並外れた好奇心を持つからこそ、ひとつのことに集中するのが難しい。ドリアン助川【ゲーテの名言㉜】

世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2010年11月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。  

われわれ近代人はどうしてこんなに気が散り、到達することも実行することもできない要求に刺戟されるのであろう!

――『イタリア紀行』より

他者に向けてではなく、ゲーテが自分自身に腹を立てて記した言葉だ。

旅先のシチリアの朝。彼は今日こそ文学に時間を費やそうと決意する。しかし散策に出かけると、珍奇な植物ばかりが目につき、いったい植物の原型とはなになのかとしきりに考えるようになる。文学は消し飛んだ。おのれはなんと抑制のきかない人間なのかとそこでこの天才も悩む。自身を罵倒する。

並外れた好奇心を持つからこそ、ひとつのことに集中するのが難しい。知への絶えざる欲望という長所があったからこそゲーテは多大なる視点と言葉を残せたが、それがために本人は苦しんだ。長所とは、見方を変えれば短所なのである。

ところでゲーテのこの嘆きは、職業柄PCに向かう人たちからも最近さんざん聞かされる言葉に似ている。

集中力がなくなったとみんな言う。

わかるなあ、それ。

原稿を書いている最中でも、クリックひとつでネットへ飛び、調べものをすることができる。それだけならまだ良いのだが、調べものをしているうち、ネットサーフィンが始まってしまう。アルチュール・ランボーの詩の一節について調べるつもりでアクセスしたサイトで、ついついパリ・コミューンの歴史に入り込んでしまう。そういえば、正月明けのホテルの値段はどうだったのだろうとフランスの情報サイトに飛んでいく。すると画面はヨーロッパを襲った大寒波、イタリアまでの雪景色である。わーっと思いながらその動画を見ているうち、今度は関連ニュースとして取り上げられているイギリス北部の大嵐の模様が気になる。ワンクリックでそちらの動画に飛ぶ。ついでにアメリカの竜巻ハンターのドキュメントなども見始めてしまい、気付けば数時間が過ぎている。おかしい、原稿を書いていたはずなのに……。ああ、なぜ、今日も世界を旅してしまったのか? これは誰の吐露でもなく、私が一日をだめにしてしまう典型的なパターンだ。

ゲーテがこの時代に生きていたらどうだったろう? 植物を見ただけで決心が吹き飛ぶほど、好奇心に揺り動かされる人物だ。PCに触れればおそらくは数年、ネットに翻弄される日々が続くはずだ。そしてある日、深い溜め息とともに、原稿を書く時はラインを切るという荒技に出るのである。

――雑誌『ゲーテ』2010年11月号より


Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。