【皆川賢太郎のスキー論③】理想は大相撲。僕がスキー界の"国技館"をつくりたい理由

冬季五輪に4大会連続で出場し、アルペンスキー界を牽引してきた皆川賢太郎氏。現在、全日本スキー連盟(SAJ)常務理事を務める皆川氏は、日本のウインタースポーツの世界にどんな未来を描いているのだろうか。後編では、「スノードーム」「札幌オリンピック招致」をキーワードに話をうかがった。

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大相撲の国技館が、心底うらやましい

僕の中で理想とするスポーツ団体は、日本相撲協会です。大相撲は1年間に6場所という限られた興行数の中できっちりと収益モデルを確立しています。平成30年度の収支予算書で、経常収益は約120億円。正味財産期末残高は約376億円。めちゃめちゃよくできた収益構造だと思います。

スキーやスノーボードなどのウインタースポーツも、雪がある限られた季節にしかできないという点で、大相撲との共通点は多い。でも、現状ではウインタースポーツは大相撲にまったく及びません。

なぜ、大相撲はこれほど強いのか? マス席をお土産とセットで販売して客単価を上げるなど、さまざまな工夫もありますが、やはり両国国技館の存在が大きい。年6場所のうち3場所が開催される両国国技館は、日本相撲協会が所有。日本のスポーツ団体で、そのスポーツの拠点となる施設を持っている団体は大相撲以外にありません。国民的スポーツと呼ばれるプロ野球でさえ、巨人軍が拠点とする東京ドームは自前の施設ではありませんから。

ウインタースポーツ界の夢、というより僕個人の夢ですが、年間を通じて屋内でスキーやスノーボードができるスノードームを作りたい。そして、大相撲の両国国技館に匹敵するような、ウインタースポーツのシンボルに育っていってほしいと思っています。

スノードームというと、かつて千葉県船橋市にあった室内スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS」、通称“ザウス”が思い出されます。当時、世界最大かつ史上最大の屋内スキー場として話題を集めましたが、今ではバブル経済の悪いイメージが付きまとっています。でも、世界に与えたインパクトは大きかった。今では、世界中に約60のスキードームが誕生しています。

日本はもう一度、スキードームに目を向けるべき。できれば、ドーム内に観客スタンドを設置し、スキーやスノーボードの競技大会を開催できるような施設にしたい。観客席付きのスノードームは、まだ実現されていません。日本が世界に先駆けて開設すれば、海外からも大きな注目を集めることは間違いないでしょう。競技大会の開催場所としての収益のほか、大会がない時には、一般に開放。今なら中国人をはじめ、世界からスキーヤーやスノーボーダーが集まるはずです。

全日本スキー連盟では、2018年には10億円だった収入を2030年は100億円に、2018年に8万6000人だった会員数を2030年に100万人に増やすという目標を掲げています。具体的な数字があったほうが、万人にわかりやすく、事業は進めやすいですからね。

オリンピックを大きな夢に、選手を強化

さらに、2030年は冬季オリンピックを札幌に招致する予定です。日本人はオリンピックへの関心が世界でも群を抜くほど高い。国民の気持ちをひとつにするシンボリックなものとして、ぜひとも招致を成功させたいですね。

産業としてのウインタースポーツの地位向上・改善とともに、強い選手を育成し、競技力のレベルアップも図っていかなければなりません。人間には平等に24時間、365日が与えられています。10代、20代の頃は、その当たり前の事実が「永遠に続く」と思っています。でも、それから5年も経つと、当たり前の事実がとても少ないもののように感じられてきます。「オレはいつまで競技ができるのかな」などと思うようになるのです。

時間はとても貴重で、限られたもの。選手にはその意識を植え付けていきたい。限られた時間の中で、どれだけ生産性の高い練習を積み重ねられるかが、レベルアップのカギになります。

毎日の生産性を高めなければいけないのは、選手だけではありません。強化スタッフにも同じことがいえます。選手が練習を積んでいく環境の整備や、技術を高めるソリューションの開発に全力で打ち込まなければなりません。

特に強化スタッフは、「オレはいつまで競技ができるのかな」という気持ちは持ちにくい。選手は自分事なので意識が高まりやすいですが、強化スタッフは自分がメダルを取るわけじゃない。選手の気持ちと、隔たりができやすいんですよ。

特に日本の社会はピラミッド型の構造で、組織統制には向いています。でも、スポーツで勝つためには、理想的な構造ではないんです。勝つためには、ピラミッド型ではなくサークル型であることが重要。選手と強化スタッフが並列の立場で、輪になっているのが理想です。そして、ひとつの目標のために全員が一丸になる。サークル型を実現させることが、強い日本代表を育てる第一歩だと感じています。

Kentaro Minagawa
1977年、新潟県生まれ。日本体育大学在学中の'98年にアルペンスキー日本代表として長野冬季五輪出場。2006年トリノ五輪で4位入賞。'10年のバンクーバー大会まで4大会連続で冬季五輪に出場する。'14年に現役を引退し、'15年に全日本スキー連盟の理事、'16年に常務理事に就任。


Text=川岸 徹 Photograph=鈴木泰之



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