【阿部勇樹】飛び級で招集された黄金世代の合宿 〜一期一会、僕を形作った人たち

1999年春、アフリカ・ナイジェリアで行われたワールドユース選手権(現・U-20W杯)で、U-20日本代表はスペインとの決勝戦には敗れたものの、世界2位という快挙を成し遂げた。このチームはフィリップ・トルシエ監督のもと、1979年生まれ(1980年早生まれも含む)を中心に構成されている。高原直泰、小野伸二、稲本潤一、中田浩二、小笠原満男、本山雅志、遠藤保仁は日本サッカー界の黄金世代と呼ばれるようになり、2000年シドニー五輪、2002年、2006年のW杯メンバーとして日本を牽引。 そんな黄金世代の2年後、1981年に生まれた選手たちは、「谷間の世代」と呼ばれ、阿部勇樹もその一人に数えられる。しかし、ジェフ市原ユースに所属していた高校1年のとき、阿部は、この黄金世代の代表合宿に招集されている。また、1999年3月、本大会直前の合宿にも阿部は参加した。 

連載1回目【阿部勇樹】ブレない精神を最初に教わった師とは?

逆算して今を生きるタイプではない

いわゆる黄金世代の存在を知ったのは、高校1年のときだった。千葉代表として参加した国体の準決勝で静岡代表と対戦した。静岡には、南雄太、小野伸二、平川忠亮、高原直泰、池端陽介といった選手が並ぶ。わずか2歳さとはいえ、止めて蹴るといった、基本的な技術力が高く、驚いた。基本ができているから、それ以上のプレーもできる。試合は2-2からのPK戦で千葉が敗れ、静岡は優勝している。

中学進学と同時に、僕はジェフ市原のジュニアユースでプレーを始め、高校へ進学するとユースチームに昇格を果たした。当時のJリーグではサテライトリーグといって、トップチームのリザーブ選手たちが戦う大会があり、高校生だった僕もその試合に出場するチャンスをもらうこともあった。

トップチームには、ユース出身の選手も少なくない。高校3年生でデビューした山口智くんや酒井友之くんなど、主力として活躍する選手の存在が、僕に「Jリーガー」「プロサッカー選手」という未来を示してくれていた。次第に「頑張れば、そういう可能性がある」という意識が芽生えていく。それは自然なことだったと思う。でも、「智くんや友ちゃんみたいになりたい」というよりも、「今日の紅白戦でこういうチャレンジをしてみよう」というような感じだった。

「プロになりたい」とか、「海外でプレーしたい」とか、「日本代表でW杯に出場する」とか、当時の僕はそういう夢を抱き、それを叶えるために、「今何をすべきか」と逆算して今を生きるタイプではない。それは当時も今も変わらない。精いっぱい今日を生きる。目の前の課題に取り組む……というのが僕のモチベーションになっていた。そんな僕にとって、身近に参考にできる人間がいてくれることは、非常に大きなアドバンテージだったと思う。

黄金世代のオーラに圧倒された高校一年

そんな僕にとって、刺激となったのが、代表での活動だった。

高1のとき、当時のU-18代表候補合宿に飛び級で招集された。のちに黄金世代といわれる人たちのグループだ。そこに彼らがいるだけで空気が違う。彼らにはオーラがあった。選ばれたことの喜び以上に、僕は大きな緊張感を抱いていた。ピッチに立てば、「こんなに巧い人たちとプレーできる」ことが嬉しかったけれど、合宿はそれだけではない。ピッチ外での生活について想像すると、「何を話せばいいの?」と、距離を作っていたと思う。(小野)伸二くんやタカ(高原直泰)にとっては、僕みたいな選手に対して特別意識することもなかったとは思うけれど、僕自身は意識過剰になるほど、その存在感の違いを思い知らされた。

その後もときどき、呼ばれることになったけれど、自分の居場所がそこにあると思えるほどの存在感を示すことはできてはいなかった。

1999年になり、フィリップ・トルシエがユース代表監督に就任した。そして、僕や林丈統、池田学といった新しい選手を本大会前の合宿に招集。大会が開催されるナイジェリアへ行くには、事前に数多くの予防接種をしなければならず、ほとんどの選手は時間をかけて、それを行っていた。しかし、僕らは予防接種していない。だから、最終的にメンバーに選ばれなかったけれど、落胆はなかった。

そして、世界大会のファイナリストとなったチームの活躍を見て、2年後、自分たちの世代で挑むワールドユースのことを少し思った。しかし、2001年アルゼンチンで開催されたワールドユースに僕は出場していない。怪我をしたためだ。

トップチームのレギュラー選手として、僕のキャリアが本格的にスタートした1999年シーズン・セカンドステージ、ペーター(ピーター・ボス/日本での登録名)がジェフ市原に加入した。当時、17歳だった僕には念入りにコンディションを調整する彼の姿を目にしてはいたが、その重要性や意味をまだ理解してはいなかった。

続く

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子



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