らとの意見調整、意思決定の違いに驚く。他国の仕事はまずその国の社会を知ることだと痛感する。

「日本人は世界のスピードについていけていない。今まで日本人はいいものを作るということで評価もされていた。ところが、現在では同じ品質のものが、韓国でも中国でも作れる。ベトナムでもある程度作れるようになった。それなら日本は何を作るんだと、世界中がそう思ってる。日本はもう終わったと思われている。おまけに日本人は会議となったら5人も6人もやってくるくせに、自分の意見を言わない。何を考えているかわからない。向こうからしたら、やりにくい相手です。日本人は『外国人とは仕事がやりにくい』なんて言っているけどね。中国とのビジネスは難しいとか言う。お金を払わないから気を付けろとか。それは違う。北京、上海、威海、長沙、海南……。私は中国でたくさん仕事をしてきたけど、一度も困った経験はない。そのかわり言いたいことを言いますよ。相手の話もしっかり聞く。責任ある個人と個人で話をして、ひとつのチームとして仕事をしているから問題なんて起きない。お金も即座に振り込んでくる(笑)。その決断までのスピードが彼らはすごく速い。今やってる北京のホテルは、私に話が来たのが去年の8月なのに、11月には工事が始まってますから。それが今の世界のスピード感です。日本では考えられない。そんな決断力を持ち合わせてはいない」
 そうなったのは戦後の日本の教育が、責任ある個人を育てようとしなかったからだと彼は言う。
「責任ある個人は失敗もする。問題も起こすかもしれない。その失敗や問題を恐れるような子供ばかりを育てたのが、日本の戦後教育でした。子供たちの闘争心や、勇気を育てるような教育をしてこなかった。だからリーダーが育たない。チームワークはよくてもリーダー不在の社会、それが今の日本です。一極集中の東京にいる限り、そういう日本の姿を客観的に見ることはできない。自分の会社だけじゃなくて、他の企業も似たり寄ったりだから。東京には人も情報も金も集まる、地方都市に比べれば10倍も20倍もビジネスチャンスがある。東京の中だけで、なんとかうまくやっていける。リーダーなんていなくてもね。だけどそんなものは、現在の世界の現状から言えば、ぬるま湯です。意地でも東京に行かないと言った佐治さんも、そう感じていたのかもしれない。地方だから上手くいくという話じゃないんです。地方のハンディにもかかわらず、東京に本拠地を移そうとしない企業には、覚悟のある本物のリーダーがいるということなんですよ。彼らに学ぶべきです。意地でも地方で踏ん張って、停滞した東京なんかすっ飛ばして、世界を相手に勝負したらいい。日本のグローバル化は地方に任せろ、くらいの意気込みでね。そういうリーダーが増えたら日本も、息を吹き返すかもしれない」

TREVISO ベネトンアートスクール/ベネチアの郊外にあるベネトンが設立した芸術学校。古いヴィラを再生し、新築部分はすべて地下に収めた。ここでも安藤さんは現地の技術者と家族のようなチームを作り、現在は同じスタッフと学校の寮を手がけている。
Tadao Ando
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、'69年に安藤忠雄建築研究所を設立。'97年より東京大学教授、2003年より名誉教授。アジア、欧米、中東の各地で常に20~30の建築計画が進行中。6月には香川県直島に李禹煥美術館がオープン。『安藤忠雄の建築0~3』(TOTO出版)が発売中。

Text=石川拓治 Photograph=OGATA 世界地図/ダイケン TEL:096-242-5111

*本記事の内容は10年5月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい

安藤忠雄
安藤忠雄
1941年生まれ。独学で建築を学び、’69年に安藤忠雄建築研究所を設立。世界的建築家として活躍する。現在、進行中のプロジェクトは50を超える。プリツカー賞、文化勲章をはじめ受賞歴多数。桃・柿育英会 東日本大震災遺児育英資金」実行委員長。イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。97年より東京大学教授、03年より名誉教授。2017年、国立新美術館で開催された個展には30万人を動員した。
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