【阿部勇樹】ネガティブな僕がポジティブに進化した瞬間 〜一期一会、僕を形作った人たち

1998年8月7日、ジェフユナイテッド市原(現千葉・市原)の一員として、17歳目前にJリーグデビューを飾って以降、20数年もの間、プロサッカー選手として生きてきた阿部勇樹。2010年のベスト16入りを果たしたワールドカップ南アフリカ大会の主力としてだけでなく、浦和レッズ移籍後は、AFCチャンピオンズリーグ(以下ACL)を2度制覇するなど、輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。今夏38歳になった阿部の言葉からそれが伝わってきた。

連載1回目【阿部勇樹】ブレない精神を最初に教わった師とは?


ペーターから学んだブレないメンタル

ドルトムントが来日したとき、本当に久しぶりにペーター(選手時代、日本ではピーター・ボスと登録したが正しい呼び方はペーター)と会いました。会見で、ペーターが「私がいっしょにプレーしていたころは、まだ阿部は若かったが、当時から非常に才能がある選手だと思っていました。キャリアを積み、とてもよい選手になった」と僕について語ってくれるのを聞きながら、気恥ずかしさや嬉しさと同時に誇らしさを感じた。

ペーターと共に過ごしたころの僕はまだ、17、8歳。プロ選手になったばかりで、正直余裕のない状況だった。1999年ファーストステージ開幕戦の鹿島戦で途中出場して以降、1試合以外すべての試合にボランチで先発出場を続けていたが、16位中15位と成績が低迷。監督交代を経て、ペーターが加入して、迎えたセカンドステージでは、試合毎にいろんなポジションで起用されていた。

僕は速いドリブルでチャンスを演出するタイプの選手ではない。果たして自分のプレーがこのポジションで活かせるのか? 自分が立つ場所を知ると、ネガティブな想いがどうしても先に出てしまう。思い切ってプレーしようと誓いピッチに立っても、「ミス」を怖がる気持ちは消えない。ミスをすれば、当然チームメイトから叱責の声が飛ぶ。

心機一転スタートしたセカンドステージだったが、ジェフの成績は相変わらず低迷したままだった。開幕からの7戦で1勝1分5敗。「とにかく、チームに迷惑をかけないようにしよう」という気もちが強まった。自分らしいプレーをし、手ごたえを感じる試合もあれば、できることが限られてしまう試合もある。

僕は浮き沈みの激しい毎日を過ごしていた。だからプレーに安定感もない。チームに好影響を与えられる存在とは言えなかった。成績が悪いと選手たちのプレーも消極的にならざるを得ないし、チームの空気も次第に悪くなってしまう。

しかし、そんなチームに落ち着きをもたらすのがペーターだった。言葉が通じるわけでもないから、プレーや佇まいで安定感を与えてくれる存在だ。どんなときも、ブレることなく、普段通り、練習通りのプレーをする姿は頼もしかった。ミスをしても慌てることなく、メンタル面での安定感も抜群だった。

目立つ武器もない自分を受け入れる

そんなペーターは時折、「落ち着け」「自信を持て」と声をかけてくれた。それは必要最低限、かけるべきタイミングでの言葉だと今なら理解できる。食事に誘われて出かけたときも、具体的にどんな話をしたかは覚えてはいない。でも、普段から落ち着いて、静かな雰囲気のペーターが発してくれる言葉には重みがあったことは覚えている。

今なら、質問したいことも、話したいこともたくさんあるけれど、当時の僕は、ペーターといっしょにいることだけで、緊張もしたし、感動もし、こちらから何かを訊ねるなんてできなかった。今思えば、本当にもったいない。残念な話。非常に残念だけれど……。

それでも、ピッチ内外で、サッカーという仕事に忠誠を示し、常に全力を尽くすペーターの姿が、僕に与えてくれたものは、数限りない。具体的な言葉で示すことはできないけれど、38歳の現在まで、現役でプレーできていることを思えば、そこにペーターの影響があったんだと実感できる。

「自分の体のことを非常に理解している選手」

これもまた僕が抱いたペーターの印象だった。それはプレー中の体の使い方やプレー選択からも感じられた。それが経験の賜物であると考えながらも、僕自身も自分の力量やスタイルを認識することは、必要不可欠になっていく。

様々なポジションで起用されるなかで、僕の考え方にも変化が生まれた。

そのポジションで仕事が「できる、できない」ではなく、まずは「何を求められているのか」を意識するようになった。起用する監督の意図を知り、そのうえで、チームの状況や試合の流れを読み、自分がやれることをやる。自分目線でチームを見るのではなく、チームを俯瞰し、自分の役割や任務を理解するというのは、当時の僕にとってのひとつの解決策ではあった。

平均的になんでもできるけれど、目立つ武器もない選手のことを「器用貧乏」と呼ぶことがある。たぶんきっと僕もそんな選手のひとりだ。しかし、その数年後、「ポリバレント」とか、「ユーティリティ」といった言葉が、僕らを救う言葉になった。これはもう少し先の話だけれど。

続く

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子


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